探知魔法と明日の準備
「では準備をして参ります」
シンシアさんはそう言って姫様の馬車に戻り、しばらくしてから小さく折り畳んだ紙を手に戻ってきた。
「これが対象者に埋め込む術式になります。急ごしらえですけど、こちら側は、そう複雑なものでは無いので問題ないかと」
紙を広げて、書き込んである魔法陣のようなものを見せてくれる。
「じゃあ、カルヴィノのところに行きましょうか」
「はい」
シーベル子爵に連れられていった先は、典型的なお城の地下牢だった。
乾燥しているし、あまり使われている様子もないな。
出来るだけシンシアさんの施術を人に見られたくないから有り難いことだ。
空っぽの牢をいくつか通り過ぎたところに、先ほどゲオルグ青年の部屋で見た衛兵が二人、牢の前で番をしていた。
「ご苦労、カルヴィノの様子はどうだ?」
「はっ、牢に入れたときに気を失いまして、そのままです。途中で目覚めた様子はありません」
軽く気配を探ってみると本当に気を失っているようで、寝たふりではないな。
「うむ...クライス殿、いかがだろうか?」
「大丈夫ですね。今のうちにやってしまいましょう。俺が結界で固定しますから、仮に途中で目覚めても抵抗は出来ません」
「承知しました...では牢の鍵を開けよ」
「はっ」
衛兵の一人が扉の鍵を開けた。
「パルミュナも、いちおう用心しててくれな」
「はーい」
「じゃあシンシアさん、お願い致します」
「はい。えっと、背中が良いでしょうか?」
この使用人のお仕着せで背中を出させるってのは、少なくとも上半身全部脱いでほとんど半裸だろう。
さすがにシンシアさんの眼前でそれをやるのは忍びない。
「そうですね。服を脱がせましょう」
「よし、お前たちはカルヴィノの服を脱がせるのだ」
シンシアさんがさりげなく牢に背中を向けている間に、シーベル子爵の指示で衛兵が服を脱がせに掛かる。
パルミュナは何処吹く風である。
俺はうつ伏せになっているカルヴィノに内向きの結界を被せて身動きできないようにし、ついでに剥き出しになった背中を精霊の水で浄化しておく。
これでシンシアさんに不愉快な思いをさせずにすむし、まだカルヴィノに濁りが残っていたとしても削り取れるから一石二鳥だね。
服を脱がされている間もカルヴィノが意識を取り戻す気配はなかった。
ガオケルムの鞘で浄化されたときに、モヤを操るために放出していたほとんどの魔力を吹き飛ばされたからだろう。
「もういいですよシンシアさん」
「ではやってみます」
シンシアさんがそう言ってカルヴィノの脇にしゃがみ込んだ。
懐から折り畳んである紙を出すと、それを広げてカルヴィノの背中に当て、掌で押さえ込むように保持する。
シンシアさんの手から皮膚に向けて、方向を絞り込んだ魔力が流れ出るというか打ち込まれるというか、一枚の紙を通して背中に注ぎ込まれていくと、魔法陣を描いてある紙がぼーっと光り始めた。
「へー!」
パルミュナが感心した風にシンシアさんの手元を見つめて声を出す。
そのまま待つことしばし・・・やがて光が収まると、シンシアさんは手を離して紙を取り除いた。
カルヴィノの背中には見事に魔法陣が転写されていたが、見ている間にその紋様が少しずつ薄くなっていくのが分かる。
「恐らく成功したと思います」
「おお!」
「ありがとうございますジットレイン殿。お前たち、服はカルヴィノの背中に掛けておけ。武器を持ってないか身体検査をしたとでも言っておけば良い」
「承知致しました」
「まあ、念のために本当に身体検査もしておく方が良いな。武器や魔道具でなくとも不審なものを身につけていたら取り上げておくように。それと、ジットレイン殿とクライス殿や妹君がここに来たことは誰にも秘密だ」
「はっ!」
「ライノ殿、背中の魔法陣はしばらくすると完全に見えなくなりますが、誰かが居場所を探知するときには浮き出ます」
「その瞬間に背中を見られたら気づかれる訳ですね」
「ええ。ただ、服を着ていれば周りに気づかれることもないでしょうし、体を拭いているときでも自分の背中は見えませんから」
「確かに。たまたま探知されてるタイミングで、誰かと一緒に風呂にでも入っていない限り大丈夫でしょう」
「あ、そ、そうですね...」
俺は何の気なしに思い浮かべたことを口にしてしまったが、シンシアさんが顔を真っ赤にしていることに気が付いて後悔したよ。
++++++++++
三人で中庭に戻ると、宴会は続いているものの、なんとなく全般に終了モードな雰囲気に変わっていた。
明日の出発は順延になったし、夜通し騒ぐかと思っていたのに意外だな。
「おや、意外に早く解散なんですね?」
そんな俺の疑問には、エマーニュさんが苦笑気味に答えてくれた。
「演武大会を行うとシーベル卿が宣言されたので、両家の騎士たちが明日に備えて英気を養おうと早々に撤収を始めました。こちらの家人の方々も、中で明日の準備を始められているようですね」
「なるほど、みなさんやる気満々なわけですか」
楽しそうに中庭を眺めていた姫様がこちらに向き直った。
「ええ、当家の騎士たちは今夜の不寝番を誰が引き受けるかで競りが始まったところですわ」
「え? 姫様、競りってなんです?」
「明日の演武に出場する気のない騎士が、見返りがあれば誰かの不寝番を代わりに引き受けると冗談を言ったところ、その見返りの内容がどんどん値上がりして面白いことに」
えぇー、騎士として怪しからん態度だとか品性が好ましくないとか怒ったりはしないんだな・・・
どこまでもフリーダムなリンスワルド家だ。
俺が驚いた顔をしているのを見た姫様が嫋やかに笑う。
「遊びの範疇でございますから。それに、今日はめでたい日でございますので、たまに羽目を外すのも好ましいことかと」
まあ、リンスワルド家の騎士団がやるときにはやる人たちだって事は、俺も重々承知してる。
あの絶望的な数のブラディウルフの群に囲まれた状況にも恐慌を来さず、凜として立ち向かってたんだからね。
「それとシーベル卿、さきほど家令の方がいらして『明日の婚約式の段取りをシーベル家にお任せ願えますか?』と尋ねられたので、お願いしておきました。あの二人が喜ぶことならなんでも歓迎でございます」
「お気遣い痛み入ります姫君。それでは、あのお二方を今夜からお預け頂けますか? 当家の家僕にお二人の準備を手伝わせたく思いますので」
「はい。まさかスタインも明日の演武に出場する気は無いでしょう」
それはどうかな? と、個人的には思うけど・・・
「感謝致します」
「いえ、当家の家人に過分なお気遣いを頂き、感謝するのはこちらでございます」
「なにを仰いますか。シーベル家の顔を立てて下さる姫君のお心、本日の諸々の出来事と共に、この老骨の心に刻みつけておく所存ですぞ」
姫様はそれに和やかな笑顔で答えると、話題を変えた。
「ところでカルヴィノへの施術はいかがでございましたか?」
「ジットレイン殿のお陰で上手くいったようですな」
シンシアさんがその後を継いで姫様に報告する。
「とりあえず、術式の埋め込みは成功しました。頂いた地図に探知魔法を埋め込む作業をこれから行います」
「シンシア、さきほどライノ殿から徹夜はダメだと諭されたでしょう? 今日はもうゆっくりして、明日の作業にしてはどうですか?」
「徹夜はしませんが、私も明日の婚約式と演武大会は楽しみたいと思いますので、いまから少しだけ進めておきます」
「分かりました。それなら良いでしょう」
「それではジットレイン殿、部屋を用意しておりますのでご案内致しましょう」
シーベル子爵がそう言って手を上げると、すぐに家僕の一人が駆け寄ってきた。
「ジットレイン殿を客室にご案内してくれ。それと魔道士殿のお仕事があるゆえ、部屋付のメイドたちには断り無く室内に踏み込まないようにキツく申し渡しておくように」
「かしこまりました。では魔道士様、ご案内致します」
「それでは皆様、一足先に失礼致します」
「おやすみなさいシンシアさん」
シンシアさんが去って行ったところで、姫様は俺の方に向き直った。
「ライノ殿、シンシアの探知魔法が上手くいくとして、具体的にはカルヴィノをどう扱うおつもりでしょうか?」
「正直どこに閉じ込めておいても危険なだけだと思いますから、できるだけ早く解放して泳がせる手段を考えたいですね」
「見張っていても、まだシーベル家に害を及ぼす可能性があると?」
「エルスカインの作ったホムンクルスに、どんな罠が仕込んであるか見当も付きませんよ。妙な魔法や呪いを受け止める呪物のようになってる可能性だってある」
「まー無いとは言えないかなー?」
パルミュナもその解釈に賛成だな。
「それがどんなものであれ、エルスカインが遠くから操れる可能性がある存在を手元に置いておくのは危険でございましょうね」
「そういうことです」
正直、情報も取れないようならさっさと放逐したいが、ただ解放したんじゃ罠だと怪しまれるだろう。
伯爵家の姫様を襲ったんだから普通ならその場で成敗、捕縛して裁判に掛けたとしてもやはり死刑か終身刑かな?
どんな前例があるのか知らないけど、無罪放免はあり得ない。
仕方ない。
あんまり気は進まないけど、一か八かやってみるか・・・
もし上手くいけば、これはこっちの大きな得点になり得る。
「シーベル卿、相談なんですけど、ちょっと家臣の方にも協力して貰えませんか?」




