アンスロープの力
「道の縁まで下がっててくれ!」
万が一の暴走を考えて、三人を道の脇に下がらせた。
彼らなら、いざと言うときは藪に飛び込めばスパインボアの追撃もかわせるだろう。
念のために自分の周囲にも防護結界を張り、硝子瓶を懐に抱いてスパインボアの群れに向かう。
先頭集団は俺の姿に警戒している様子だが、あからさまな敵意を見せるほどじゃあない。このサイズのスパインボアが人の姿を見て攻撃性を出さないってのは、一応まだ薬が効いているって事だよな?
普通のイノシシと同じように習性として、盛んに鼻を鳴らしながら俺の匂いから情報を嗅ぎ取ろうとしてるスパインボアの鼻先に、硝子瓶の蓋を開けて差し出してみる。
無いとは思うけど、この薬が『怒らせる方』だったら壮絶なシーンになるよな?
だがスパインボアたちは、その場に立ち止まってきょとんとしている。
正解か!
正解だよね?
まごついて固まっているスパインボアの群れに踏み込んでいき、先頭の一匹の頭をそっと撫でてみる。
俺が近寄っても警戒していないし、頭に触られても拒否反応も示さない。
どうやら、この薬の匂いで無事に従順化させられたらしい。
すぐに頭の中に防護の結界の魔法陣を呼び出し、その陣の構成をいじって結界の向きを反転させた。
理屈では問題ないはずだと思っていたが、実際に試したことは無かったから今回ぶっつけ本番だ。
ただの盗賊だと思い込んでたケネスさんたちをこれで閉じ込めるわけにはいかなかったもんな・・・
力の向きを逆転させた結界をスパインボアの集団に大きく被せ、徐々に有効範囲を絞っていく。
やがて狙い通り、内側に反発力を向けた防護結界は、魔力の柵としてスパインボアたちを閉じ込め、道の一カ所に固めることが出来た。
七十匹もいるので、結界の形が細長く伸びきっているのはご愛敬だ。
「後は、この薬の効果がどのくらい保つか、だな」
「これ、どうするんですかライノさん」
アサムが困惑している。
「このまま連れて行けるなら、村の柵に戻す。あそこには恐らく従順化させる結界が作ってあったから、俺が魔力を流せば再起動できるだろう。もしもダメか、途中で薬の効果が切れるようなら、可哀想だけどこいつらは俺が処断するしかない」
「可哀想なんですか?」
「そりゃあ、最後は殺すことになるだろうけどな...畜産ってそう言うモノだし。でも、出来ればただ意味も無く殺すんじゃなくて、肉にして喰ってやりたいかな」
「そっか...そうだよね」
「とにかく、まずは村まで連れて行けるかどうかだな。もし途中でこいつらの雰囲気が悪くなってきたら教えてくれ。その時は仕方ないからそこで斬る」
さて、これで一安心かな?・・・
そう思いたいのだけど、自分の中の何かが、まだ危険が去ってないと鐘を鳴らしている。
さっき俺はスパインボアを追い始めた時に、なにを思い浮かべたんだっけ?
ええっと騎士団の護衛のことだ・・・『七十匹のスパインボア相手じゃ全滅しかねない』って思ったんだよな。
ああそうだ、『しかねない』だったな。
絶対に全滅するとは確信してなかった!
あの、エルスカインが・・・
実験がてらとは言え、密室に閉じ込めてある、たった三人の俺たちを始末するために、あれほど沢山の魔獣を魔法陣から出現させた、あのエルスカインが・・・
確実にとどめを刺せないかもしれないヌルい手段しか用意してない、なんてはず無いんだよ!
「ヤバイかも。これたぶん、まだ終わりじゃ無い!」
「えっ?」
「たぶん、このスパインボアは魔獣の暴走を演出して、陽動と証拠隠滅する役目だ。暗殺の本命は絶対、他にもいると思う」
慌てて結界がしばらく持つように魔力を込め、同時に内外の干渉を一切封じた。
これでしばらくは保つだろう。
「じゃあ、いまこっちに向かっている姫様の馬車には、別の何かが襲い掛かるようになってるって事か?」
「多分な」
「間に合うでしょうか?」
「分からないけど、とにかく行ってみるしか無い!」
俺がそう言うと、ダンガとアサムとレミンちゃんは、三人で互いに顔を見合わせて頷き合った。
「ライノ、俺たちが狼になるから背に乗ってくれ。それが一番早い」
「マジで?」
「変身途中は無防備になるから、さっきは変身してる間もなかったけど、いまなら大丈夫だよ」
「ライノさんは、私たちが狼の姿を見せても嫌いになったりはしないって信じてます!」
「何度だって言うけど、嫌いになるわけ無いからね!」
「はいっ!」
ダンガとアサムはサンダルを脱ぐとそれを腰に吊り下げ、着ている上着やズボンの紐を何カ所かほどいた。
二人が目を瞑って全身に力を込める様子が伝わってくると、見ている前でその姿が変容し始めた。
全身の筋肉が一気に膨らみ、顔全体に毛が伸びて口と鼻が尖り始める。
顔が狼そのもののように変わっていくのに合わせてだんだん腰をかがめるような姿勢になり、同時に手先も深い毛で覆われていく。
見る見る間に、二人の体が巨大化していくと同時にほとんど四つん這いの姿勢になり、その後、ほぼ狼そのものの姿になっていった。
ただし、服は着たままだ。
なるほど!
三人の服がやたらあちこちを紐で交差させたドローストリングで留めてあるのはそのためだったのか。
服地や紐自体は魔力を通すと変形というか伸び縮みする素材だから身体の変形を受け止められるだろうが、それでも身体のサイズや関節の位置関係が大きく変わったときに、こうやって重なっている布同士のアイレットに通した紐で緩く結びつけて有れば調整も簡単だ。
結果、現在のダンガとアサムは巨大な狼が肩と背に布を被り、さらに下半身というか腰の一部がなんとなく元ズボンっぽいモノで覆われているという不思議なスタイルになっていた。
でもかっこ悪くは無いな。
うん、俺的には十分カッコいい姿の範疇だ。
彼らの服の素材を甲冑っぽくしたら、さらにカッコ良くなるかも・・・
それよりも君たち、さっきは『変身したらティンバーウルフよりちょっと大きい』みたいな言い方してたけど、その姿ってそんな生やさしいモノじゃ無いよね?
ブラディウルフだって威圧できちゃうサイズ感だよね?
「兄さん、アサム、横を見せてちょうだい」
レミンちゃんがそう言うと二人はレミンちゃんの脇で横を向いた。
その大きな身体をレミンちゃんが手早くチェックしているらしい。
「うん、二人とも腰帯も財布も大丈夫」
「レミンが一番器用なんだよ。だから、いつもこうして変身した後の服や持ち物に異常が無いか見て貰ってるんだ」
ダンガの声だ。
アンスロープの変身は、狼姿でもまったく声が変わらないのが凄いな。
「じゃあ、わたしも変わります...」
「ああ、急ごう」
「...あの、ライノさん、見られていると恥ずかしいので...」
「あーっゴメン、気が利かなくて!!!!」
慌ててレミンちゃんに背を向けると、変身しているらしい気配がした後、三人がぼそぼそと小声で話しているのが聞こえてきた。
「兄さん、服おかしくなってないかしら? まだ服が濡れてるから、ちょっと引き攣ってる感じなの。変なところが有ったら教えてね」
「問題ないよレミン」
「後ろ、めくれたりしてない?」
「いや、まっすぐになってるよ姉さん」
「そう? 下側も変じゃない?」
「うん大丈夫!」
やっぱり女の子だなー。
狼姿に変身しても服の乱れは気になるんだ・・・
しばらくすると、レミンちゃんから声を掛けられた。
「スミマセン、お待たせしましたライノさん。もう大丈夫です!」
その声に振り返ると、そこには想像を絶する可愛いワンコ、もといもとい、もといぃっっ!
間違えました、すみません。
カッコいい狼姿のレミンちゃんがスッと立っていた。
「レ、レミンちゃん...可愛い! 格好いい可愛い!!」
こんなに可愛カッコ良くて言葉が通じる狼とか、最強じゃね?
ダメだ俺・・・
自分がちょっと理性の箍を外しかけたのを自覚する。
「え、そんな...恥ずかしいです...」
「いや、本当に...なんか狼の顔も、やっぱり可愛い顔なんだね! ...あ、ご免。いま俺すごく失礼なこと言ったかも?」
「そ、そそんなこと無いですすすよ? 嬉しいです!」
いやでも本当に、ダンガやアサムに較べれば小さいとは言え、狼として考えれば巨大なのに、ちゃんとレミンちゃんの可愛さが顔にも毛並みにも残っていることに感動してししまう。
あと、スタイルもいい。
狼としても・・・
「良し! じゃあライノは俺の背に乗ってくれ!」
「普通に跨がっていいのか? ダンガ」
「ああ、落ちないように服の縁を掴んでくれれば大丈夫だと思う」
「なるほど」
友人におんぶして貰うという心苦しさは、このさい脇に置いておこう。