カルヴィノの企みとは
「お兄ちゃん、結界張るから手伝ってー!」
「おう」
パルミュナの希望でみんなにはゲオルグ青年の部屋から退出して貰い、パルミュナと二人で部屋に残った。
姫様たちはパルミュナが結界を張るところを一度見ているのだから、別にそのままいても良さそうだが、子爵とゲオルグ青年が退出するから歩調を合わせたというか、気を遣ったんだろうね。
しかし、最初は精霊魔法でお湯を温めることすら出来なかったこの俺も、いまやパルミュナが結界を張る手伝いが出来るようにまでなったとは感無量だな。
「で、なにをどう手伝えばいいんだ?」
「もちろん、アタシが倒れた後の介抱役ーっ!」
はい。
俺が馬鹿でした。
と言うよりも、自己評価が高すぎました。
『姫様に次ぐ魔力量を持つ魔法の天才』とパルミュナから褒められたシンシアさんでさえ、魂への宣誓魔法を一度に数人ずつに施すのがやっとだって言うのに、俺に何が出来るというのか・・・
精霊に力を貰っている勇者と言っても、中身は『俺』だもんな。
「それにしても、あれやるのってホントは魔力関係なしに大変なんだろ? そんなちょくちょくやっても大丈夫なのか?」
「アレはねー。でもここは奔流からも遠いし、どーせ大きな結界なんか張れないから、宿屋の部屋なんかに張った結界の強化版って感じかなー」
「そうか、それなら負担もそんなに大きくないか?」
「うん、大丈夫よー!」
「なら介抱役なんかいらないだろ」
「しまったー!」
もちろん、これはパルミュナのじゃれた演技だ。
愛い奴め。
でもいいんだよ、俺はお兄ちゃんなんだから。
パルミュナの細っこい体をを抱えるくらい、いつだってやってあげるさ。
部屋の中央に立ったパルミュナが両手を広げると、足下から同心円状に波紋が広がり、やがてその光の中に魔法陣が浮かび上がった。
宿屋で張ってくれてた結界に較べると強化版と言うか、遙かに複雑で強靱だってことは俺にも分かる。
これならしばらくの間は、邪悪な思いを持ってる奴を部屋からはじき出すくらいは訳ないだろうね。
魔力の波紋が広がった様子から想像すると、結界はこの部屋を中心に本館くらいはカバーしてる感じだけど、ラスティユ村やリンスワルド邸に張った奴に較べれば、覆っている範囲は数千分の一もないか・・・
それにこの結界には豊穣のまじないだの、ちびっ子たちとの盟約だの、エトセトラな付加効力はなにも無くて、単に邪気を閉め出すだけだ。
そう考えると、あのパルミュナの大結界がどれほど凄い大技かは、容易に想像が付く。
魔法陣が一度光を強めた後にすっと消え去ると、その中央に立っていたパルミュナが掲げていた両手を降ろした・・・が、黙ってそのまま動かない。
「どうした?」
俺がそう言うのと、パルミュナが背中から床に倒れ込むのがほとんど同時だった。
その場に崩れ落ちるのではなく、まるで硬直している棒のように、真後ろに倒れ込んでいく。
間違いなく後頭部を床に叩きつけるパターンだ!
俺は咄嗟に動きを加速してパルミュナの背後に回り、斜めになった体を無事に受け止めた。
「おいパルミュナどうした! 大丈夫かっ!」
慌てて問いかけると、俺の腕の中に倒れ込んだパルミュナは薄らと目を開けてニヤリと笑いやがった。
「ぜーったいに受け止めてくれると思ってたんだー!」
「おまえなあ...」
「へっへー」
「今度やったらぶっ飛ばす。本気で心配したんだからな?」
「ごめんなさーい」
「まあとにかくお疲れさん。いつもフォローしてくれてありがとうな」
「うん!」
腕の中のパルミュナを立たせて、外の廊下で待っている姫様や子爵たちに声を掛けた。
「お待たせしました。これで大丈夫でしょう」
「ありがとうございますクライス殿! パルミュナ殿! なんとお礼を申し上げて良いか...」
「お礼はさっき言って頂きましたよ? これでご子息が健康を取り戻せて、シーベル卿の日々が平穏になるなら良いことです」
「なんとも有り難いことです!」
「もう二度とカルヴィノはこの部屋に踏み込めないのでしょうね」
「奴に限らず、ホムンクルスも邪心を持つものもですね。この部屋はちっちゃな聖域みたいなもんです」
「ふむ。では逆にカルヴィノをこの部屋に閉じ込めて、『秘密を喋れば出してやるぞ?』と脅すとか?」
ヴァーニル隊長、意外に怖いこと言うな・・・
「きっとその前に死にますよ。それに、カルヴィノからエルスカインの情報をどれほど得られるかって言うと、あまり期待できそうにない気がしてるんですよね」
「ライノ殿の目から見て、あのものは意志が強そうでしょうか?」
「いえ、単純にエルスカインから宣誓魔法を掛けられてるんじゃないかと。それに恐怖も強いと思います。失敗した上に裏切ればどんな目に遭わされるかって思うでしょうから」
子爵もそれには同意した。
「確かにそうですな。自白させるのは少々骨かもしれません」
「仮に口を割ったとしても、重要な情報を下っ端に見せてるはずがないだろうとも思いますしね」
「ええ、仰る通りですわね。それにゲオルグ殿を病床に陥れたのが今年の初め頃だとすれば、いまのわたくしたちの行動ともあまり関係ないように思えます」
「ですね。たぶんカルヴィノ自身はリンスワルド家の来訪を想定してなかったでしょう。俺たちがこの部屋に来ると聞かされて、慌てて無茶な迎撃態勢をとったような気がしますから」
「ふむ...先程ライノ殿が仰っていたように、エルスカインほど慎重で手の込んだ計画を立てる奴らが、咄嗟の思いつきで行動するというのは、確かに不自然ですな」
ヴァーニル隊長が納得顔で同意した。
「しかし、ではなぜ奴は我々に攻撃を? いままで通りに黙ってやり過ごせば良かったであろうに...」
あ、シーベル子爵の表情がちょっと曇った。
ヴァーニル隊長に悪気はないけど、それって子爵家一同が『ずっと欺されてて』しかも『今後も欺され続けたはず』って意味だもんね。
「奴は自発的なエルスカインの手下ですから、単純に姫様を押さえれば大きな『手柄』になると考えたのかもしれませんよ。姫様と一緒に来た人は全部、あのモヤで押さえ込んでしまえば後はなんとでもなると...」
「ふむ」
「あるいは、単に姫様を襲うチャンスがあったらそう行動するように、条件反射みたいに仕込まれていた可能性もありますね。どうせエルスカインにとってはただの捨て駒でしょうし」
その可能性も高いな。
ホムンクルスをどこまで操れるのか?
まだ分からないが、元になっている『本人』の意志と無関係に行動させることだって出来なくはないかもしれない。
「俺と妹が一緒にいることはエルスカインからも知らされてなかったんでしょう。だから姫様たちだけがここに来ると思ったのでは? 俺の姿は見えてたでしょうけど、この服装ならただの護衛に思えるでしょう」
すると姫様がシンプルな疑問を口にした。
「もしやカルヴィノは、王都までわたくしどもとご子息を同道させたいという、シーベル卿のご意志を知らなかったのではありませんか?」
「そうですな。当家に姫君がお見えになると決まってから考えたことですし、誰にも話しておりません」
「父上、私もそんな話を伺った覚えはありません。きっとカルヴィノも知らなかったでしょう」
「ああ、この件はクライス殿に承認しもてらってからお前に話そうと思っていたからな。ぬか喜びさせては悪いだろう?」
「そうでしたか父上...」
「となると、カルヴィノが姫様の来訪を千載一遇のチャンスと考えた可能性はありますな」
「ええ、ヴァーニル殿の言う通り、もしもクライス殿が息子に会いたいと仰らなければ、カルヴィノはじっとしていた気がします。明日は何食わぬ顔で息子と一緒に馬車に乗り込んでいた可能性もあるでしょう」
護衛隊長のヴァーニル氏にとっては、その方がぞっとする展開だったかも?
「それにしてもライノ殿...わたくしを狙うのはともかくも、カルヴィノはなぜ、ゲオルグ殿を病床に押し込めるような罠を張ったのでございましょうか?」
たぶん、姫様が襲われたのはオマケと言うか、予定外のボーナス獲物扱いされた感じだろう。
だけど、ゲオルグ青年はずっと前から計画的な罠に嵌められている。
「推測ですけど...ゲオルグ殿を王都に行かせれば、王宮付きの治癒士に診て貰えるという話をされてましたよね?」
「ええ、恐れ多くも大公陛下御自らにお声がけ頂いた話です」
「それに随伴するのが目的だったのでは?」
「え?」
「大公陛下にお目通りできるか、王宮に入り込めるか、それがダメでも、少なくとも王宮の治癒士と接点がもてる。それだけなら、そもそも王都に行かなくても、最初の話通りここに王宮付きの治癒士を派遣して頂くってことでも問題ないでしょう?」
「クライス殿、それはまさか!...」
「いえシーベル卿、わたくしもライノ殿の仰る通り、そのまさかであろうと思います。恐らくエルスカインはご子息が大公陛下の縁者であることを知った上で計画したのではないかと。もしそれが上手くいかなくても、シーベル家を揺るがして乗っ取る隙を作れると考えたのでしょう」
うーん、すると家督の相続を狙う二人の弟ってのも、すでにエルスカインに取り込まれてる可能性があるのかもしれないな・・・
「しかし、大公家を狙うなど言語道断。事が露呈したらシーベル家は断絶となってもおかしくありません!」
「相手はエルスカインですわシーベル卿。国を乗っ取るくらいのことで躊躇するような輩ではございません」
「ううむ...」
実際に何度も狙われている姫様が言うとリアリティがあるね。
それにエルスカインの企みは、恐らくもっと大きな枠組みだろう。
「ですが...こんなことを口にするのは気が重いのですが...なぜ、カルヴィノは息子を取り込んで操ろうとしなかったのですか? 何を企むにしても、その方が手っ取り早く思えるのですが?」
まあ、普通はそう思うよね。
ゲオルグ青年かシーベル子爵本人を取り込んだ方が手っ取り早いだろうと・・・
「それは、あのモヤの魔物に精神を乗っ取られたままだと長くは生きられないからですよ。隠密にことを進めたいなら、計画の途中でゲオルグ殿やシーベル卿を死なせてしまうわけにはいかないでしょうから」
「なんと...」
シーベル子爵の表情はなんとも苦渋に満ちたもので、ちょっと言い方がマズかったかなー? と反省した俺だった。