第7話 冒険者と教師と生徒
背筋が冷たい。
それが、ノルマニーが最初に感じたことだった。
「ノルマニー。ユーゴさんたちを援護しやすい場所に移動しようか」
「分かりました」
教師であるレアスにそう答えて、巨大樹の枝を風属性の魔術を使って飛び移っていく。
眼下に広がる魔物の無数の死体。
そのほとんどはユーゴが単身で切り倒したものだ。
バルドムが数匹の魔物を倒すよりも、ノルマニーとレアスが魔術を放つよりも、それを遥かに上回るユーゴの戦闘速度。
上から見えていたノルマニーはなんとか目に追えたが、対峙すればきっと消えたように錯覚するだろう。
その純粋な戦闘能力に背筋が寒くなったのだ。
「レアス先生。彼は何者ですか?」
「ただのユーゴ。お酒と女の子が大好きなダメな冒険者だよ♪」
レアスは頬を緩めながら、特に答えになっていない回答だった。
ようは気にするなと言うわけだ。
謎は深まるばかりだが、おかげで残る魔物はケルベロス一体となった。
窮地が好転したことは喜ぶべきだろう。
「ここぐらいかな?」
レアスがそう言って、着地した枝で止まった。
ノルマニーも隣に降り立つ。
場所的にはケルベロスのほぼ真上だ。
地上ではケルベロスとユーゴが対峙している。
「グオオオオ!!!!」
犬の形をした、ケルベロスの三つの頭が咆哮。
三頭分の叫び声は、思わず耳を覆いたくなる。
「あたしたちはどうしますか?」
「ユーゴさんの指示があるまで待機でいいよ。ヘタに動いて、ケルベロスの注意を引いてもややこしいから」
レアスはそう言って、眼下の状況を見つめている。
先ほどオーガに殺されかけたバルドムは、ユーゴの後ろで固まっている。
ケルベロス相手では魔術学院の生徒など役に立たない。
絶対的な個体数が少なく、目撃情報自体がそもそも稀である魔物。
討伐となると上位冒険者を数十人集めて、戦術的な作戦で倒す必要がある。
それを単身で倒すつもりらしい。
「レアス! 少しだけ動きを止めてくれ!」
ユーゴはそう叫ぶと、刀を腰に差した鞘に戻してしまった。
そして世に言う居合切りの体勢に。
「ノルマニーは見ていてね」
レアスはそう指示を出すと、両手をパンと合わせて魔力を練りあげる。
普段は飄々としている美人教師。しかしその実力は魔術学院の教師たちの中でも屈指である。
上級魔術の詠唱を行いながら、魔力がどんどん膨れ上がっていく。
やがてレアスの身体から溢れた魔力が風のように渦巻いていた。
時に高密度の魔力は可視化され、具現化するが出来るものは滅多にいない。
魔力量でも時にその現象は引き起こされるが、魔力の質によって一時的に発生することもあるらしい。
「雷弓の雨」
レアスが右腕を天へかざす。
彼女の周りに黄色の魔法陣が現れる。
練り上げた魔力が形を織りなし、魔法陣から雷の矢が無数に出てきた。
ケルベロスの身体を覆うほどの数。
普通の魔物であれば。跡形もなく消し飛ぶ威力だ。
「グウウ!!」
雷の雨を四本の足で踏ん張って耐えるケルベロス。
全身に張り巡らせた魔力で硬度と魔力耐性を強化して耐えているらしい。
確かに相手の動きは止まっている。
しかし有効打になっていないのも事実だ。
――ここからどうやって決めるつもりなの……?
ノルマニーは疑問を抱いたまま、地上でケルベロスと対峙するユーゴを見た。
赤髪の冒険者は、ジッとケルベロスを見つめたまま動かない。
そして「ふぅ……」と一息ついた次の瞬間だった。
ユーゴが刀を抜いた。
魔力で生み出された斬撃がケルベロスへ。
そのまま目にも止まらぬ速さで次々と魔力で斬撃を繰り出していく。
一撃でケルベロスの致命傷にはならないが、確実に身体を削っていった。
三つの頭に切り傷が入り、皮膚が斬れて肉が徐々に姿をみせる。
このまま行けば、倒せるかもしれない。
――魔力がもつの? 時間がかかりすぎる。
それが、ノルマニーが抱いた正直な感想だった。
いくら強者の部類に入る冒険者と魔術師とはいえ、魔力に限界は存在する。
だから今の方法では、先に魔力が尽きるか、ケルベロスが倒れるかの賭けに近かった。
「レアス!!」
ユーゴの呼びかけと同時にレアスが両腕を振りかざし、魔力をまとめる。
「雷鳴の神槍!!!」
雷属性でも最強クラスの威力を誇る魔術をレアスは発動させる。
強大な黄金の魔法陣から、雷の槍が一直線にケルベロスへ。
直撃と同時に耳を覆うほどの雷鳴が轟く。
目を開けることの困難な光に思わず目を細めた。
ノルマニーは自分ですら発動できるか分からない魔術の威力にただ驚くのだった。
「さすがレアス先生だな」
ユーゴの穏やかな声。
その声を聞いて、ノルマニーは目を開けた。
――すごい
そう思ったノルマニーには、三つの頭を潰されたケルベロスの姿。
立ったまま絶命しているのは、まだ殺されたことに気づいていないのだろうか。
「ノルマニー大丈夫?」
「はい。先生の魔術すごいですね」
「おかげで魔力がほとんど残ってないけどね」
レアスはそう言って笑うが、心なしか息が乱れている。
額からにじみ出た汗は、白い肌を伝たって足元へと落ちていった。
さすがの彼女も全力で魔術を放ったらしい。
「あたしの魔術で下に降りますね」
「ありがと。居てくれて助かるわ」
ノルマニーは風属性の魔術を発動させ、レアスと自分の身体を風に乗せて地上へと向かう。
そのままフワリとユーゴの隣に二人で着地した。
そんな自分たちをユーゴが見ていた。
「みんなお疲れさん」
二カッと笑みを浮かべたユーゴの表情はどこか安心感のある暖かみのある表情だった。
「みんなお疲れさん」
俺の言葉に他の三人が適当に返事をした。
一時はどうなるかと思ったが、とりあえず全員大きな怪我がなくてよかった。
魔物は居なくなったが、後始末もある。
「バルドム、ノルマニーちゃん。俺とレアスは魔物の死体の始末があるから、二人で少し先の様子を見て来てくれ。特異点を見つけたら引き返して来い。魔物が居ても同じだ。絶対に無理はするなよ。特にバルドム」
「わ、分かってるよ……」
先ほどオーガに殺されかけた少年は口を尖らせていた。
「あんまり調子に乗って突っ込むなよ。戦いから帰ってくることが最優先だからな」
バルドムの白髪を軽く叩いた。
子ども扱いに本人は不満そうだが、色々実戦から学ぶことまだまだ存在する。
誰もが通る道で、それを導くのも大人の役目だ。
「じゃあ、ノルマニーもよろしくね。無理はダメだよ」
「分かりました。レアス先生」
ノルマニーちゃんが抑揚のない声で返事をすると、二人は並んで森の奥へと向かって行った。
レアスと二人きりになった。
魔物の死体を次の魔物を呼び寄せないために処理するのは本当だ。
しかし二人の生徒を先に行かせたのは別の理由もある。
「大丈夫かレアス?」
とりあえず横に居るレアスに肩を貸す。
「ここで襲う気? 屋外はあんまり経験ないなぁ♪」
アホなことを言うレアスにデコピン。
せっかく支えてやったのにこいつは本当にブレない。
「いたっ。女の子への暴力はんたーい」
プクッと頬を膨らませる。
二十歳にもなってこの反応はどうなのかと思うが、レアス位の美人になると何をしても絵になるからズルい。
「アホなこと言ってる場合か。見栄を張らなくてもいいぞ」
「分かってるよ……」
レアスの身体から一気に力が抜ける。
倒れないように彼女の身体を支えた。
最上級の魔術に魔力の大半を持っていかれたのだ。
本来ならば立っていることもキツイはずだった。
「はぁ……はぁ……しんど……ケルベロスは無いよね……」
「ケルベロスは完全な想定外だったな。けど、悪かった。俺がこんな状態ばっかりに負担をかけた」
本来ならばケルベロスは俺一人で倒せたはずだった。
その場合、さすがに周りへの被害は避けられないが……
代わりにトドメはレアスの力を借りる形となった。
「全然大丈夫だよ。チコ王女に怒られちゃうよ。あと天馬の神獣の子様にも。また森を全焼させる気かぁって」
レアスがクスクス笑いながらラウニッハの物真似。
あんまり似ていないことは本人には黙っておこう。
「とりあえずそこの樹の影で休め」
「え? ちょ……」
レアスが困惑。
そんなにお姫様抱っこが嫌だったのだろうか。
「嫌か?」
「い、嫌じゃないけど……重くない……?」
「顔を赤くして聞くことか?」
「そこは言わなくていいよっ」
赤面しながら答えるレアスが面白い。
レアスが照れる姿はなかなかの貴重だ。
「それにしても、想像以上に優秀な生徒たちだったな」
一緒に戦ったバルドムとノルマニーちゃんの感想を口にした。
バルドム自身も単独で魔物と十分戦えていた。ノルマニーだって、十分な援護をしてくれた。魔術が使えても実際の戦闘は全く別物だ。
足が竦んで動けない奴だって沢山いる。
「あの子たちは、どちらかと言えば戦闘訓練の成績は優秀な方ですから」
レアスがそう言って、得意げな顔。
生徒たちの自慢話は尽きなさそうだ。
そんなこと思いながら、レアスを降ろす。
巨大樹を背もたれにして、レアスは座り込んで体力の回復に努めていた。
「ほら。これでも食っとけ」
腰のポーチから巾着を取り出して、中の豆を一つ取り出した。
探していた生徒が衰弱していた場合、食べさせるつもりだった非常食だ。
チコさんから腰に差した刀をもらう時、ついでに渡されたモノだった。
「口移しがいいなぁ……」
レアスが上目遣いでアホなことを言っていた。
生徒が居ないからと言ってハメを外しすぎだ。
「黙って食べなさい」
「ちょ! ゴホ! 口に向かって投げるってひどくない!? 喉に詰まりかけたよ!」
「そんだけの元気があれば大丈夫だ。口移しはまた今度な」
レアスがプイッと顔をそむけてしまった。
バカは放っておいて後始末を始めよう。
魔物の死体を適当に一か所に集めていく。
本来なら一つずつ燃やしていくのだが、天馬の国でそんなことをすれば火事で大騒ぎになる。
ラウニッハに怒られる事態だけは、絶対に阻止しなければならない。
オーガやグールの死体を引きずり回すのは、あんまり気持ちのいい仕事ではない。
しかしこういう地味な役割を担う人がいるから、世の中が回っているのもまた事実であった。
「こんなもんかな」
山積みになった魔物の死体。
長く見ているのもあまり気分が優れないので、さっさと燃やしてしまおう。
火属性の魔力を魔物の固まりの周りに張り巡らせた。
そのまま竜巻のように囲み、炎熱で一気に消失させた。
普通に燃やすよりも魔力を消耗するので、普段はあんまりしないやり方だ
まぁ俺から見れば、消耗の増えた魔力も誤差の範囲なんだけど。
「少し焦げたか」
先ほどまで魔物の死体があった箇所が黒く焦げていた。
このくらいはラウニッハも許してくれるだろう。
「ユーゴさん。そろそろ動けるよ」
いつの間にかレアスが立ち上がっていた。
まだ万全というわけでは無いと思うが、動ける程度には回復したらしい。
「じゃあ俺たちも行くか。バルドムたちもそろそろ特異点を見つけているかもな」
「そうだね。さっきから二人の反応が動かないし」
「先生が密かに索敵魔法で監視してたと知ったら、どんな顔するんだろうな」
「人聞き悪いこと言わないでくれる?」
レアスの視線が怖くてこれ以上は言わないことにした。
とりあえず俺は闘術・レアスは風属性の魔術を使って、森の中を進む。
やがて肌にピリピリと『何か』の揺れを感じるようになる。
魔力なのか特異点から吹き出す神力なのかは分からない。
それでもプレッシャーとなるその『嫌な感じ』はなんとなく胸騒ぎを起こす。
「レアス。二人は無事か?」
「生体反応はあるよ。なぜかさっきから動かないけど」
特異点を見つけたのであれば、その前で立ち往生する理由が分からない。
引き返すか、何かしらのアクションを起こすはずだが……
「もうすぐそこだよ!」
レアスが索敵魔法の反応からそう教えてくれた。
巨大樹の脇を抜けて、出たのは少し開けた場所。
森の中にポツンと空いたその場所には、違和感がある。
なぜか周りは火属性が使われたのか焼け焦げた跡と氷のような冷気が漂っていた。
まるで戦闘が行われた跡のような場所にたしかに二人の姿があった。
「レアス先生……どうしよう……バルドムが……」
ノルマニーがそう言って俺たちの方を向いた。
彼女の足元には意識を失って倒れるバルドムの姿があった。
「バルドム!」
レアスが駆け出してバルドムの傍に駆け寄る。
呼吸を確認して、胸に手を当てた。
「脈も正常。大きな外傷も見当たらない。ノルマニー、ここで何があったの?」
レアスの問いにノルマニーが指をさす。
バルドムの右手首に装着された謎の腕輪を。
「その腕輪が……神器がバルドムに装着されました……」
どうやら俺たちが特異点だと思っていた反応は、覚醒した神器だったらしい。
そして……バルドムが選ばれてしまったようだ。




