自分
「どうして…………僕以外にも見えるのか…………」
燃えさかるテント、その炎の中にそいつは例によって気持ち悪い笑みを浮かべて漂っている。もちろん僕には見えているが、まだいると呟く少女の目にも、どうやらはっきりと映っているようだった。
そのとき、突然突風が吹いたかのような轟音が辺りを支配した。その音の出所は、少女からのようだった。見ると、少女はさっきまで羽交い締めにされていたが、今は力なく倒れていた。さっきまで少女を取り押さえていた男は消え去っている。
そしてもう一つ、先ほどの轟音の正体。少女の両腕を取り巻く紫炎。青白い炎だ。それまさしく僕の右手を包んだもの。揺らめくその炎は風になびくようにしながら大きさを変え、触れるもの全てを黒い塵へと変えてしまう。
「…………化け物だ」
辺りを包む静寂を突き破ったのは、恐れおののく男だった。振りかぶった拳にぎちぎちと力を込め、噛み締めるような表情で叫ぶ。
「化け物だぁッ、殺せっッツええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」
その雄叫びで堰を切ったように、人並みが動き出した。僕は視界の端で彼女の両親が一瞬にして息の根を止められるのを捉えた。間に合わない。
僕を飲み込む形で動き出した数十の群れは残り一人、もはや身動き一つ取れない少女に向かって進んでいく。動くことのできない少女にこれだけの人数で何をしようというのか。僕には理解出来なかった。
気が付くと、僕は右腕に彼女と同じ紫炎を宿していた。僕の事なんて眼中にない野次馬達は一目散に少女へと駆け寄っていく。一番近い位置にいる男は振りかぶった拳を高らかに掲げ、今にも少女に振り下ろそうとしている。今もまだ、例の仮面は燃えさかるテントで姿を見せ続けていた。
僕の伸ばした腕が男を捉える。散々少女を一方的に攻撃していた男は、僕がたった数センチ腕を振り上げるだけで、テントを包む炎にも劣らない青い焔によって身を焦がされ、その姿を土へと還す。
右腕を横へ振る。すると倒れた少女を囲むように青い炎が壁を作り、血気盛んに突っ込んでいく男達を根こそぎ燃やし尽くす。逃げ場はない。自分たちから飛び込んでいくんだ、逃げ場なんてあるはずがない。テントを包む赤い炎と違って、僕の炎は瞬く間にその存在を消してしまう。
たった一分もしないうちに、少女の周りには誰一人いなくなり、茶色いはずの地面は白や黒のモノトーンカラーで覆われた。僕はそこら中に転がった宝石を2、3個手に取り少女の元へと歩み寄った。既にどこを見つめているのかも分からない双眸の少女だったが、このじゅえるがあればなんとかなるのかもしれない。もしかしたらこの少女は僕と同じ立場なのかもしれない、そう思って僕はじゅえるを彼女の体に触れさせてみた。
しかし、何も起こることはなかった。少女の息がまた吹き返すことはなかった。最後まで目を閉じず、最後まで目の前にいる恐ろしい顔の姿を訴えかけ、最後までどうしてと、嘆きながら死んでいったのだろうか。焦点は合っていないその瞳から、一筋の滴が流れ出している。
僕はその滴を手で拭って、そっと瞳を閉じさせた。そして立ち上がり、後ろを振り返る。
そこには、先ほどまで少女が味わっていた光景が広がっていた。僕を囲む何十何百という人集り。角が生えた種族もいれば羽が生えた種族もいる。実に千差万別だ。だが、面白いことに皆一様に訝しげな表情をしている。それに、みなジリジリと後ずさりをしている。
後ろの方では武器を手にしているのも何人か見える。視界の脇では既に燃え尽きて鎮火してしまったテントがあった。どうやら、既にそいつはいなくなっているようだった。
「あんちゃん…………」
「………………」
気の良い青年が、農具に似た武器を片手ににじり寄ってくる。僕はゆっくりと彼に視線を向けた。
「これは、どういうことだよ」
いろいろ疑問を投げかけられるのは分かっていたが、いちいち答える気はなかった。どうせ答えたところで分かるはずもない。どうせ答えたところで理解ができるはずもない。理解ができるんだったら、この少女は死ななくたって良かったんだ。
だったら力で示せば良いんだ。幸い僕は今、力がある。言葉で言っても分からないんだったら、力で示すしか方法はないんだ。
そうだ。人間や生き物なんて愚かなんだ。結局口で言ったことなんて誰も覚えていなし、誰も聞いていない。その言葉に危機感を覚えるでもなければ、その言葉に現実味すら感じない。そういう生き物なんだ。じゃあしょうがないじゃないか。分からないんだから、分かるように誇示しないと。
この歩数計だってそうだろう。意味が分からない。この歩数計を僕に付けた者からしたら、より分かりやすく、より理解出来るように工夫しているのかもしれない。だが、分からない。僕には理解ができない。だから一人目の人物、アダムスが僕の歩数によって殺されたのだ。この事実で信じろと、要はそういう風にこいつは示している訳だ。
歩数計には見慣れた文字でこう書かれている。
『ろんどべるガイキタエルマデ、アトゴセンロッピャクサンポ』
『アナタノイノチ:あとハチジュウキュウじゅえる』
この意味不明な文字列に僕は死ぬまで悩まされ続けるのかもしれない。いや、意味不明ではない。この理不尽な文字列に、か。そう考えれば、僕の命の使い方なんて、もはやどうだって良いじゃないか。
結局どう頑張ったって僕が死ぬかこの名前も知らない特定の誰かが死ぬ。多きを救い少なきを捨てるのが正義なのだとしたら、僕は自分の命を絶たないと行けない。ただそれは避けたい。じゃあ歩くしかない。歩けば奇怪な現象に悩まされ、歩数は使うし危険な目にも遭う。でも僕は死にたくはない。だったら、どんなことがあったって、僕は死なないように殺すしかないじゃないか。
そうだ、そうだよ。
『僕自身が死なないように殺すしかない』んだ。
僕は右腕を構える。狙うのは眼前に立ちはだかる青年だ。それだけじゃない、今ここにいる全員を僕は殺す。右腕の炎で、全員を焼き尽くす。それでこの広場は終わりだ。そしてまた貴重な歩数を使って新たな場所へ行く、そして殺す。この繰り返しだ。やがてこの歩数計で殺す特定の人物というのも、そこを尽きるだろう。そしたら、心置きなく人生を謳歌しよう。
『本当にそれでいいの?』
…………うん?
『本当にそれが君の望みなの?』
…………また理不尽な何かか。もう勘弁してくれ、僕はこれ以上の責任を負いたくないんだ。これ以上の罪を負いたくないんだ。もうこれ以上……あれ。
『今君がしようとしていることは、責任や罪を増やすだけじゃないの?』
そう…………いや、うん? そう……なのか、あ、頭が痛い。どうなっているんだ。考えがまとまらない。僕は何がしたくて、何から逃れたいんだ。クソ。
『今ここで力を振るえば、君はこれまで保ってきた自分を捨ててしまうことになるんだよ』
保ってきた自分……保ってきた。僕という存在は、僕という存在……僕と自分、本当の僕は、どの自分……どれが、僕――
そのとき、歩数計が振動した。その振動で、僕は何だか目が覚めたような感覚、頭が覚醒したようだった。右腕を前に伸ばし、見覚えのある青年に向けて紫炎を漂わせている、そんな状況。僕を取り囲む半円の人集りは、皆一様に怯えて後ずさりしているようだった。
歩数計に目をやると、何やら見たことのない文字列が浮かんでいた。
『あなたをすくいたい あなたをたすけたい どうかわたしのところまで』
『じゅえるをつかって まほうをつかうんです そのすきに わたしのところまで』
『わたしはあなたをみまもっています うしろにはしって ひろばをぬけたところに』
僕はまたも地に足が付いていないような、浮遊感を感じていた。それはとても不安になる、居心地の悪い感覚。それでも、この状況が僕にとって四面楚歌であり、何があってもこの炎を振るってはいけない事だけは理解出来ていた。辛うじて記憶にある歩数のことを思い出し、僕は歩数を見るがまだ少し余裕がある。じゅえるもなぜかたくさんある。これなら魔法も使えるのだろう。
僕は左手にじゅえるをイメージする。すると、二つのじゅえるが僕の左手に収まった。いまいち魔法の使い方はよく分からないが、この歩数計のことだ。状況に応じてうまいことやるのだろう。
僕は歩数計に送られてきた謎のメッセージに、心の中で言葉を返した。そして、左手に掴んだじゅえるに力を込める。
すると、じゅえるが砕ける音と共に爆発的な光が飛び散り、その後打って変わって辺り一帯が漆黒の闇に包まれる。静寂、暗黒、二つでこの空間は満たされる。
僕はすぐさま踵を返して走り出していた。歩数計のメッセージを信じて、広場を抜けるべく、ひたすら後ろへ。
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『わたしはあなたをみまもっています うしろにはしって ひろばをぬけたところに』
『いまから いきます』
『しんじてくれて ありがとう』