森と湖の狭間に
集落の端まで来たところで、ダンガが畑と森の間に敷かれている小径を指差した。
「こっちを人が沢山通ってるな。さっきのイノシシみたいな魔獣に踏み荒らされてるから足跡は追えないけど、人の匂いはまだ残ってるよ」
「どの気配も森の縁に沿って進んでるな...」
「なんだか水の匂いが強いですね」
「峠を越すときに、村の向こうに湖みたいなのが見えただろ? あれじゃないか」
「ああ、そうだな。これは流れないで溜まってる水の匂いだ」
小道は村との境目を抜けて森の奥へと続いていた。
用心しながら四人で固まって進んでいくが、なにかを仕掛けられてる様子もない。
目の前でふさふさ揺れているレミンちゃんの尻尾が気になると言えば気になるが、見とれないように自分を戒めて進む。
「この先に人が沢山いるっぽいけどさ、なんだか凄くごちゃごちゃした感じだな...」
「ああ、匂いも気配も、何十人分も混じってるよ。これ、この先で全部一カ所に固まってるんじゃないかな?」
「さっきの魔獣の気配もあるか? 正直、気配もぐちゃぐちゃで俺にはよく分からん」
俺は、さっきまで猛り狂った数十匹のスパインボアと戦っていたせいで、細かな気配が分からなくなってる自覚がある。
こういう時は素直にアンスロープ兄妹が頼りだ。
「あるけど数は少ないかな。ウロウロ動き回ってるみたいだ」
しばらく歩くと急に視界が開け、湖の縁に出た。
周囲をぐるりと歩いても半刻は掛からなさそうな小さな湖だが、岸辺の近くに島があって・・・・マジか!
その小さな島には三十人近い村人が押し込められていた。
大人も子供も年寄りもいる。
村人全員だな・・・おっと、俺たちを罠に掛けた案内役の男もいるぞ。
全員が島の向こう側に固まってしゃがみ込んでいる。
どう見ても誰かに無理矢理押し込められた状態だけど、近くには縄を切られた浮桟橋が漂って、こちらの岸に風で吹き寄せられている。
なんで泳いででも逃げようとしないのか不審に思ったら、二匹のスパインボアが岸辺の近くを泳いでた。
普通のイノシシでも泳ぎは得意だが、スパインボアも同じだ。
「あのイノシシ、島に向かってるぞ!」
「スパインボアはイノシシとは違うんだ。目の前に肉があれば襲って喰う!」
急に赤ん坊の泣き声が響いた。
島に押し込められている中に赤ん坊がいたらしく、周囲の人間がビクッとして、母親が慌てふためいている様子が遠目にも分かる。
出来るだけスパインボアの気を引かないように、じっと息を殺していたんだろう。
一匹目は、もうじき島に上がろうとしているところだ。
「チクショウっ、あれ絶対に村人やられるぞっ!」
「くそっ!」
周囲には小舟も見当たらないし、泳いでて間に合う距離じゃないな。
俺が全力でジャンプしても、半分にも届かないだろう。
「ライノ、俺たちに掛けた防護結界の反発力って調整できるのか?」
「いまよりも強くは出来ん。弱めることは出来る」
「なら、俺たちがぶつかっても死なない程度に弱めてくれ! 俺が水に入って途中の支えになる!」
そうか、飛び石作戦だな!
俺が三人にかけた防護結界の反発力を弱めると同時に、ダンガが助走を付けて湖に飛び込んだ。
もちろん、アンスロープの脚力をもってしても島に届くはずもなく、岸から二十歩ほど離れたところに着水する。
ギリギリ足が立つのか、水面に肩を出したダンガがこっちに向かって叫ぶ。
「アサム、俺の頭を踏んで跳べ!」
「分かった!」
アサムがすぐに、ダンガの後を追ってジャンプした。
しっかり狙い通りにダンガの頭の真上に落ちかけたところで防護結界が作動して、アサムが弾き飛ばされる。
アサムはちゃんとダンガの頭の少し先を狙ったようで、うまく島の方に向けて弾かれた。
ダンガのさらに向こう側に着水する。
さすがにもう足は立たないらしくて立ち泳ぎだ。
凄いなアンスロープ!
この距離で、そんな正確に跳べるとは。
「レミン、行けるかっ?!」
「ハイっ! ライノさん、私を踏んでください!」
そう言ってレミンちゃんも跳んだ。
よくあんなに綺麗にジャンプできるもんだ。
ダンガの頭上で結界に弾かれ、そっくり同じ力でアサムに向かう。
レミンちゃんは空中で足を折り曲げて着地点を調整し、浮いているアサムの一歩先辺りに見事に足を降ろした。
レミンちゃんが綺麗に弾かれて、さらに島の近くに着水した。
すげえ・・・
狩人をやめて曲芸団とかに入っても十分に喰って行けそう。
アンスロープの人族離れした運動能力に舌を巻くが、まだ島までは遠い・・・レミンちゃんの結界を踏み台にすれば、俺ならギリギリ島まで届くか?
「ライノっ!」
ダンガが叫んだ。
水辺に立ち上がったスパインボアが首を振って鼻息を荒くしている。
「行くぞ!」
俺は数歩後ろに下がってから勢いを付けてジャンプした。
同時に精神を集中し、自分の知覚を加速して正確に動けるように空中からダンガの頭を見下ろす。
ダンガの後頭部に着地するかと思えたところで、結界が作動して身体が跳ね上げられた。
自分の掛けた防護結界に自分を弾き飛ばさせるなんて貴重な経験だ。
飛ばされつつも身体をぐっと折り曲げて足に力を溜め、その場で立ち泳ぎしているアサムの頭を狙った。
アサムの頭上に足が降りた瞬間、再び結界が作動して俺の身体が持ち上げられる。
二発目も上手くいった。
跳ね上げられた空中から、俺が跳んでくるのをしっかりと見つめているレミンちゃんを見下ろす。
ああ、こういう時は引き延ばされた時間が辛いな。
レミンちゃんの頭を踏み台にしようとしてる罪悪感も長引くから・・・
ま、本当に踏むわけじゃないけど、ちょっと心苦しい。
レミンちゃんの防護結界に触れる瞬間を狙って、俺は折り曲げた足に力を込めた。
結界の反発力を踏み台にして、全力で一気に島まで跳ぶ。
空中でガオケルムを抜いていた俺が島の岸ギリギリに着地するのと、スパインボアが村人たちに襲いかかったのがほとんど同時だった。
二匹目もすでに陸に上がっている。
村人たちの悲鳴が湖に響き渡る。
俺はそのまま全速力で村人たちの前に出て、飛び込んできた一匹目のスパインボアに向けてガオケルムを振るった。
ぎりで間に合ったな・・・
斜め前からスパインボアに向かって水平に払われたガオケルムの刃は、牙の伸びた口元から尻尾までを一直線に切り裂いた。
身体の横まで振り切った刀を背から大上段に振り上げ、続けて俺めがけて真っ直ぐに飛び込んできた二匹目の頭に振り下ろす。
突っ込んできたスパインボア自身の勢いと、俺の魔力の太刀筋が見事に一直線に揃ったせいで、コイツは綺麗に左右二分割になって倒れた。
さすがガオケルム。
とりあえず、これで村人は安全か・・・
村人たちは、いまはまだ恐怖に支配されてるって感じで、その場にうずくまったままだ。
浮き桟橋を壊して逃げた連中は、後のことは全く考えてないな。
あのままだったら全員スパインボアの餌になってただろうし、たぶん、ここは放棄するつもりだったんだろう。
まずはガオケルムに浄化を掛けて鞘にしまいながら岸辺の方を振り返ると、三人が一生懸命に泳いで浮桟橋を島まで引っ張ってこようとしていた。
その光景って、なんだか『俺一人だけ服が濡れてない』ってことに、もの凄い罪悪感が湧くんだけど?
我を取り戻した村人たちが口々にお礼を言ってくれるが、どうも反応が弱いというか、俺も恐れられてるみたいだ。
口調もぼそぼそしているというかビクビクしているというか・・・
『解放された!』っていう元気さがない感じ?
しばらくすると、アサムとレミンちゃんも泳ぐ状態から水の中をバシャバシャ歩く状態になって、こっちに浮桟橋を引っ張ってきた。
反対側の岸辺の方はダンガが押さえているだけだけど、村人が向こう岸に渡れさえすればいいのだから問題ないだろう。
俺たちを遠巻きに見ていた中から一人の男がおずおずと進み出てきた。
俺たちを罠に掛けた案内役の男だ。
「事情があったんでしょう?」
俺がそう言うと、男ははっとした顔をして地面にうずくまった。
「申し訳ねえです! 村の仲間に、それに女房と子供も人質になっとって、奴らに逆らえなかったで!」
「まあ、この様子を見たらそんなことだろうと察しはつきますよ」
「すんません、本当にすんません!」
「謝罪よりもまず経緯を聞きたいです。なにがどうしてこうなったのか説明して貰えますか?」
「へい...」
「まあ、ここで話していても仕方ないでしょう。とりあえず、みんな桟橋を渡って岸に戻って下さい。それから村で話を聞きましょう」
そう言って、全員に岸辺へ戻るように促す。
浮桟橋は細いから、一度に渡るのは数人ずつだ。
まだぐずっている赤ん坊を抱いた女性が進み出てきたのを見て、アサムとレミンちゃんは顔を見合わせると、なにも言わずにバシャバシャと水中に戻っていった。
ギリギリ足が着くところで、浮桟橋を両側から支えるつもりらしい。
本当にごめん。
って言うか、ありがとう。
この兄妹たちって、心の芯から優しいよな・・・
結局、村人全員が渡り終えるまで、アサムとレミンちゃんは肩まで冷たい水に浸かったまま浮桟橋を支え続けてくれたよ。