突飛な事件
歩いて行くと、あの青年が仕事を終えて一休みしているところを目にする。どうやら忙しい時間帯は過ぎているらしい。それは幸運だ。
小走りで駆け寄りつつ、声をかけようとしたそのときだった。外の方から大きな物音と共に、人々の叫び声が聞こえてきた。青年も僕も、一気に外の方へ意識が向けられる。
何が起こったのかはさっぱりだった。分かるのは外が騒がしいこと、それが望まれる事態ではないということ、そして決して見逃すことのできない規模だということ。気が付いたときには既に青年の姿はなかった。僕も慌てて外に出る。すると先ほどとはまるで違う光景が繰り広げられていた。
この広場にいた多くの人が皆一点に集まっていて、その人集りのせいで何が起こっているのかまるで分からない。ただ、これだけの人が集まっている時点でかなり異常なことだと分かる。しっかりと言葉として聞こえてくる音は少なく、どれもこれも喧噪にかき消されたり、甲高い叫び声によってなかったことにされてしまっている。
僕はたまらず傍観している女性の一人に声をかけていた。
「あの、これは何が起こっているんですか?」
「それが、私にもよく分からないの。あの集まりの中心のテントが燃えたっていうことだけは確かなんだけど」
「燃えた?」
よくよく見てみると、確かに人集りの中心からは黒煙が上がっているように見える。ということは、この騒ぎは火事によるものということだろうか。しかし、言ってはなんだが火事だけでこれほどの人が集まるだろうか。見たところこの場にいる殆どの人が集まっているように見える。
「ここでの火事はそんなに珍しいことなんですか?」
「火事自体も珍しいといえば珍しいけど、なんだかそれだけじゃないみたいね。噂では、犯人がいるっていう話だけど」
その犯人という言葉を女性は酷くおぞましい言葉であるかのように呟いた。僕がいまいち納得していないのを見て、彼女は続ける。
「ここは地上から命からがら逃げ延びてきてようやく見つけた安寧の地なの。皆自分たちの生活をやり直すのに必死で、強盗はおろか犯罪が起きるような事もまずなかった。それだけ皆ここでの再建に尽力していたって訳ね。そんな矢先に放火……それは、これだけの騒ぎにもなるわね」
話を聞いて、僕は言葉にし難い恐怖を感じざるを得なかった。何か良くないこと、その前兆が見え隠れしているような、そんな感覚。僕の手は震えていた。
焦る鼓動を抑えつつ、僕はその喧噪の中に体をねじ込ませていく。騒ぐ人々を乗り越えて、耳に響くうめき声や叫び声を無視して、僕は力任せに奥へ奥へと進んでいった。すると、そこにはテントをまるまる飲み込むほどの業火に包まれた、既に黒い塵となりつつある建物が目に入ってきた。続いて、反対側の道でもみ合う人影。見た様子だと、小さな子供一人に対し、大人が三人がかりで組み伏せにかかっているようだった。
「やめてっ、はなしてッ!!」
「うるさい黙れ!! この犯罪者がッ、こんなガキ外に置いてくればよかったんだ!!」
その絵面はどう考えても間違っていて、捕まっている子供がこのテントを燃やしたなんて考えづらかった。何か間違えてしまって――というのならまだ分かるが、それならこんなに必死に組み伏せられる必要はないはずだ。まさかこの子供が悪戯で、または意図的に、このテントにこれほどの規模の炎を灯したなんて考えられなかった。
しかし思うように体が前に進んでいかず、大人達の横暴とも見えるその行為を止めに入ることができない。垂れ流される会話だけが延々と耳に入ってくるだけ。
「私はやってない、やってないの!! ホントだよ!?」
「嘘つけ、何人もその瞬間を見ているんだ!! 白状しろッ」
「痛い、やめてッ、本当なの……本当に、何もしてない」
「このテントから炎が上がるその直前、周りをきょろきょろしながらこのテントに入っていくのを見たっていう奴らがたくさんいるんだよ!!」
もはや組み伏しだけでは飽き足らず、一人が羽交い締めにする最中残りの二人が殴る蹴るの暴行を始めた。流石にその光景は周りの人達を怯えさせるかとも思ったが、そんなことは無いようだった。
「「「………………」」」
野次馬のように集まった人は皆その光景を見つめたまま、誰も非難するようなことはなかった。むしろ、前の方に構える人は子供を煽るような言葉を浴びせている。やっていないと叫び続ける子供の声に対し、返る言葉はこの目で見た、という絶対的な論拠。その内子供も反論する気力も体力もなくなってきているようだった。ようやく僕の体が一番前の列までさしかかったとき、その言葉は聞こえてきた。
「ちくしょう、もうこいつ殺してしまおうか」
「お願い…………やめて、本当に、何もやってない」
「じゃあ聞くが、お前はあんなに不自然に何をしにテントに行ったんだ? テントに行った事実は皆が見ている。言い訳は聞かないぞ」
「――怖い顔が浮かんでいたの」
……………………え?
「あ、何を言っているんだ?」
「怖い顔がテントの前に浮かんでいて、あのテントはお父さんのテントだから、追い払わなきゃって、そう思ったからテントに近づいただけで……」
どんどん弱々しくなる子供の言葉に、僕の動きは完全に止まってしまっていた。もう殆ど最前列なので、捕まっている子供も対する大人もよく見える。年端もいかない少女と男三人だ。少女は尚も訴える。
「私がテントに近づいてもその怖い顔は消えなくて……お父さんとお母さんを呼ぼうと思ったけど、お仕事で忙しいから、私が追い払わないとって……思って…………あっちいけって、そうしたら――」
そこまで言ったところで、少女の腹に男の足が突き刺さる。声とならない嗚咽が少女の喉から鳴る。悲痛な叫びは、同じく羽交い締めにされているらしい脇の男女からあげられていた。おそらく彼女の両親だろう。
「何ふざけたこと言ってんだ。怖い顔? 吐くならもっとマシな嘘吐けってよぉ、ガキィッ!!」
「痛い…………うっ」
繰り返される痛撃に、もはや少女は声が出ないようだった。見守っている者達は皆、怯えた様子でその様子を見ているのだが、その畏怖の視線は果たしてどちらに向けられているのか。暴力を振るう男達か、それとも奇怪なことを言う少女に対してか。
僕は全身から汗が噴き出すのを感じていた。何か決定的な場面に直面したかのような緊張感、いや、絶望的な場面に直面した終末感だろうか。喉が渇いている訳でもないのに声が出ず、痺れている訳でもないのに手足が動かない。視界は固定され、思考もままならない。ありのまま目に映った景色だけが情報として脳に昇華していく。
「ほら、だったら見せてみろよ、その怖い顔って言うのをよっ!? こんな顔か、それともこんなか、おいッ!!」
男がふざけたように表情を変え、少女を蹴り続ける。もはやしっかり発音出来ない少女は鼻の先で燃えさかるテントを指すようにして、呻いた。
「まだ……いるよ……」
「…………とうとう幻覚まで見えてきたのか。何もいやしないだろッ、戯言もいい加減にしろッ!!」
一度そちらを見やってから、男は首をかしげて怒鳴り散らした。
僕は目だけを動かして、そのテントを見た。少女の無垢な瞳が捉えている怖い顔。僕にはなんとなく察しが付いていたが、まさか、と思っていた。だって僕しか見えていないんじゃなかったのか。
僕だけが見えている、不思議な仮面ではなかったのか。そして、何より無害だったんじゃないのか。
そこには――――
――――絶望すら伺わせる恐怖の顔が浮かんでいた。




