<閑話:レティシアの驚愕>
わたくしは、大きな秘密を抱えて生きてきました。
耳の形は人間族のようでも実は長命なエルフ族であると言うこと自体は、人間族と他の人族を公平に扱うことが根幹となっているミルシュラント公国ではそれほど秘密にする必要も無いのですが・・・
わたくしが、実はとっくの昔に爵位を継承していたことや、実際の年齢は秘密です。
あと、すでに立派に育った娘がいることも。
これは決して乙女のうんぬんといったわたくし個人の事情ではなく、領地と領民の平穏にとって不可欠なことだからです。
本当です。
しかしながら、これほど長く生きてきていても世の中にはまだまだ、わたくしを心の底から驚愕させることがあったのです。
伯爵家と子爵家の共同事業に関わるキャプラ公領地の視察を終えて領地に戻る途中のこと、屋敷まであと半日少々というところで、突然の襲撃を受けました。
それも襲ってきたのは、暗殺者とか武装集団と言った類いではなく、魔獣の群れだったのです。
もちろん、ただの魔獣ではありません。
野生であれば決して群れることなどないブラディウルフが、何十匹という大群で押し掛けてきたのです。
しかも、移動中用の簡易なものとは言えシンシアの防護結界を抜けてきているのですから、普通の存在であるはずがありません。
わたくし自身、魔力量は依然としてシンシアより多いものの、魔法使いとしての修行を積んでいるわけではありませんので、自分の身を守るために使える術は限られています。
ましてや、馬車や周囲の人々を守るすべなど持ち合わせておりませんし、リンスワルド家の誇る騎士団の、それも精鋭とも言える護衛部隊の騎士たちも魔獣との戦いなど、たまの討伐ぐらいしか経験はないのです。
それでも果敢に馬車の周囲を守ってくれている騎士たちが、少しずつ魔獣に押され始めるのを見て覚悟を決めました。
我が身の魔力と修めた武術にすべてを託して、わたくし自身も馬車の外に出て戦おうと。
すでに長く生きてきた身です。
愛するシンシアとエマーニュさえ無事でいてくれるなら、なにも後悔はありません。
私と一緒に外に出て闘うと言い張るエマーニュとシンシアを諭し、馬車の扉に手をかけようとした、まさにその瞬間のことです。
明らかに周囲の空気が変わりました。
ただただ見境無く猛り狂っていた魔獣たちの間に、緊張感とも言えるものが波紋のように広がったことを感じます。
そして窓の外を一瞬、何かが走り抜けました。
その姿が見えたわけではありませんが、なにか強大な魔力を纏った存在が、隊列の脇を走り抜けたことを感じたのです。
いつの間にか、隊列の周囲から聞こえてくる護衛騎士たちの声も、ついさきほどまでの絶望感に包まれたものから、明らかに互いを鼓舞し合うものに変わってきています。
そしてしばらくすると、この馬車を取り囲んでいたはずのブラディウルフたちの気配も消えていました。
しかし、不思議なことに周囲は静かです。
勝利の勝ち鬨も聞こえず、騎士たちも淡々と後始末をしているようですし、後ろの馬車から治癒士のブラウン婦人が呼び出され、倒れている騎士の治癒に当たっているのが窓から見えました。
危機は去ったらしいものの、状況が今ひとつ掴めずに戸惑っていると、護衛隊長のコーネリアスが戦闘が終わったと報告してきました。
様子を見ようとすぐに馬車の外に出たのですが、そこにあったのは驚くべき光景でした。
車列の脇に斃れているおびただしい数のブラディウルフ。
少し離れたところに座っている、威風堂々たる巨大な狼。
アンスロープ族の方だとすぐに分かりましたが、先ほど、車列の脇を駆け抜けていった魔力の塊は、恐らくこの方々だったのでしょう。
それにしても、変身したアンスロープ族の方を見るのはすうじゅ、いえ随分と久しぶりのことです。
そして、見慣れぬ破邪風の装束を纏った男性・・・
私には、その破邪が只者では無いことが一目で分かりました。
他の皆は気づかないようですが、じっと佇んでいるだけなのに、その身に纏う魔力はアンスロープの方々をさえ遙かに凌駕しています。
コーネリアスが、その男性とアンスロープの方々を指し示し、我らの救援に駆けつけてくれ、ブラディウルフたちを打ち倒して下さった恩人であると言いました。
そうでしょうとも。
その姿を見れば、一目でそれが嘘では無いと分かります。
恐らく、この方々がいらっしゃらなければ騎士団は危機に陥っていたでしょうし、私も馬車の外に出て戦わざるを得なかったでしょう。
それでも、シンシアとエマーニュを無事に守り切れたかどうか自信はありませんが。
しかし・・・
驚きはそれだけではありませんでした。
いえ、むしろ、この襲撃現場での驚きなど、ほんの前奏だったのです。
その後、恐らくはこの先に用意されているだろう第二波の罠を警戒して、城へ直接戻らずにポリノー村に陣を敷き、シンシアの魔法とわたくしの魔力で防護結界を張りました。
しっかりとした魔法陣を構築した上に馬車を並べ、それこそ、昼に襲撃を受けたブラディウルフの群れ以上の数が来ても間違いなく撃退できる、そんな万全の体制で備えていたはずのわたくしたちが目にしたものは・・・絶望でした。
なんとグリフォンが空から襲いかかって来たのです。
ええ、恐ろしいグリフォンです。
いまにして思えば悠長なことを考えていた私たちの前に、グリフォンという絶望的な存在が舞い降りてきたのです。
よもやエルスカインが、グリフォンほど強大な存在さえ操れるとは考えてもいませんでした。
そのグリフォンは、私とシンシアの張った防護結界を崩そうと執拗に攻撃してきます。
人並みでは無い魔力量を誇っているわたくしでも、さすがにグリフォンを凌駕することはあり得ません。
物理と魔法、グリフォンから双方の攻撃を受けて防護結界が揺れます。
同時に、またしても沢山のブラディウルフが村に走り込んできました。
いつまで持たせられるか・・・
むしろ防護結界の維持を諦め、まだ魔力のあるうちにこの身を犠牲にしてシンシアとエマーニュだけでもなんとかして逃がすべきか・・・
そんな後ろ向きな考えが頭をよぎった時、急にグリフォンが絶叫と共に結界への攻撃を中断しました。
一体どうしたのかと空を見上げた時、私の目に映ったのは宙に浮かぶ一人の男性でした。
そうです、昼に私たちを救って下さった破邪の方です。
遠目に、小柄な女性を抱いているように見えますが、剣を振るうでもなく、ただすっとグリフォンに向けて手を伸ばし・・・そして次の瞬間、グリフォンの体が爆発して落下しました。
もちろん結界があるので馬車の上には落ちませんでしたが、地上に落ちてきたグリフォンは、すでに絶命しているようです。
空に浮かぶ破邪は、続けて襲いかかってきた二頭目、三頭目のグリフォンをも、あっという間に粉砕して地上に叩き落としてしまわれました。
なんと言うことでしょうか!
普通ならば大軍が出動しなければ討伐できないはずのグリフォンを三頭、たった一人で、しかも剣すら使わず、わずかに手を動かしただけで離れた場所から叩き落としたように見えます。
何よりも、あのお方は空に浮かんでいるのです。
普通の破邪、いえ、普通の人であるはずがありません。
村に走り込んできたブラディウルフの群れは、昼同様に狼姿に変身したアンスロープの兄妹が蹴散らして下さっていますが、この方々の尋常ならざる強さも、あの方のお連れ様であれば当然のように思えてきます。
しかも、三人のうちの一人など本当に愛らしい女の子だというのに。
手を一振りするだけで、人々の絶望を打ち砕けるお方。
私の知る限り、これほどのお力を持つ存在はただ一人・・・
時折、時代を超えて世に現れる『勇者様』以外にはありえません。
街道であれだけの数のブラディウルフを倒しておきながら、まるで奢ったところの無かった謙虚な破邪の男性は・・・なんと、この時代に降臨された勇者様の、世を忍ぶ仮の姿だったのです!
その時のわたくしは、伝説の勇者様とお会いすることの出来た喜びで、歓喜のあまりに気を失うかと思いました。
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エルスカインの刺客を撃退したあと、大精霊である妹様のご助力もあって重要な課題にも解決の糸口が見えて参りました。
途中、勇者様との親密さを実感できそうな機会もあったのですが、それは妹様が肩代わりされました。
もちろん、大精霊の御業を下賜頂いたのですから、不満を感じるようなことではありません。
・・・ちょっと残念だっただけです。
落ち着いたところでふと気が付いたのですが、夕刻に馬車の中でお話しさせて頂いた折には、わたくしの本当の年齢について、ぼやかしたままにしておりました。
よもや敬愛する勇者様に嘘や隠し事をするわけには参りません。
勇者様が嫌になるほどわたくしよりも若いという年齢差など関係なく、それは勇者様の臣下にとって義務とも言えましょう。
ええ、言わなくてはならないのです。
すでに勇者様も大体の見当は付けているはずですし・・・
でもやはり正確な数字をお伝えしなければ・・・
勇気を振りしぼって勇者様にお声がけしました。
「あの、ゆ、いえクライス様...お話ししておかなければならないことがございます」
「なんでしょう?」
「すでに、おおよそのところはご承知と思いますが、わたくしの、その...年齢を、クライス様にお伝えしていないままだったので...あの場では笑って流してしまいましたが、やはり隠し事をしていることは自分にとっても快くなく...」
「姫様、それを俺に言う必要はありませんよ?」
「えっ」
「年齢なんか関係なく、姫様もシンシアさんも本当にお美しい方です。それでいいじゃないですか?」
「っ!...は、はい!...」
勇者様、いえ、クライス様、素敵です。
もう、素敵すぎます。
それと、女性の年齢をどう扱うべきかをクライス様に教えたという、御師匠様も大変素晴らしい方です。
凜々しいクライス様の笑顔に、年の差など忘れてときめいてしまいそうになります。
いえ・・・やはり嘘をついてはいけませんね。
実はときめきました。
ドキドキしました。
愛娘シンシアからのじっとりとした視線を感じていなかったら、思わずはしゃいでしまっていたかもしれません。
一つ言い訳をさせて頂きますと、エルフ族やコリガン族のように長命な傾向のある種族は、もちろん年齢を経るごとに経験と知恵を身に付けていきますが、こと感性や情緒的なものに関しては、実年齢よりも見た目年齢の方が近いままなのです。
つまり『十代のように見える』と良く言われるわたくしが、実際に十代の乙女のようにはしゃいだとしても不思議は無い、いえ、むしろそれが自然な姿であるとさえ言えましょう。
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なんとなくシンシアからの視線に冷たさを感じます。
まさかアルファニア留学中に、人の心を読む古代の禁忌の魔法など身につけてきてはいないと思うのですが・・・
そんな、人の道に外れるような行いに手を出してはいないですよね?