ネイルバフの治癒院
デュソートの村は、ケネスさんの言っていたとおり、村と言うよりは街に近い規模だった。
そう言えば、岩塩採掘場まで載せてくれた馬車のおじさんも、『デュソートの街』って言ってたな・・・
ただ、街道のはずれからポツポツと家が増え始めて、いつのまにか建物が両脇に立ち並んでいる、という感じなので明確に街の区切りが無い。
そういうところが、いまだに『街』では無く『村』と呼ばれているゆえんなのかも知れない。
歩いていたらいつの間にか街中になっている、という雰囲気がフォーフェンと似通っていて、さすが同じリンスワルド領だと感心する。
ケネスさんは、大通りの真ん中辺りにあった衛士隊の詰め所に迷わず歩を進めて扉を叩く。
扉を開けて出てきた衛士は、いかつい顔をした大男だったが、八人の大所帯が門の前にずらりと並んでいるのを見て、一瞬、ぎょっとした表情を見せた。
「なんだい、あんたたちは?」
「ゆえあって私服だが、公国軍治安部隊遊撃班の班長、ケネス・テリオ騎士位だ」
そう言って、胸元から身分証代わりのペンダントを引き出して見せた。
他の三人も同じようにペンダントを示してみせる。
「お、お? おおっ、了解いたしました! お入りください騎士位どの!」
おおっと、騎士位ってことは爵位のない軍人だけど領主や貴族に連なってる騎士たちと対等に話せる立場ってことだ。
この班長さん、思ってたよりいい役職に着いてたな。
「いや、この詰め所自体に用があってきた訳では無い。この村に良い治癒院があれば、その場所を教えて欲しい」
「治癒院でありますか?」
そう言って後ろの部屋の中を振り向く。
部屋の中から声が聞こえた。
「ネイルバフのところにご案内しろ」
そう言いつつ出てきたのは、大男よりも少し年配の衛士だった。
「騎士位殿。自分はこの詰め所の責任者を務めております、ベルゴーと申します。衛士隊がいつも世話になっている腕の良い治癒士がおりますので、このものに、そこへ案内させます」
「うん。ありがとうベルゴー。私服だが秘密任務ではないので、我々のことは報告して構わない」
「了解いたしました...いえ、ただの道案内ですので報告するほどのことでは無いかと?」
「ははっ、それもそうだな。私服任務だと胡散臭く思われることに慣れていてね!」
内心、俺がちょっとだけグサッときた。
「では、ご案内しますので、こちらへ」
大男が道を先導して歩き出したので、ぞろぞろとその後ろをついて行く。
たまに道行く人が怪訝な顔でこちらを見るが、先頭を歩いているのが制服を着た衛士なので妙なことでは無いのだろうと、すぐに興味を失うようだ。
しばらく歩くと、こぢんまりとした白い建物の治癒院があった。
『ネイルバフ治癒院』という看板が掲げられている。
門の脇には治癒士のトレードマークである赤と白の縞模様の棒が立ててあって、文字の読めない人でも、ここが治癒士のいるところだと分かるようになっている。
「では、騎士位殿。自分はここで失礼いたします。なにかご用がありましたら、詰め所の方におりますのでお申し付けください!」
そう言って案内役の大男が去って行くのと、治癒院の扉が開いて色白な中年女性が顔を出すのがほぼ同時だった。
「まあまあ、みなさんお入りくださいな。あいつは声がデカいですからね。近くに来ただけで分かりますよ!」
なかなか、茶目っ気のある治癒士のようだ。
全員でぞろぞろと治癒院の中に入ってみると、外から思ったより広くて清潔な場所だ。
手前に何人かが座って待てる場所が設けてあり、治癒自体は奥の部屋で行うようだった。
そりゃそうだよね、怪我だったらかなりの確率で服を脱ぐもの。
「さて、具合の悪いのはどなたですかねえ? まさか全員とか?」
「いえ、まずはこの女性を診て欲しいんです。三日前に怪我をして以来、熱と痛みに悩まされていたようで、昨夜、痛み止めを飲んで具合は良くなっているのですが、もしかして破傷風だったりしたら、ちゃんと診て貰わないと危ないと思いまして」
「ふーん、それは放置しとくと危ないかも知れないわねえ。まずは毒が残ってないか診てみましょうね」
治癒士の女性はレミンさんを手招きすると、奥の部屋へと連れて行った。実は、怪我の場所がきわどいのでレミンさんの反応を少し心配していたのだけど、治癒士が女性で助かったよ。
産婆と違って治癒士の成り手は少ないし、女性はなおのこと少ない。
無事に治癒士になれれば生活は安泰だけど、生まれついての才能と頭の良さ、それに、かなり長い修行が必要だからね。
しかも、才能の度合いによっては、長々と修行の日々を送ったあげくに治癒士になることを諦めなければならない、という場合だってあるのだから、モノは試しとチャレンジできる職業ではないのだ。
破邪とは違う意味で、希少な職種と言っていいだろうな。
手前の部屋に残された七人の男は、所在なげに部屋のあちこちに目をやっている。
部屋の中には、病気を防ぐ為の日常的な心得や、身体に良い食べ物はなにか、怪我をした時の応急手当の方法などが書き込まれた大きな板が、いくつも掲げられている。
珍しいな・・・
病気や怪我にならないようにする方法とか、簡単な病なら治癒士の世話にならずに直す方法とか、そんなことを書いて大々的に掲げている治癒院なんて初めて見た。
なんだか、あの治癒士のおばさんは信頼できる気がする。
て言うか、こんな凄い情報が無料でいいのか?
おかげでレミンさんの治療が終わるのを待っている間も退屈はしない。
破邪としての活動上でも、なかなか有益だと思える情報を手に入れられたし、レミンさんには悪いが、俺としてはここに来られて結構有り難かったな・・・
壁に掲げられている貴重な情報を貪欲に吸収しながらしばらく待っていると、治癒士のおばさんが奥の部屋からこちらに顔を出して俺を呼んだ。
「あの子に痛み止めを作って飲ませてあげたってのはアンタだよね? ちょっといいかい?」
「ああ、俺だよ」
あの薬や浄化でなにか不味いことでもあったのかと、急に不安になって奥の部屋へと入っていった。
レミンさんは診察台の上に横になっているが、服も着たままだし表情もにこやかで具合の悪そうな様子では無い。
少しほっとしながら、勧められるままに診察台の脇に座った。
「えっとねえ。この子は本当に破傷風...だったよ。もう直ってるけどね」
「おおっ、そうだったんですか。でも直ったんですね、良かったねレミンさん!」
「あたしはなんにもしてないよ」
「え?」
「この子の身体を隅から隅まで調べて、破傷風にかかってたことは分かった。足の付け根の怪我ね、あそこから地面の泥に紛れてる破傷風の毒の親が入ったんだろうさ」
「ああ、やっぱりそうだったんですね。俺も、破傷風の毒は土の中に潜んでいると聞いていました」
「破傷風にかかってた痕跡は残ってたけど、アタシが診た限りじゃ毒も毒の親も綺麗に身体の中からいなくなってたさ。だから治癒もかけてないけど、もう心配はいらないだろうね」
「いやあ良かったです。これで安心できますね。ありがとうございました!」
「で、アンタ。この子になにを飲ませたんだい?」
「いや、普通の銀サフランを煎じた痛み止めですけど...」
おばさんはビックリしたように目を見開いた。
「普通ってアンタ...確かに銀サフランは強力な痛み止めだけど高価な薬だよ。そこらの庶民が買える値段の薬じゃ無いよね?」
あ、止めて!
レミンさんの前でそういうことバラさないで!
「いやまあ、そこは破邪なんで大抵の奴が常備してますよ」
「そんなもんかい? あんな高価なものをねえ...」
「だって山の中で怪我をしたら、治癒士のいる里に降りるまでが大変ですからね。命には代えられないです」
「ふーん、それにしても、銀サフランは痛み止めとしちゃあ強力だけど、毒消しの効果はほとんど無いはずだよ。痛みが消えたことで抵抗力が高まったのかも知れないけど、この子は、よっぽど身体が丈夫だったのか運が良かったのか...」
これ以上この治癒士のおばさんと話していると、なんかボロボロとマズい会話になっていきそうな気がするよ。
「と、とにかくありがとうございました。おかげで安心できます。ああ、それともう一人、昨夜、転んで顔面と頭を強く打った人がいるんで、その人も診て貰えませんか?」
俺は慌てて話題を切り替える。
「おや、そうなのね? じゃあ、その人もここに連れてきてちょうだい。アタシもお茶を一服したら戻るから」
そう言うと、治癒士のおばさんは更に奥のドアを開けて居室らしき部屋に引っ込んだ。
よし!
話題転換に成功だ。
診察台から起き上がろうとするレミンさんに手を貸して、引き起こすと、彼女は診察台の上に腰掛けたまま俺の手を放さずに和やかに言った。
「ライノさんは私の命の恩人です。いつかきっと、この恩返しをさせて下さいね?」
「うーん、それはちょっと大袈裟だよレミンさん。俺がやったことは、たまたま持ち合わせてた痛み止めを飲ませてあげたことと、傷口を浄化したぐらいなんだ。結果が良かったけど、それは狙い通りって言えるもんじゃ無いんだからね?」
「それでも、助けようとしてくれたことに変わりはありません」
そう言ってレミンさんは向日葵のように明るい笑顔を見せた。