レティシア姫の理想
「あら? わたくしはライノ殿と二人っきりになって、少しばかり甘い言葉などを囁き合ってみたかっただけですのよ?」
言うまでも無く、このニコニコ顔は姫様特有の『いたずら顔』って奴だ。
「まったく。姫様ほどの美人に微笑まれたら大抵の男は自分の役目など忘れてしまいますよ? 本気にしてしまったらどうするんですか?」
「もちろん光栄ですわ。シンシアに妹がいれば良いのにと、いつも思っておりましたので」
「いやいやいやいや。そりゃ俺だって光栄ですけど、冗談の範疇に収まらない話になりますからね」
「そうですわね。まず先にパルミュナちゃんの許可を頂きませんと」
「そこですかっ?!」
姫様はクスリと笑って続ける。
「ですが、本当にライノ殿とそんなやり取りが出来る世界だったら、どれほど良かったことかと思います」
そう言って、また少しだけ寂しそうな表情に戻った。
『世界』か・・・
「いま、危機が迫っているのは恐らくリンスワルド家だけじゃない、ってことが仰りたいんですね?」
「はい。以前に仰っていたように、エルスカインはなにか途轍もないことを企んでいます。それなのに、今日までわたくしはリンスワルド領が狙われていると言うことを意識しすぎておりました」
「そうは思いませんが?」
「いえ、そうなのです。リンスワルド領民の生活を案じていても、それは自分の家の中のこと、言うなれば身内の話に過ぎません」
「でも俺は前にも言ったように『自分の手が届く範囲のこと』にしか向き合えませんよ?」
「勇者様のお考えと慈愛の深さは承知しております。ですが、周囲の力を借りることによって、その『届く範囲』を少しでも広げられるのであれば、それは試みるべきことなのではないかと思い始めました」
パルミュナも似たようなこと言ってたっけ。
なんでも一人で背負い込まなくてもいいし、人の世はみんなで作っていくものだと。
「それで、具体的に姫様の考えていることはなんです?」
「今日のことで、どうやらエルスカインがミルシュラント公国全体と大公家も狙っているのだと分かりました」
「まあそうですね、ちょっと意外な展開でしたけど」
「もはや、ことはリンスワルド家の存亡に留まりません。ですので、すぐにも大公陛下に勇者様の存在を知らせた方が良いと思うのです」
「俺が勇者だと大公陛下に教えるって事ですね? それは前にも言ったように、必要だと考えた相手には独断で教えても構わないと思っていますよ? 俺の許可なんて不要です」
「もう少し具体的に申し上げましょう。大公陛下を勇者様の臣下に加えた方が良いのではないか、ということです」
「はい?」
「大公陛下を臣下にすべきかと」
「いや? いえいえいえ、何を言ってるんですか姫様。大公陛下って大公陛下のことですよね? ミルシュラント大公のことですよね」
「左様でございます」
「何処をどうやったら、一介の勇者が大国の君主を臣下にするなんて話が出るんですか? あり得ないでしょう?」
「そうは思いません。ですが臣下という表現が悪ければ、大公陛下の力を使うでも、公国軍を動かすでも構いませんが...要は勇者様お一人の力ですべてを解決しようとなさるのではなく、国の関わる問題は、国を絡めて解決してこそ意味があるかと」
これは確かに、二人っきりにならないと口に出来ない話題ではあるな。
それにしても、想像以上に過激なご意見だった。
「そうだとしても、国が動けば戦争になるでしょう?」
「エルスカインを倒すことこそ最も優先度の高いこと。それは勇者様も納得されているはずです。ならば、そのために使える力は躊躇無く振るうべきでございましょう」
「えーっと、なんて言えばいいのかな...例えエルスカインがルースランド王家を乗っ取っていたとしても、それは国としての行いと言うよりも、やはりエルスカインという、言わば『悪党一味』の所業ですよ。国と国が云々ってことじゃないのでは?」
「国とは人の集まりです。沢山の人の力を集めるからこそ大きな力を振るえる存在です。その国を覆うほど大きな屋根、それを支える責を勇者様一人に押しつけるのは間違いでございましょう。それは、その屋根の下に集う皆で支え合うべきもの。でなければ、とても大きな屋根とは呼べないかと存じます」
えっと、そこまでの『大きな屋根』は想定してなかったんですけど?
ダンガも、そういう意味では言ってないと思います。
「でも姫様、俺はそもそも乱れた奔流の影響を少しでも散らすために大精霊に雇われた男に過ぎないんですよ。言い方は悪いけど、濁った魔力で汚れた場所や、澱んで詰まってる場所を綺麗にする程度のことしか出来ません」
「グリフォンを瞬殺できるお力があるのに?」
「戦いで解決できる問題って実はそんなに多くないですよ。これは破邪だったときでも同じ考えでしたね。幾ら魔獣を屠っても、魔獣がそこに集まる原因をどうにかしないと問題は解決しませんから」
「ですが、あの日、わたくしどもを救って下さったのは間違いなく勇者様のお力です」
「それでも、闘う規模を大きくしたからって解決できることは増えないし、逆に辛いことや悲しいことが広がるだけです。挙げ句は憎しみにまで...その最たるものが戦争じゃないですか?」
「ならば、ルースランドとの戦争にならない方法をみなで考えましょう。戦争を起こさずにエルスカインを倒すための方策を練りましょう。国の力を使うと言えど、それがすなわち大軍を動かすという事ではありません」
「まあ、それはそうでしょうけど...」
「お聞き下さい。先ほどわたくしが大公陛下を臣下にする、と言った真意は、その意志の流れが一方向だけ、だからでございます」
「意志の流れが一方向ですか? どういう意味です?」
「わたくしは勇者様が、大公陛下とミルシュラント公国の持つ力をエルスカインとの戦いに使うべきだと思います。しかし、勇者様が大公陛下のご意向に沿って動く必要は欠片もありません。いえ、むしろ有ってはならないことだと」
ああ、そういう・・・
「勇者様は、何処の国のどんな君主にとっても、己が為の『力や権威』となる存在ではございませんから。それは『破邪』の立ち位置と同じでございましょう?」
「仰る通り...確かに、そこに否はないですよ」
軍に入った破邪は、もはや破邪じゃない。
そして何処かの権力者の下に付いた勇者は、もう勇者じゃないんだ。
「むやみに人心を集めてはならないという大精霊様からの忠告は、よくよく承知しております。ですが、いま我らの前には未曾有の危機が迫っていると思います。それは、ポルミサリアが戦火に蹂躙された太古の悪夢から蘇ったなにかでございましょう」
闇エルフの系譜か・・・
たぶん、悪夢と言うに相応しい存在なんだろう。
そして闘う手段を選んでなどいられない相手だというのも分かる。
「わかりました姫様。俺の考え方が狭量だったようです」
「そんなことはございません!」
「いやそうですよ。だからこそ、今こうして姫様と話せたことが本当に有り難いって思います」
「もったいないお言葉でございます」
「ただ、それにしてもミルシュラントを治める大公陛下が、俺たちの願いなどそうそう聞いてくれるものですかね?」
「そこはお任せ下さいませ。もしも大公陛下が勇者様の意に沿わないことを言い出したときには...」
「時には?」
「縁を切るだけでございます。大公陛下と勇者様、どちらに忠義を尽くすべきか火を見るよりも明らかでございましょう」
「大公陛下?」
「分かっていて仰ってますよね、勇者様?」
「ちょっと、さっき揶揄われた仕返しをしてみました。すみません」
「なんのことでございましょう? 今日のわたくしはずっと本音で話しておりますので、一度たりとも勇者様を揶揄ってなどおりませんわ」
そしてニッコリと微笑む姫様・・・かなわないなあ。
「参りました!」
真面目に、姫様の決意は尊敬に値するものだ。
自分の一族や領地の平穏を越えて、本当に世の中を良くする方向に力を向けたいという意志を感じ取れる。
それは、『勇者に諂う』といった薄っぺらいものじゃない。
俺なんかが一度も抱いたこともないような大きな理想が中心にあるのだ。
「それではライノ殿、串焼きが品切れになってしまう前に中庭に戻りましょうか?」
うん、話が終わって、また『ライノ殿』呼びに戻ったね。
でもさっき『勇者様』と呼ばれていた間も、決して不愉快ではなかったよ。
俺は、心の底からレティシア姫のことを人として尊敬しているんだから。




