第9話 逢引き
「バルドム君の身体には問題は見当たりませんね」
チコさんがベッドで横たわるバルドムを観察した後、そう教えてくれた。
今俺たちがいるのは精霊樹の麓にある施設の中だ。
バルドムが意識を失ってから、俺が彼を背負う形で急いで道を引き返して来た。
あまりに急ぎすぎたせいで、レアスとノルマニーは疲労困憊。
今は別の部屋で休んでいる。特に大規模な魔術を使った後のレアスにはきつかったらしく、到着した時は、立ち上がることも辛そうだった。
「原因はこの神器ですかね」
「ハッキリとは分かりません。私も神器の適応者は始めてみましたので……」
チコさんが申し訳なそうに視線を伏せた。
バルドムの右腕には銀色のブレスレットが装着されており、破壊してみようかと思ったがバルドム自身と深く結合しており、簡単にはできそうにも無かった。
彼自身の呼吸は安定しており、目立った外傷もない。
今は目を覚ますまで待つしかなさそうだった。
「そう言えばユーゴさん」
「どうしました?」
「先ほどルフさんが戻られたそうです。探していましたよ」
「あー……怒ってました?」
「いえ? 特にはそう思いませんでしたよ?」
チコさんの言葉にとりあえず一安心。
レアスと色々してしまったが、目撃者のバルドムは眠っている。
バレる心配はないはずだ。レアスがアホなことを口にしない限りは。
「すいません。入ってもいいですか?」
入り口から聞き覚えのある声。
振り返るとノルマニーの水色の髪が見えた。
「いいですよ。あなたがノルマニーさんですね。無事で安心しました」
チコさんの声を聞いてから、ノルマニーが部屋に入って来た。
「あ。赤髪の人」
「なんだ?」
「下でレアス先生と桃色の髪の人とが険悪な雰囲気だったけど大丈夫?」
ノルマニーから最悪の知らせを聞いて、気分が一気に沈む。
レアスの奴……またアホなことしやがったな。
「クスクス……ユーゴさんは本当にモテますね」
「チコさん。笑いながら言われてもバカにされているようにしか思いませんよ」
「い、いえ。そんなつもりはないですよ! 早く行ってあげて下さい。でも、暴れるのはダメですよ」
「しませんよ」
笑顔のチコさんにそう返して、部屋の出口へ足を向ける。
すれ違いざま、ノルマニーに言葉をかけた。
「君は妖精の森にどんな用だったんだ?」
「別に。興味があったから後学の為に探しにいっただけ」
「そうか。勉強は学生の本分だもんな」
普段のノリで頭に手を置いた。
しかしもの凄い勢いで払われた。
「そうやって色んな子に話しかけているんですか?」
「ヒドイな。それは言いがかりだよ」
俺の言葉にプイッとノルマニーがそっぽ向いた。
払われた手に残ったヒンヤリとした感触。
どういう訳か分からないが、さっきまで魔力を使っていたようだ。
「あんまり勝手しちゃダメだぞ。レアス先生に怒られるからな」
「……気をつけます」
そう答えたノルマニーの雰囲気がピリッと引き締まる。
警戒心タップリだな。
これ以上話しても嫌われそうだし、とりあえずレアスとルフの所へ行くか。
「で。生徒を探している最中にイチャついていたと?」
「相変わらずの威圧感だね。本人に聞いてみたら?」
長椅子に座ったレアスが俺を指さす。
こっそり聞くつもりがあっという間にバレた。
「あ。ユーゴ、とりあえずはお疲れさま」
ルフがこちらを向いて笑顔。
怖い。さっきまで目の前でレアスを問い詰めていたのに輝く笑顔が逆に怖い。
「ねぇねぇ。生徒の探索中にレアスと何を楽しんでいたのかなぁ?」
背中から出ないはずの嫌な汗が溢れて来る。
レアスもこちらをジト目で睨んでおり、中途半端な誤魔化しは俺の沽券にかかわる。
「まぁその……色々とな。久しぶりに会うと盛り上がることもあるだろ?」
「生徒の探索中にバカなことしてる場合!? アホなの!?」
「アハハ! 返事が素直すぎるよっ」
ルフのリアクション。
それと俺の返事を聞いたレアスが腹を抱えて笑っている。
全く失礼な奴らである。
「レアス。あんたはホント、ちっとも変わってないわね」
「あなたの胸ほどじゃないよ? 四六時中ユーゴさんと一緒に居るんだから、少しくらいは我慢してよ。あたしなんて、人魚の神獣の子に比べればマシなんだから」
「少し胸が大きいからって……とにかく! あたしの目の前ではダメだからね!」
ルフが俺をビシッと指さす。
それを見て、レアスが「見てなければいいのか……フフ」とか言って、気味の悪い笑みを浮かべていた。
もうこれ以上、何をする気なのか聞いたら意が痛くなりそうだった。
「それよりも、ルフはこっちに戻って来てもよかったのか?」
「ラウニッハからちゃんと許可は貰ったわよ。どうせギルドの重役が来るなんて嘘だし」
ルフがやれやれと言った具合で事情を説明してくれた。
愛国者がラウニッハとルフを中心から遠ざけるための罠だろうと。
「あと、厄獣も近くまで来ているみたい」
周りに聞こえないよう、小声でそう教えてくれた。
神力に惹かれる習性を持つ厄獣であれば、バルドムの装着された神器に反応して近づいていた可能性もゼロではない。
「全く……ユーゴさんと居ると退屈しなさそうだね。とりあえずあたしはバルドムを連れて人魚の国へ帰るね。早く動いた方がいいだろうし」
レアスが俺たちの話を聞いて、これからの動きを言った。
「どうだろうな。相手も早めに動くんじゃないか?」
「どうする? 当初の目的通り、妖精の森へ向かう?」
事情を察したルフが俺に聞いて来た。
レアスから今回の事件に関しては全て聞いているだろう。
愛国者に協力していた妖精王の住む森へと向かった生徒に関しても……
「妖精の森へは明日、俺だけで行く。ルフはここに残ってくれ。一応俺の外套を預けとくから」
そう言って愛用の赤い外套を脱いでルフに渡した。
代わりにルフの白い外套を受け取った。
「ねぇ。目の前でイチャつくのは何かの当てつけ?」
レアスが俺の方をまたジト目で見つけてきた。
こいつはこいつでいかなる時もブレない。
「そうじゃない。あとレアスは出来るだけ大人しくしとけ。消耗した魔力がまだ回復してないだろ」
「ユーゴさんに甘えたら回復するかも♪」
「ユーゴ……?」
レアスからなんて魅力的な提案。そしてルフが怖い。
天馬の国の夜が来た。
喧騒に包まれた他国と違い、自然が大半を占めるこの国の夜は驚くほど静かだ。
「ユーゴぉ……飲んだらダメぇ……」
人の部屋のベッドで勝手に眠るルフの寝言。
さっきの宴会では俺が貴重な酒を飲もうとしたら全力で止められた。
俺の活力となるはずが、全く補給できなかった。
「外套がズレてるじゃねぇか」
ルフがかけ布団の代わりに使っていた赤い外套をかけなおす。
風でも引いたらどうする気なんだ。
「黙っていたら可愛いのに」
穏やかな寝顔を浮かべるルフの頭を撫でる。
頼りにしている相棒は、こうしていたらただの一人の少女にすぎない。
――コンコン
部屋の扉をノックする音。
ルフの頭を撫でることをやめて、部屋の扉を開けた。
「はい。誰ですか?」
「どうも~♪」
とりあえず部屋の扉を閉めようと試みる。
しかし扉と壁の隙間に見覚えのある刀がねじ込まれた。
刀が引っかかり、扉が閉まらない。
「ねぇヒドくない? 忘れ物を届けに来たのに」
レアスの声が恐ろしく冷たい。
「ありがとう。助かった」
そう返して刀を取ろうとするが、もの凄い力で抵抗された。
「ちょっと散歩に付き合って」
「早く寝ないと肌に悪いぞ。だから大人しく返しなさい」
「ルフにこっそり一緒に寝たって吹き込むよ?」
「洒落にならないから……」
レアスの脅しに屈して、大人しく部屋の扉を開けた。
俺の使っていた刀をギュッと抱きしめるレアス。
少しだけ上目遣いなのは、絶対に狙っている。
「ルフは夢の中?」
「そうだよ。疲れが溜まっていたらしい」
「ふーん……思ったよりも効きが良かったみたいね……」
「おい。お前何か盛ったな」
「う~ん? さぁね~?」
レアスが笑みを浮かべて踵を返す。
刀を返してもらうには、追いかけるしかない。
部屋を出て寮の階段を降りる。
そしてそのまま外へ。
整備されていない草の生えた地面が、天馬の国らしさを感じさせた。
他国の交流の為に建物の建築は進めたが、全てに手を加えることはしない。
独特の文化を貫く天馬の国らしい。
「どこまで行く気だ?」
「ユーゴさんが出発する所まで♪」
レアスが背中を向けたままそう答える。
どうやら今夜こっそり妖精の森を目指して出発することがバレていたらしい。
ルフと同じでレアスにはいつも考えが筒抜けだ。
「ルフに入れたのは睡眠薬か?」
「うん。軽いやつだから安心して。すぐに元通りにだから♪」
「今夜にでもコトが起きたらどうする気だ。ルフが居ないと色々と面倒だぞ」
俺の言葉を聞いたレアスの足が止まる。
そして金髪の髪を揺らしながら振り向いた。
「彼女のこと信頼してるんだね」
少しだけ頬を膨らませたレアス。
刀を抱きしめる腕に力が入っていた。
「そりゃ俺の相棒だからな」
俺の言葉にレアスのこめかみがピクリと動いた。
あまり感情を表情に出す奴ではないが、不満そうなのは伝わって来た。
「はぁ……分かってたけどさぁ。あたしじゃ隣に相応しくないことぐらい。でも面と向かって惚気られるとムカつく」
ルフが視線を横に向けて、口を尖らせる。
まるで子供が駄々をこねているみたいだった。
「お前のそう言うところは変わらないな」
クツクツと笑っていると、レアスが「バカにしているっ」と怒っていた。
「だけど……お前は本当に立派になったよ」
そう言ってレアスの頭に手を置く。
三年前に出会った時のは、人魚の国へと向かう船の中だった。
男と寝ては金を盗むか、対価として貰いながら生活していたレアスは、確実に破滅へと向かっていた。
よくない裏稼業の人たちとの付き合いもあり、トラブルにもよく巻き込まれていた。
そんな彼女と一緒に行動して、お母さんを助けに淫魔の国へと行った。
当時は神獣の子同士で戦争をしていたから、争いにだって巻き込んでしまった。
そんなレアスは魔術学院を卒業して、今は生徒を導く立場となった。
生徒たちからの信頼も厚いと噂では聞いている。
そして俺のことが好きなことも……
「たまには人魚の国に会いに来てよね」
「もちろん」
レアスにそう答えて、彼女のあごに手を添えた。
顔をクイッとあげると、月光に照らされた美しい黄金の瞳が顔を覗かせる。
そのまま小さなレアスの唇にキスをした。
多分、俺からするのは初めてだったと思う。
「子供たちのこと、頼んだぞ」
そう囁いて顔を離した。
レアスの手から刀を奪う。
「ズルいよ……本当に悪い人……」
「よく言われる」
レアスにそう返して、刀を腰にさした。
そしてすれ違いざまに伝える。
「ありがとう。また皆で飲もうな」
「そうだね」
短く返事を残したレアス。
彼女の方へ振り返らず、俺は妖精の森へ出発した。




