プロローグ1
『………………』
深紅の絨毯が敷かれた薄暗い広間。
刻ノ少女は、目の前に立つ異形の男を見つめていた。
深く被った黒い帽子。
全身を覆う黒衣。
そして、表情を読み取ることのできない白い仮面。
男の背後では空間を抉り取るように黒紫色の渦が蠢いている。
それまで存在しなかったはずの扉から現れた男に、蒼銀の髪を持つ少女は警戒するように身構えた。
『何!?
誰なの!?』
少女の問いに仮面の男は小さく首を傾ける。
『何も知らぬ、愚かな人形め……』
感情の見えない仮面の奥から低い声が響いた。
『我が名はカース。
……女神ノ涙が、ここにあるはずだ』
『……!』
『この世界に、女神など不要だ』
カースの背後にある黒紫の渦を見つめ、少女は息を呑んだ。
見覚えがあったわけではない。
だが、彼女はその存在を知っていた。
女神より伝えられた、古い伝承の中で――。
『そう……。
この扉が、あの伝承の黒ノ扉なのね』
【女神ノ涙を狙い 現れし者により 黒ノ扉が開かれる――】
『……伝承通りね。
こうなることは、分かっていたわ』
少女は胸元へ両手を添えた。
その手の中には、淡い光を放つ涙型の宝石がある。
『……女神ノ涙は、
女神様の遺した刻ノ力の結晶……』
宝石を庇うように握り締め、少女はカースを真っ直ぐに見据えた。
『あなたなんかに、
渡すわけにはいかないわ!』
拒絶の言葉を聞いてもカースは動じない。
ただ静かに少女の次の行動を待っている。
少女は一度目を閉じると、覚悟を決めるように深く息を吸った。
『すみません、女神様……』
少女が両手に掲げた杖へ青白い光が集まり始める。
『女神ノ涙を守るため、
禁じられた力を解放します!』
少女の足元から光の紋様が広がっていく。
幾重にも重なる円環が回転し、広間を青白く照らし出した。
『鏡ノ扉の英雄たちよ……』
魔法陣の輝きが強くなる。
『我が名は刻ノ少女ルナ……
私の願いに応えて!』
ルナの叫びと共に光の柱が立ち上った。
その中に三つの人影が形作られていく。
白と金の装束を纏い巨大な武器を携えた騎士。
紫黒の鎧と翼のような装飾を持つ戦士。
そして二人の中央に立つ、真紅の髪と深緑の瞳を持つ少年。
鏡ノ扉を通じて、異なる世界から三人の英雄が召喚されたのだ。
カースは現れた英雄たちを眺め、わずかに顔を上げた。
『……やはり、素直には渡さないか』
黒衣の裾が揺れる。
カースの足元にも黒い魔法陣が浮かび上がった。
『……ならば……』
黒い光の中から二体の魔物が姿を現す。
その間には、紫色の重厚な鎧を纏い、大きな盾を構えた魔物が立っていた。
『力づくでいかせてもらおう!』
『……っ!
させないわ!』
ルナの号令と同時に英雄たちが動いた。
白銀の刃と紫黒の槍が赤い絨毯の上で閃く。
左右から飛びかかってきた魔物達を二人の英雄がそれぞれ迎え撃つ。
武器と武器がぶつかり、甲高い金属音が広間に響き渡った。
中央の重装兵は大盾を前へ突き出しながら進んでくる。
その巨体を止めようと真紅の髪の少年が小さな剣を構えた。
まだ戦い方を思い出していないのか、その動きにはわずかな迷いがある。
それでも少年は退かなかった。
左右を守る英雄たちと呼吸を合わせ、正面から迫る魔物へ立ち向かう。
剣撃。
槍撃。
魔法の光。
いくつもの攻撃が交錯し、やがて二体の魔物達が光の粒となって消えた。
残された重装兵も大盾ごと押し切られ、その姿を黒い霧へと変える。
だが、戦いは終わらない。
黒ノ扉から新たな敵が姿を現し、英雄たちへ襲いかかった。
激しい攻防の中で、二人の英雄が倒れる。
ルナの前に残ったのは、真紅の髪の少年ただ一人。
傷ついた少年は、剣を杖代わりにしながら立ち上がった。
『さて、、、
満身創痍の英雄と足手まといの人形。
諦めて女神ノ涙を渡す気になったか?』
圧倒的優位に立ちながらも隙のない構えを解かずにカースが問いかけた。
『どんなに劣勢になっても私の答えは変わらない!』
絶体絶命な状況にも関わらずルナが力強く言い放った瞬間、少年の身体を、赤紫色の光が包み込む。
『ルナの願いのために・・・僕は強くなる!!!』
『こ、この光は!?
まさか英雄が真の力を開放する時の!?』
驚きの声を上げたルナと同時にカースも動いていた。
『そうはさせん!
滅光斬!!』
グサッ・・・
カースが放った槍が無情にも少年に突き刺さった。
『これで終わりだ!!』
カースは懐から短刀を取り出し、とどめの一撃を放とうとした。
その時、ルナの杖が光を帯びる。
『お願い!
間に合って!
刻を駆ける少女!!』
ルナは時計を模した杖を掲げる。
杖から伸びる一条の光が、巨大な時計版を描き出すと針が逆回転を始めた。
『こ、これは刻ノ女神の力!?』
少年の足元に広がった魔法陣から、無数の光が舞い上がった。
刻ノ力が少年へ流れ込み、失われかけていた力を呼び戻していく。
少年は地面を蹴る。
その身体が赤い閃光へと変わり、一直線にカースへ迫った。
『魂の一撃――!』
赤い光が闇を切り裂いた。
カースの身体を、少年の一撃が捉える。
『くっ……!
さすが……というべきか』
少年はルナを守るように、その前へ立った。
ルナもまた杖を構え、カースを見据える。
『カース……
あなたに女神ノ涙は渡さないわ!』
『……ここは一旦、引くとしよう』
カースの足元に、再び黒い魔法陣が現れる。
だが、黒ノ扉へ戻る直前。
カースは片手をルナへ向けた。
赤黒い光が放たれ、ルナの身体へ絡みつく。
『きゃあっ!?』
胸元の時計が激しく明滅した。
ルナは苦しげに胸を押さえながらも、倒れまいと足を踏み締める。
『お前に残された時間は、あとわずか……』
カースはルナの時計を指し示した。
『その時計がⅫを指す時、
お前の命は尽きるだろう』
時計の針が、一目盛り動く。
『お前が消えれば……
どちらにせよ、目的は果たされる……』
その言葉を最後に、カースの身体が黒い光へ包まれた。
黒衣を翻しながら、男は黒ノ扉の奥へ消えていく。
『……っ……
……女神、様……』
緊張の糸が切れたように、ルナの身体から力が抜けた。
どさっ――
赤い絨毯の上へ、少女の身体が崩れ落ちる。
少年は慌ててルナへ駆け寄った。




