森の柵と結界
ケネスさんやヴァーニル隊長、それに騎士団の護衛数名ほどと一緒に、大量のスパインボアを引き連れてポリノー村に入って行く。
子供のおとぎ話に、楽器の美しい音色で街からネズミをおびき寄せて連れ出した男の話があるんだけど、そのネズミ一匹のサイズが千倍ぐらいになったら、いまの俺みたいな感じだろうか。
重さで言えば、スパインボア七十匹でネズミが七万匹分くらいにはなりそうだ。
楽器は演奏してないけどね。
でも、あの逃げた奴らが、魔法薬を使って従わせてることを知らなければ、そりゃあ村人の目には『魔獣の専門家』って風に見えただろうな。
先行している騎士の人が先触れしていたので、俺たちがスパインボアの群れを率いて村の広場に入っても混乱は無かった。
と言うか、広場には村長以下村の男たち全員が、地面に両膝をついて静かに並んでいた。
そんな悲愴な顔をして整列しなくても・・・まるで、処刑される前の一団みたいだぞ?
しかし村長の気持ちとしてはそれぐらいのことか。
知らずにとは言え我欲で姫様の暗殺計画に手を貸してたんだもんな・・・ぶっちゃけ、最悪は責任取っての処断も覚悟か。
「良かった! 無事お戻りになられましたか!」
「ファーマさん、逃げたスパインボアは連れてきました。とりあえずいまは元の柵に戻しておきます」
「ははっ!」
「姫様から十分な魔石も頂きましたから、当面、結界の維持に問題は無いでしょう。今後どうするかは、改めて騎士団の方と相談ですね」
「ははあっー」
いや、俺に謙られても困るんだけどな。
広場は大分片付いているが、あちこちらに散らばった小さな残骸や地面に染み込んだ大量の血までは当然取り切れていないし、生臭さも充満している。
ついさっきまで肉を捌いていたはずだから仕方ないんだけど、本当にここにあの姫様をお連れするのか?
やっぱり川辺の草地で野営した方がいいんじゃないだろうか・・・
「ダンガ、アサム、さっきの姫様の馬車に仕込んであったのと同じ匂いのモノが、村のどこかに無いか探してくれ。たぶん広場のどこかじゃないかと思うんだ」
「おうっ、承知だ!」
「レミンちゃんは俺と一緒に柵の方へ」
「はい!」
俺たちは、そのままスパインボアを引き連れて湖の方へと進んだ。
「この前もファーマ村長に案内されて、この湖の周りまでは検分したんだが、その先には畑も森も無いって言われたし『人が消えた』場所は反対側だって教えられてたんで踏み込まなかったんだ」
「それは仕方ないですよ。結界で囲んでありましたし、スパインボアたちも大人しくさせられてたから、よほど敏感じゃ無いと魔獣に気がつけないです」
「それこそアンスロープか破邪でないと無理そうだな」
「まあ、そんな感じでしたね...俺たちが駆けつけた時は、村人は全員あの島に押し込められていて、スパインボアに襲いかかられる寸前でした」
そう言いつつ島を見ると、俺が斬り倒した二匹のスパインボアの残骸が、まだそのままになっていた。
さすがにここまでは後片付けの手も回ってないか。
浮桟橋も固定していなかったので、またこちら岸に吹き寄せられていた。
湖畔の脇を抜けて森の中へと踏み込んでいき、柵のある方へ向かう。
「この前はこんな道あったかな?」
「見つからないように森の木や草で偽装されていたか、極端に言えば幻惑魔法でも仕掛けられていれば分からないですよ」
「しかしそうなると、誰かが見に来てもバレないように、事前に準備してあったって事か?」
「それこそ行商人のジーターが情報を流してたかも知れませんね?」
「ありうるな」
柵に辿り着き、粗末な木枠で組まれている扉を開けて、スパインボアたちを結界ごと中に追い込むが、逆らったり騒いだりする様子はみじんもなく、みんな静かに柵の中に入っていく。
一匹残らず中に入ったことを確認して扉を閉め、スパインボアたちを静かに隔離した。
周囲の要となる陣を刻み込んである箇所を探し、レミンちゃんと手分けして魔石をおいていく。
再度、柵に仕込まれた結界を起動させて様子を見るが、スパインボアたちの様子に変化は無い。
「よし、魔石だけでも結界の起動や維持に問題は無さそうだ」
「実際、この結界で何ヶ月もこいつらを飼ってたんだよな?」
「ですね。ジーターの寄越した五人の男ってのは、単に魔石を補充して村人を見張るためだけの役目でしょう」
「ところでライノ、村人の中に...裏切り者って言うと言葉は悪いが、一味の側に着いてた奴っていると思うか?」
「計画を知らされていた者がいたとは思えませんが、それは村長に確認した方がいいでしょうね。ただ、もしも、さっきの島に押し込められてなかった人物がいまでも村にいるとしたら、そいつは怪しいです」
「なるほどな、確認しておこう。まあ、この用意周到さからすると、逃げた五人ですら狙いが姫様だったとは知らされてない可能性もあるな」
「俺もそう思います」
村の広場に戻ると、ダンガとアサムがやってきた。
整列していた村人たちも解散させられているようだ。
沙汰は追って、と言うところだろうな。
二人に伴っている一人の騎士が、先ほど姫様の馬車から回収したモノと同じような仕掛けを手にしている。
「ライノの言うとおり、広場にあったよ。集会用の大テーブルの下」
「あー、俺たちの後ろにあったなそういうの...あの後すぐに襲撃されたから気にも留めなかったけど」
どうするかな、これ。
さっきのと合わせて、これから発散されてる魔法の匂いが、一応襲撃の目印になってることは確かなんだよな・・・
一番簡単な対策は、アスワンの革袋に放り込んでしまうことなんだが。
「これはどうしますか?」
「うーん、持ち帰って手掛かりを調べたいが、いま時点では持っていることが危険かも知れないと、そういうことですな...」
「ですね。仮に第二波、第三波の襲撃が仕組まれているならば、これを目印に魔獣を襲いかからせる可能性もあるでしょう」
「ウチの奴に魔馬を走らせて、先に居城へ届けてしまいましょうか?」
「いや、そんな訳にはいきません。もしも襲撃があれば治安部隊の方が身代わりの犠牲になってしまう。騎士団としては受け入れられませんな」
「ライノの結界で押さえ込めないか?」
「それは出来ますけど、それなりに魔力は消耗するんで、激しい戦闘が起きそうな時には余力を割きたくない感じですね。しかも、これを結界で包んでて、なお襲われたなら、全くの無意味だったってことですから」
「あー...そうなるか。それは戦力的にもマズいな」
「じゃあ、俺が狼の姿で走って...」
「ダメだ!!!」
おっと、俺とケネスさんとヴァーニル隊長の声が見事にハモった。
これは珍しいパターンだな。
「それは絶対にダメだよダンガ。気持ちは嬉しいけどな。でも本当になにが有るか分からないんだ。それに調べて何かが分かるほどの手掛かりが残されているかも微妙だろう」
「そっか...」
「湖に放り込んでしまいましょう」
ヴァーニル隊長がアッサリ解決策を口にした。
「そうだな、危険だと分かっているものを持っておく必要も無い」
ケネスさんも賛同する。
まあそうか。
これを調べたところで糸口に辿り着けるような相手じゃ無いな。
「クライス殿、この魔法薬が長期間効果を出し続けることは考えられますかな?」
「いや、中身が蒸散したら終わりでしょう。だからこそ海綿に染み込ませていたんだと思います」
「うむ、どんな方法をとっても、なにがしかのリスクはある。騎士団としては無辜の民に危険を押しつけるような真似だけはしたくないので、流して消してしまえるならそれが一番良いでしょう」
「水に沈めれば、すぐに薄まって消えると思いますよ」
「では、それで」
ヴァーニル隊長は、仕掛けを持っている騎士に二つとも湖に沈めて処分するように指示を出した。
さすがに重い鎧を着込んだ騎士に水辺の作業をさせるのは怖いので、ダンガとアサムにも魔法薬の仕掛けを湖に沈める作業を手伝うように頼む。
「ところでクライス殿、やはり今夜はこの村に姫様をお泊めしたいと思います。安全のために、スパインボアの柵にも見張りの騎士を置いておきたいですが、なにか問題はありますかな?」
「いえ、大丈夫だと思いますが、予備の魔石を持たせておいて下さい」
「ふむ、承知です」
気がつくと村の広場がすっかり綺麗になっていて、あれほど充満していた生臭い匂いも見事に消えている。
おお、広場全体を浄化したんだな。
さすがに姫様のご一行に随伴しているレベルの魔道士なら、そのくらいはあっという間か。
「さすが伯爵家の魔道士ともなると、これだけ広い場所でも一瞬で浄化してしまうんですね」
ちなみに『魔法使い』というのは技能や職業的な専門分野を示す言葉だが、『魔道士』というのは役職名である。
ちゃんとした家門に雇われて、魔道士という役職を任命されているものだけが名乗れる。
剣士はだれでも自称できるが、フリーの指揮官というのは存在しないのと同じだ。
「当家の筆頭魔道士はまだ若いですが、なかなかの傑物ですぞ? まあクライス殿ほどではありませんがな」
「私は魔法の方は大したことないですよ」
「何を仰るやら...ほら、ちょうどこっちに来ましたぞ」
ヴァーニル隊長が顔をしゃくった先で、いかにも魔道士然とした重々しいフードを被った、小柄な人物がこちらに向かって歩いてきていた。
ちょうどフードの下が逆光になっていて顔がよく見えないけど、眼光の鋭さを感じるな・・・それに、真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる辺り、ヴァーニル隊長か俺に用があるのだろう。
その魔道士は俺の前に来ると、バサリとフードをはだけて顔を見せた。




