思いがけぬ晩餐
姫様がワイングラスを手に持って立ち上がり、続けてシンシアさんとヴァーニル隊長も同じくグラスを持って立ち上がったので、俺も慌てて追従する。
パルミュナも、ちゃんとグラスを持って立ち上がった。
そしてエマーニュさん、わざとパルミュナから一拍遅れて立ち上がったな?
なんという細やかな気遣い・・・
「それでは、私どもをお救い下さいましたクライス殿とパルミュナ殿への感謝と、今後の勇者様ご一行のご武運を祈って、この杯を捧げさせて頂きたく思います。乾杯!」
「乾杯!」
姫様の掛け声に続いて、向こう側のお二人も乾杯の声を上げる。
変な言い方だけど、『乾杯を捧げられている側』としては少々気恥ずかしい。
だけど、空気を読んで俺たちも乾杯の声を上げる。
「ありがとうございます。乾杯!」
「かんぱーい」
ただ、言葉では『乾杯』といったものの、庶民が酒場で騒ぐ時のように『一気に飲み干す』ということではないらしく、姫様たちは俺とパルミュナに向けてグラスを掲げる仕草をして、そのまま席に着いた。
俺たちもいったん座ってから、改めてワインを口にする。
・・・なにこれ?
吃驚するほど美味しい!!!!
なんて言うか、ただ甘いのでも渋いのでもなく、色々と複雑な味や香りが口の中を駆け巡る。
すごく豊かな葡萄の味わいはもちろんだけど、甘いバラとスミレの花の香りもするな・・・それに野いちごの酸味と甘みが合わさってて、ちょっとプラムのような風味も感じるし・・・あー、もう俺の乏しい味覚と語彙じゃあ凄いとしか表現できないのが悔しい。
思わずパルミュナの方を見ると完全に予想通り、目をまん丸にしてワインを味わっていた。
この表情はあれだな。
フォーフェンでイチゴのタルトを食べた時に匹敵してるな。
「なんて言うか、凄いワインですね」
素直に姫様に感想を言うと、心の底から嬉しそうな表情を見せた。
「気に入って頂けましたら光栄です。この地域で作らせているワインなのですが、まだ生産量が少なくて市場に出すまでに至ってないのです」
「ここの産品なのですか? 凄いじゃないですか。もしも外で売られるようになったら大人気間違いなしだと思いますが...」
「ワインの仕上がりは、その年の天候の影響を受けやすいので、なかなか安定して作れないのです。国外から招聘した専門農家の話によりますと、この山あいの盆地はワイン用の葡萄造りに向いている土地らしいので、なんとか軌道に乗せて、いずれはリンスワルドの特産品にしたいと考えておりますが」
「そうですか...それは楽しみですね!」
「姫様、このワイン、ものっすごく美味しいよー!!」
パルミュナも大絶賛だな。
もしワイン造りが軌道に乗って市場で売られるようになったら、頻繁に買えとせがまれる状況が目に浮かぶようだ。
たぶん、宿屋で飲むエールの百倍くらいの値段がしそう・・・
ワインの美味しさには吃驚したが、それよりもまず不思議だったのはダイニングルームに入った時に、テーブルの上には各々の場所にカトラリーと、空っぽのグラスやお皿が置かれているだけだった、と言うことだ。
座ると同時に給仕係のメイドさんが寄ってきてワインを注いでくれたが、相変わらず目の前にはなにも乗っていない空っぽの皿が置いてある。
貴族の風習とか良く分からないので、余計なことは言わないに越したことはないと思ってワインを味わっていると、俺たちが入ってきたところとは逆側の扉が開いて、大勢の給仕係がトレイを掲げて入ってきた。
とたんに、室内に得も言われぬ良い匂いが漂い始め、目の前の大皿の上に、そのままもう一枚の皿が置かれた。
なるほど。
最初から置いてあった方のお皿は、受け皿みたいな役目だったのか。
新しい白い磁器の皿の上には小さく薄く切ったパンが幾つか並べられていて、そのパンを土台にして色とりどりの肉や野菜が載っている。
薄切りのハムとかソーセージとか、酢漬けの魚かな? あと素材が良く分からないパテみたいなものもあるけど、どれも見るからに美しくて食欲をそそる。
なにしろパルミュナでさえすぐに手を出さずに、白い皿の上のカラフルな盛り合わせをほーっと眺めているくらいだ。
気持ちは分かるぞ。
綺麗すぎて食べるのがもったいないくらいだよな?
とは言え、いつまでも眺めていても仕方がないので、一つを指で摘まんで口に入れる。
衝撃が来た。
パンの上に載っているのは普通の生ハムを刻んだものだと思うんだけど、想像していた味とはまるで違う。
よくある火を通してない生のハムの塩漬け肉っぽい味じゃなくて、何か、全然違う材料のソースがその下に隠れていた。
咀嚼すると、パンと生ハムと粒々した野菜が口の中でそのソースと絡まっていく。
生まれて初めて食べる味だなこれ・・・
『なんとかの味』っていう説明ができないから、ただ美味しいとしか言いようが無い。
ゆっくりと味わって余韻を楽しみながらワインを口に含む。
第二弾の衝撃!
さっきの劇的に美味しいワインが舌の上に流れた途端、まだ口の中に残っていたさっきの味わいが、もう一段膨らむのを感じた。
フォーフェンの宿屋の食堂で、苦いエールと一緒にドライソーセージと塩たっぷりの葉野菜を口に流し込んだ時のような、いや、あれよりもっと劇的な味の変化が口の中に巻き起こって、ワインで流したはずの空っぽの口内に唾液が出てくる。
美味しすぎるでしょう、この組み合わせ!!!
「これ凄いなパルミュナ」
「んー」
パルミュナが大人しい。
咀嚼に夢中だからね。
俺も堪らず、次の一品に手を伸ばす。
パンの上に載っていたのは微塵に刻んだ酢漬けの小魚なんだけど、それがとても複雑な味を醸し出している。
この独特の風味は、どこかで食べた記憶があるんだが・・・・
ああ、これは養魚場の食堂でパルミュナに一口だけ貰った、魚醤焼きの風味だ。でもこれは焼いてるんじゃなくて、酢漬けの魚を刻んで油と魚醤に和えてるんだな。
そこに薄くスライスしたフェンネルの爽やかさが合わさって絶品。
どれを食べても、『とても美味しいですね』系統以外の言葉が出せない自分のボキャブラリーの貧弱さが悲しくなるが、それでも姫様に感動を伝えることは出来たと思う。
カナッペという種類の料理らしいけど、初めて出会った美味しさに感激している俺とパルミュナの姿に、姫様も喜んでくれているし・・・
『ワインと料理がとても合う』という感想を述べたら、本当に手を叩くほどはしゃいで喜んでくれた。
グラスの中のワインが残り少なくなると、すぐに給仕の人が現れて追加が注がれる。別に後ろに立って見張っているわけでもないのに、絶妙なタイミングだな。
そして俺とパルミュナの前にあるカナッペの、最後の一個を二人が食べ終わったというタイミングで空になった皿がサッと取り除かれ、入れ替わるように次の皿が置かれた。
これまたなんという絶妙なタイミングの合わせ方!
もう、料理の中身と同じくらいに感動的だよ。
そして、次の皿の上に載っていたのはなんと・・・
嬉しさのあまり、思わず姫様に報告してしまう。
「いやー驚いたけど嬉しいですね。実は俺、この鱒料理大好きなんですよ。バターとフェンネルのソースが美味しいですよね!」
ところが、俺がそう言うと姫様は怪訝な表情を浮かべた。
「クライス殿は、どこかでこの料理を食べたことがおありに?」
「ええ、フォーフェンで泊まっていた宿屋の食堂で。なんでも川魚の料理がこの辺りの名物だとか言われてお勧めされたんです。そこで食べた鱒の塩焼きも絶品でしたけど、リンスワルド領の名物料理なんでしょう?」
「もし差し支えなければ、その宿屋の名を教えて頂けませんか?」
「え? はあ、『銀の梟亭』という宿屋の食堂ですが」
「...クライス殿、お手元のカトラリーのハンドルの付け根をご覧下さいませ」
「えっ?」
姫様にそう言われて手元に目を落とすと、両手に持つ銀のナイフとフォークの刃元というか柄の根元部分には、精巧な彫金で飾りが施してあった。
そこには、木の枝にとまる梟の図案が施されている。
「ええっ! まさか!」
「あそこの料理人は、以前、当家で働いていたものでございます」
「それは...また、なんとも奇遇な...」
あの店で食べた様々な料理の絶妙な味わい、そりゃあ納得だよ。
市井の店にしては凄いと思ってたけど、まさか伯爵家の元料理人が腕を振るっていたとはね。
それにしても、伯爵家の専属という名誉も安定もある、人に羨まれる立場から、街の宿屋への転身とは、いったいどんな事情があったのだか・・・
聞いちゃ悪いかな?
「実は二年前の、あの養魚場での事故の後のことなのですが...」
おっと、そうきた?
まさか、大好物の鱒料理から、その話題に流れ込むとは予想もしてなかったよ・・・
でも折角の鱒料理が冷めるのは嫌なので、食べながら聞かせて貰うとしよう。