Part-3:エルスカインの襲撃 〜 スパインボアの柵
四人で村長の家を出て、まずは湖へと向かう。
島が見えるところの岸辺で、ダンガが匂いを辿り始めた。
「やっぱり、さっきの村人たちの中にはいなかった匂いが五人分ある」
「踏み跡からすると、その五人が森の奥へ行った後で、さっきのスパインボアの群れが村に入っていったようですね」
「よし、その五人で確定だな。追えるところまで追って行こう。ただし出会えば必ず戦闘になる。十分に注意してくれ」
「分かった」
「はい!」
「虎を追うつもりでやる。気は抜かないよ」
おお、そう言えば南部大森林には虎もいるんだよな。
「みんなにはさっきの防護結界を掛けておくけど、相手も魔法を使える可能性がある。戦闘になったら俺より前に出ないって事と、自分から攻め込まないってことだけは絶対に守ってくれな」
「うん、大丈夫だ。ライノの言うことには絶対に従うよ!」
いや、そこまで絶対視しなくても・・・でもいまはその方が安全か。
「とにかく、慎重にな?」
ダンガを先頭に四人で湖畔を進んでいくが、当面は匂いに頼らなくても、スパインボアの足跡を逆に辿っていけば、囲っていた柵のところまでは行けそうだな。
しばらく歩くと踏み跡が湖畔から離れ、森の中へと続いていく。
やがて木々の向こうに粗末な木の柵で囲った草地が見えてきた。
なかなか広いけれど、普通に森の木を切って作った柵で囲んであるだけで、どう考えてもスパインボアを押し込めておけるような場所じゃない。
慎重に近づいてみると、やはりなんらかの結界が張られていた様子が残っていた。精神を集中してみると、この付近には『ちびっ子精霊』たちは欠片もいない。
試しに、周囲の柵と地面に刻み込まれている結界の魔法陣に少しずつ魔力を流し込んでみる。
すると、ごく当たり前のように結界が起動した。
この結界は誰にでも扱えるように作ってある。
たぶん、必要数の魔石を設置しておくだけで動かし続けることが出来るだろう。
「この結界で本当にあのイノシシたちを静かにしておけたのかな?」
アサムは少しばかり不安そうだ。
魔法とか結界とか、そういうもので獣を扱うってこと自体に不信感がありそうだが・・・でも、それは良い感性じゃないかって気もするよね。
「スパインボアな? 魔力が渦巻いてるって感じでもないし、柵に沿って結界が立ち上がってるのは間違いない。外からの何かを防ぐっていう結界じゃないな。むしろ出さないようにする仕掛けだと思う」
「私たちを襲わせた時みたいに、中に閉じ込めたまま猛々しくするっていう心配はありませんか?」
「うーん、気配としてはそういう類いじゃ無いね...そっちは別の方法だと思う」
俺の横まで来たレミンちゃんがしばらく鼻をスンスンさせたあと、柵の周りを少し歩いて地面から何かを拾い上げた。
「なんでしょう、これ?」
小さな硝子の瓶だ。
村人が持っているような代物じゃないな。
「嗅いだことのない匂いですけど薬でしょうか? 中身が入ってますから、慌てて落としたのかもしれませんね」
「そうかもな。証拠になるかも知れないから、一応持っててくれるか」
「はい」
柵の周囲にはスパインボアの踏み跡が無数にある。
ダンガがその足跡を解説してくれた。
「湖と村に向かってる方は、みんな一斉に勢いよく走り出てるし迷いがない。この柵から出されたときには、あいつらはもう狂乱状態だったんじゃないかな?」
「兄貴、それって柵を開けた奴だって危なかったんじゃないか?」
「まあ、連中には抑える方法があるんだろうさ」
「残りはどうだ?」
「多い方が先に出されてるね。それは...」
と、森の奥を指差した。
道はないが、木々の間隔が広くて歩くのに支障は無い様子だ。
「並んで整然とあっちに向かってる。静かな歩き方だ」
「うーん、すると、先に七十匹くらいを連れ出しておいて、残した分を狂乱状態に怒らせてから村に向けて解き放ったって感じか?」
「そうだね...ただ、そっちも進んでる方向に迷いがないから、怒らせても湖と村に行かせる方法があったんだと思うよ」
「そうか。とりあえず逃げた人間たちを追ってみて貰えるか? ただし、罠を張られてる可能性もあるから慎重にな」
「わかった」
ダンガに先頭を進んで貰うのは怖いな。
目で足跡を見て追えるうちは、俺が先頭でいいか。
「ダンガ、スパインボアの足跡を目で追えるうちは俺が先頭を歩くよ。もし、途中で匂いが別れたら教えてくれ」
「いや、気遣ってくれるのは嬉しいけど、俺が前にいた方が匂いが追いやすいんだ。変な雰囲気はすぐに教えるから、前を歩かせてくれ」
「そうか...じゃあ頼む。気をつけてくれな」
そうなると、やっぱり俺が最後尾だな。
さっきよりも三人に被せる防護結界の魔力を高めて頑張る。
森の奥に入っていくに連れて地面から平坦さがなくなり、でこぼこした木の根に足を取られやすくなってきた。
「ここで向きが変わってるよ。太陽の方向からすると、俺たちがラスカ村を越えて歩いてきた道の方に向かってるな」
「急いだ方がいい。そのまま追おう!」
そこから半刻ほどの追跡で、ダンガの言ったとおり突然道に突き当たった。
「ここだ。だけど、五人の男はデュソートの方へ向かってる。スパインボアたちは逆方向だ。そっちには誰も人がついて行ってない...歩き方も大人しいままだな。静かだ」
どういうことだ?
リンスワルド城まで向かう街道との合流は、まだ先のはずだ。
それこそ、俺たちがケネスさんと出会った辺りだもんな・・・
スパインボアをただ歩かせても意味は無いから、なにか『意味』を持たせる仕掛けが必ずあるはずだ。
「ダンガ、さっきレミンちゃんが拾った硝子瓶と同じ匂いが、どっちかの方向に漂ってないか? いや、むしろスパインボアが行った方向に、この匂いが漂ってないか?」
ダンガはしばらく鼻をスンスンさせて答えた
「あるな! 正直、あの柵のところからずっとその匂いがあったから、気づかなかったよ」
「三人とも、よく思い出してみてくれ。湖から村に向かう道に、その匂いはしてたか?」
「なかったと思います」
「ああ、この匂いがし始めたのは、あの柵の辺りからだよ」
「じゃあ、この硝子瓶の中身は、たぶん魔法薬だ。スパインボアを大人しく従順にする力があるんだと思う」
「それで、ここまで素直に連れてこれたのか!」
「柵の結界から外に出すときに大人しくさせるためには、この薬が必要なんだろうな」
「でもライノさん、あっちに行ったイノシシたちが、このまま大人しく歩き続けるなんてことないよね?」
「スパインボアに、どのくらいの時間この薬の効果が保つのか次第だな...いや待てよ、俺たちを襲った方のグループは柵から出されるときには猛り狂ってたんだよな? そういう状態にする薬か魔法もセットであるはずだ」
「だよな...先に七十匹を大人しく連れ出して、それから残りを怒らせて解き放った...しかも、村や湖の島に向かわせる方法も、なにかあったんだろうし」
「そいつが事前に、この道の先か、あるいは姫様の馬車に仕込まれてるとしたら?...」
「ヤバイぞ!!!」
「とにかくスパインボアを追おう! 逃げた連中は後回しだ」
もう匂いを辿る必要も無いので、四人並んで田舎道をひたすら追う。
最初は少し足早に、徐々に小走りになって速度を上げていくが、三兄妹は息を切らす様子がまるでない。
もうこれ、普通に走っても大丈夫だよね?
って言うか、もし勇者の力が無かったら、俺っていまごろゼーゼー言いながら置いてかれてるよね?
さすがアンスロープ、凄い体力。
もうほとんど全力疾走の勢いで、逃げたスパインボアを追う。
一頻り走り続けていると、やがて前方に、ゴツゴツした茶色っぽい塊が見えてきた。
「いたぞ!!!」
少し小走りなスピードだが、猛り狂っているという感じではない。
「追い抜いて前に出るんだ! 脅かさないようにな!」
「藪を抜けよう!」
ダンガが先導し、道を外れて脇の藪に飛び込んだ。
ダンガたち三人はほとんど勢いを殺すこともなく、張り出した木々の枝を器用に避けながら急坂を駆け下りていく。
もうさっきから、アンスロープ族が野山で卓越した戦士だって言うことを、嫌と言うほど思い知らされてるよ。
必死でついて行く俺は、顔やら手やらパシパシ枝に打たれて痛い。
魔力節約で自分には防護結界を掛けてなかったからな!
藪を駆け下りて曲がりくねった山道を一気にショートカットし、スパインボアたちの手前に降りることが出来た。
「レミンちゃん、さっきの薬を出して!」
「はい、これです!」
レミンちゃんが俺に薬瓶を差し出した。
薬の量から言って、一匹一匹に飲ませるようなものじゃないし、柵の周囲や道に匂いが残っていた事からも、効果は匂い自体にあるはずだ。
ダメなら・・・可哀想だが、七十匹をここで処断するしかない。