Part-2:シーベル子爵領 〜 結界の効果
パルミュナが結界を張った翌朝、いつも通り部屋での朝食を終える頃になって、再び姫様とエマーニュさんが訪ねてきた。
ちなみに朝食のパンと一緒に出されるジャムやコンポートの類いは、いまや五種類に増えていた。
ゴキゲン顔のパルミュナが『次はどれにしようかな〜?』などと言いつつ次々とパンに載せては平らげていく。
ホント、美味いものと甘いものに関しては俺と同じぐらいの量を平気でペロッと食べるよなあ・・・体格は全然違うのに。
「おはようございます。その後パルミュナちゃんは大事ありませんでしょうか?」
「ええ、ご覧のとおり朝から甘味三昧してますよ」
「心配させたならゴメンねー?」
「とんでもありませんわパルミュナちゃん。友人を気遣うのは当然のこと。それに早速ですが感謝と共にご報告することもございます」
「まあ姫様、あの結界はパルミュナの気持ちですから、大袈裟なのは止めましょうね?」
「はい、そこは承知しております。あの結界はパルミュナちゃんが手を差し伸べてくれた、大きな屋根でございますので」
「え?」
「みなでドラゴン探しの旅に出ようとなった会議のとき、ダンガ殿が『これは大きな屋根だ』と仰いました。わたくしはその意味が分からなかったので、実は昨夜みなさんが館に戻る前に伺ってみたのです」
「あぁ、そうだったんですか...」
「嵐で友人宅の屋根が壊れたときに友ならば修理を手伝うと。わたくしは、それを聞いてライノ殿やパルミュナちゃんのお考えが本当に腑に落ちました。みなで守り、そしてみなを守る『大きな屋根』...とても素晴らしい考え方かと思います」
「ダンガたちは心底、良い奴らですからね」
「その通りでございますね...それで実は先ほど家令からの報告がありまして、ここ数日内に食材を納入に来るはずだった馴染みの商人が屋敷に来てないと」
「はあ...」
「えっー、この朝ご飯で最期...?」
「そんなことで姫様が伝えに来るかバカモノ!」
姫様とエマーニュさんはパルミュナの素っ頓狂な声を聞いて、いかにも楽しそうに微笑んだ。
そもそも商人が納品に遅れた程度のことで、姫様にまで報告が上がるはずない。
「妙に気になった家令が調べさせたところ、今日の夜明け頃に警邏のために巡回していた衛士は、この屋敷に向かう馴染みの商人を見かけて言葉を交わしていたのです。ところが、それからしばらくして、その商人が凄い勢いで街道に戻っていくのを見かけたと」
「それって、ひょっとすると?...」
「はい、恐らくはパルミュナちゃんの結界に恐れをなして逃げ出したのでは無いかと」
おぉーっと、早速思わぬ効果が。
ラスティユの村では、翌朝すぐに出立してしまったから具体的な効果を知る機会が無かったけど、さすがパルミュナの精霊魔法は強烈だな。
ただ、この屋敷の敷地に入れずに引き返してしまった商人って言うのは、明らかにヤバい奴ってことだよな?
「うーん、その商人はただの悪人だったのか、それとも誰かの手下だったのか、そこが問題ですね...」
「仰る通りかと思います」
「そいつって、きっとエルスカインの手下だったんでしょー」
「おいパルミュナ、そんな軽々しく決めつけちゃいかんだろ?」
「でもさー、人の『悪』ってなんなのかって考えたら、あの結界はゆるゆるだよー? 商人なんて周りを出し抜こうとして当前だし、嫌な気持ちや悪い出来心なんて誰にだって生まれるし、そーゆーのも全部、悪人だって決めつけてたら人の世なんて成り立たないじゃん?」
「あー、それもそうか...強欲な商売人や、不埒なこと思い浮かべるだけで近づけなくなるってのは、現実的じゃ無いよなあ」
「でしょー? だから、あの結界が弾くのは悪って言うより『邪心』なの。明確に人々を傷つけようって意志? 目的? そーゆーの」
「そういたしますと、自然な人の行いや心の緩みを悪と断じず、ハッキリとした害意を持った者だけを拒むわけですね?」
「うん、そーゆー感じ」
「さすがでございます、パルミュナちゃん!」
どうも姫様の言葉遣いと『パルミュナちゃん』という呼びかけ方がしっくりこないが、まあそれはどうでもいいか。
ともかく、誰にでもあるような心の揺らぎは見逃し、明快な敵意を持って近づいてくるモノだけを弾くのか・・・
ホントにさすがだなぁパルミュナ。
でも、『悪の定義』とか、全然そう言うことに思い至ってなかったお兄ちゃんは、ちょっと自分の考えの浅さに落ち込みそうですよ?
「しかし、御用商人がエルスカインの手下だったというのは、ちょっとキツい状況ですね」
「今後は一層、当家に出入りする人々の精査が必要でございましょう。ただ、引き返してしまった出入り商人は、ただの市井の行商人ですので、大きな問題は無いかと思われます」
ん? 行商人?・・・
「お抱え商人ではないんですか?」
「そもそも、リンスワルド家には、通常で言う『お抱え商人』や『御用商人』なるものは存在しません。誰にも独占は許しませんが、領内の商人は何処の者であろうと、内容と値段が適切であれば、ここに商談に来ることが出来ます」
「なるほど...」
そりゃ凄い。
およそ商売というか経済に関しては、どこまでもフリーダムだなリンスワルド家は。
「とは申しましても、その商人が、これまでに何度も来ていたのは確かですので...これまでにも、なんらかの仕込みや情報漏洩があったと考えておくべきかとは思います」
「ですね。用心した方がいいでしょう。あの襲撃の後ですから、タイミング的にも狙っての行動に思えます」
たぶん、毒入り食材なんてシンプルな方法じゃ無いな。
シンシアさんのような強力な魔道士がいれば、大抵の毒など浄化されてしまうし、伯爵家ともなればその程度の用心は通常の手順に組み込まれているはずだ。
となると、家僕の誰かを懐柔するとか、あの御者のように体の乗っ取りを謀るか、いっそ何らかの手段でホムンクルス化して入れ替えるとか?
分からないけど、なんにしても新しい切り口を作ろうとしてきたことは間違いないだろうな。
かなり先を見越して仕込みを図ってきたような気がする。
「姫様、これは少し出発を急いだ方がいいかもしれませんね?」
「わたくしもそう思います。エルスカイン側の立ち直りが早いのか、これまでとは別の手立てを仕込もうとしているのかは分かりませんが、動きがあったことは確かでございましょう」
「無理のない範囲で急いだとして、姫様とエマーニュさんは出発準備をどの程度で終えられますか?」
「シンシアの宣誓魔法のかけ直しと、コーネリアスの人選は済んでおりますので、後はわたくしとエマーニュが留守の間の領地運営に関する指示をまとめる作業だけです。二日もあれば十分かと」
エマーニュさんも姫様の言葉に頷いて見せた。
「あらかじめ言っておくと予想以上の長旅になってしまう可能性もありますから無理はしないで下さい」
「お気遣いありがとうございます。ノルテモリア家もエイテュール家も、家令はしっかりとした人物ですので、わたくしどもが指示さえ誤らなければ問題はありません。エマーニュ宛ての書状もこちらで処理できるように手を打ってあります」
さすがだ。
家令って、初めてここに来た日に玄関前で色々な指示を出していた人かな?・・・
いや、あの人は立場的に筆頭執事とかか。
考えてみると、リンスワルド家の領地運営そのものって言うか、『政治経済部門』の人たちは見てない気がする。
「そう言えば姫様の...なんていうか事務官とか補佐官的な人はいないんですか? この屋敷でお会いした記憶がないので」
「領地運営に携わる官吏たちはフォーフェンにおります。ほとんどの事業は年度ごとにやるべきことを事前に決めておりますし、臨機応変に対応すべき細かなことは経済活動の中心地で決済した方が、様子も良く分かりますし、領民にとっても負担がありませんから」
「あれ? じゃあ、フォーフェンにいる家臣たちへの宣誓魔法は?」
「すでにシンシアが出向いて済ませております」
それで何日か見かけなかったのか。
全部ひっくるめて、なにもかもさすがですよ姫様!
「ただ、残念ながらエイテュール家の官邸で働く家臣たちに対応するのは、わたくしどもが戻った後になってしまいますが」
エマーニュさんは、俺が一瞬だけ心配そうな顔をしたのに気が付いたのかもしれない。
いつも通りにニッコリ微笑んで言った。
「もしも私たちが今度の旅から戻れなかったとすれば、キャプラ公領地の乗っ取りを心配しても致し方ありません。それに御姉様の領地さえ無事であれば、なんとでも巻き返しは出来ると思いますわ」
ふわりとした大輪の花のような雰囲気をまとっていても、さすがはリンスワルドの一族だな。
エマーニュさんも芯の強い人だ。




