レティシアとエマーニュ
呼び名の件はさておき、パルミュナの宣誓魔法はエイテュール子爵にも効いていると言うことだから、これは大きな安心材料だ。
それに物理的にも、姫様と一緒にいてくれるなら守りやすい。
「しかし、いま現在のリストレスというか、キャプラ公領地は領主が不在だと言うことですよね? そっちは大丈夫なのですか?」
「ライノ殿、わたくしはキャプラの領主ではなく、あくまでも大公陛下から任命された地方長官に過ぎません。言うなれば、ただの代官であって公国の機構上の存在に過ぎないのです」
「うーん、たしかに公領地の領主は王室というか、大公陛下ってことになりますね...」
「はい。ですので、行政上の手続きや裁可が滞りなく行われていれば、私個人がその場にいるかどうかは、あまり問題ではないのです」
「そういうものですか?」
「ええ。そもそも、私を実際に長官本人として目にしているものは上層部の部下たち以外にほとんどいませんわ。御姉様同様に、領民には姿を知られてないと言っても良いかと思います」
そう言えば、これまで地元の人間と話した中でエイテュール子爵の名前は何度も登場したけれど、その容姿が話題に上ったことは一度もない気がするな・・・
なるほどね、みんな実際に姿を見たことがなかったのか。
改めて納得だよ。
それにしても、リンスワルド伯爵領とキャプラ公領地は、その領民たちが考えていた以上に、『一体として』の領地運営がされていたというわけだ。
でもそれは効率的ではあるけれど、諸刃の剣でもあるよな。
もしもリンスワルド一族全体に何かが起きれば、ノルテモリア家もエイテュール家も連座して総崩れになる可能性だってあるし、まさにエルスカインがそういう脅威だろう。
「そうすると、エマーニュさんはいつ頃までここにいられるんですか? なんだかんだ言っても、いずれはリストレスに戻らないといけないですよね?」
「いえ。職務上は私が官邸にいなくても問題ないようになっています。どうしても裁可が必要な時には使者がここに参ります」
「じゃあ当面は大丈夫ですね」
「なんでしたら今後はライノ殿のお側が執務室だという認識でも...」
「叔母様?」
「た、譬え話ですよ? シンシア」
「あ、えーっとですね。姫様やシンシアさんとエマーニュさんが、一緒に行動して下されば、こちらとしては守りやすいってことなんです。もちろん、エルスカインにとっては標的がまとまってて狙いやすいとも言えますが、手数が少ないのは俺たちの方です」
「それは、仰るとおりですね...」
「こういう言い方をするのは気が引けますけど、俺もパルミュナも一人しかいません。だから、できるだけ固まって行動した方がいいかなって思うんですよ」
「そこはライノ殿の言うとおりでしょうな。決してエイテュール家の騎士団を低く見ておるわけではないが、今回は相手が悪い」
「理解しております、ヴァーニル殿」
「できれば当面の危機が去るまでか、エルスカインの目的や行動がハッキリするまでは、エマーニュさんには姫様と一緒にいて貰いたいですね。ひょっとすると、長々と侍女役を押しつけてしまうのかもしれませんけど」
「それは問題ありませんわ。御姉様も私も互いの侍女役には慣れておりますので」
「しばらくはその方向でお願いします。後、ダンガたちには新しい村の候補地探しも進めて貰いたいんだけど、それはレビリスの返事が来てからでもいいかな?」
「もちろんだよライノ」
「じゃあ、そっちは少しの間レビリス待ちってことで」
ふう・・・
とにかく自分の正体を可能な限り人にバラさないってことを前提にしていたし、レビリスと一緒に養魚場を見学に行った時には、まさかこんな形でリンスワルド伯爵本人と親しくなるとは思っても見なかったからなあ。
レビリス、驚くだろうな・・・
しかしエルスカインの存在を知っている姫様本人の口から直接聞いてみると、奴の当面の狙いはハッキリした。
魔力の奔流を利用しやすい場所を手中に収めようと狙ってることも、ガルシリス城でのあいつの発言と合致してる。
その向こう側にある『本当の狙い』もなんとか見つけ出さないといけないのは変わらないけど、まずは次にどんな手を打ってくるかだな。
いつまでも受け身で防衛してるだけじゃあ、いずれ足下を掬われる気がするから、なんとかエルスカインの行動を読みたい。
「じゃあ今後の行動ですが、俺とパルミュナは王都へ行くのを少し先延ばしにして、ダンガ兄妹と一緒に、しばらくこの屋敷に滞在させて貰おうと思います」
「分かりました。ライノ殿、ご恩や臣下云々という話は抜きにして、ライノ殿のご一行みなさまに、ここで心やすく過ごして頂きたいというわたくしの気持ちは、寸分たりとも変わりません」
「そう言って頂けると、気が楽ですね」
「はい。友人同士ならば、ますます遠慮は無用でございましょう。どんなご要望でも、まずはここにいるわたくしたちに躊躇なく伝えて下さいませ」
「ありがとう姫様。それとですね、姫様とエマーニュさんやシンシアさんを守ると言うのも当然だけど、エルスカインが最終的に一体何を狙っているのか、その情報も集めたいと思うんです。で、それについて皆さんも、なにか当てと言うか考えはありませんか?」
姫様が、少し考え込む表情を見せた後に、口を開いた。
「これは...本当に不確かな情報、いえ、うわさ話といっても差し支えない範疇なのですが...」
「むしろ、そう言う話が欲しいんですよ」
「そうなのですか?」
「俺が師匠から教えられたことの一つに、『情報を得るときには、聞きたい話だけを聞こうとするな』っていうのがあるんです」
「ほう?」
情報収集の手段って話だと、ヴァーニル隊長が食いつくね。
「俺は、そりゃどうしてだよって師匠に聞いたんですけどね。師匠は『物事の鍵は、むしろ、どうでも良さそうな話題の中に転がっているものだ』と、そう言ってましたよ。目の前にあるけど見えてない、そういうことが鍵になるんだそうです。それに聞きたいと思うことは自分の中で結論ありきになりがちなんで、誤りに気が付きにくいとも言われました」
「なるほど! さすがライノ殿の御師匠様ですなあ!」
師匠、今度そっちに戻ったら騎士団の護衛隊長が師匠のことを褒めてたって教えてあげますよ。
「では...わたくしの知っている噂の内容なのですけれど、エルスカインはエルフ族の一員だという話があります」
ああ、そう言えばガルシリス城の調査の時も、まずレビリスがそんなことを言い出したんだったな。
エルフの時間感覚なら、二百年というのは断絶してるほど昔じゃないってことで、叛乱伯の事件と旧街道の悪い噂に繋がりを感じたんだった。
「その推測は、俺の友人のレビリスもガルシリス城の一件の時に言ってましたね。仮にエルスカインがエルフ族なら、二百年前の確執でも弟子や一族か、ヘタをすれば本人自身でさえ引っ張ってるだろうって言われて俺も納得しましたよ」
「はい、しかし、その...エルフと言っても普通のエルフではなく...その...」
なぜか姫様が口ごもっている。
「はい?」
「闇エルフの系譜に繋がる存在が、いまも生き延びているのだと」
ああ、口ごもった理由はそういうことか!
太古の世界戦争の時代に、血も涙もない禁忌の魔法でアンスロープ族を産み出した『闇エルフ』という忌むべき名前を、ダンガたちの前で言いづらいのは分かる。
彼らの祖先というか種族全体への加害者みたいな存在だからな。
でもダンガたちは、特に耳も表情も動かしていない。
内心がとっても分かりやすいアンスロープ兄妹が、なにも反応していないと言うことは、いまでは遠い過去のご先祖の出来事に過ぎないんだろうな。
「しかし、伝承では闇エルフ族は残らず呪い返しを受けて、敗戦と同時にエルセリア族に変貌したと聞きましたが?」
「僕らもエルセリア族が闇エルフの子孫だって聞いてます。ただ、いまはもう僕らアンスロープもエルセリアもまとめて獣人族なんて言われてる時代ですから、気にしたことないですけどね」
おお、ダンガの気にしてないよ宣言で、姫様の表情がちょっとだけ柔らかくなった気がする。
「そうすると...つまりエルスカインはエルセリア族の可能性があるってわけですか?」
「いいえ」
「え?」
「エルスカインはエルセリア族なのではなく、闇エルフそのもの、その血を継いだ系譜であるという噂です」