第77話 おはようございます、監督ッ!
翌朝。
嵐は嘘のように過ぎ去り、雲の隙間から朝日が差し込んでいた。
「……おい、外はどうなってる?」
避難していた長屋や屋敷から広場へと出てきた南部の男たちは、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
「なんだよ、これ……」
「水が、昨日よりずっと上まできてるぞ……」
村のすぐそばまで迫る泥沼は、昨日とは全く違う凄惨な景色になっていた。
生えていた背の高い葦は強風で全て薙ぎ倒され、泥水の上に力なく浮いている。低い場所の植物は完全に水没し、どこからか飛んできた小木が根こそぎ折れて、ぷかぷかと浮いていた。
沼全体が嵐の暴力によってぐちゃぐちゃに破壊され、辺り一面が大きな湖のように濁った水で覆い尽くされていた。
「……これじゃあ、俺たちが作ったあの道なんて、跡形も残ってねぇだろうな」
「ああ。また一からやり直しか…」
マルコたちはため息をつき、重い足取りでぬかるんだ村の道を歩き、温泉旅館の現場を抜けて昨日の最前線へとたどり着いた。
「……あ」
マルコが、ウォルターが、百人の男たちが、全員揃って口を半開きにして立ち尽くした。
表面に水溜りこそ出来ているものの、彼らが沈めたマットの道は昨夜の暴風雨を真っ向から受け止め、崩れることなく泥沼の上に真っ直ぐと伸びていたのだ。
そこへ、嵐の被害状況を確かめて回っていた工兵隊のガンタが近づいてきた。
「おーい、あんたら。今日の作業は中止っすよ。足場が危ないから、現場には近づくなと若様から言われてるっすからね」
「す、すみません。昨日俺たちが作った道がどうなったか気になって……居ても立ってもいられず、ここまで来てしまったんです」
ガンタはポカンと首を傾げた。
「はぁ? 何をいまさら心配してるんすか。……そんなの、ここに来るまでの道が、そもそも同じように作られてるんすよ?」
「…………え?」
ガンタの言葉に、マルコたちは弾かれたように振り返った。
そして、自分たちが今、歩いてきた道を改めて見つめた。
周囲の自然が完全に破壊され、水位が上がった泥沼の真ん中に。
嵐の前と全く変わらない道が、そこにあった。
ガンタたちがカイトに命じられて泥に沈めた『粗朶マット』。それが今、自分たちの足元でこの狂ったような嵐を耐え抜き、微動だにせず村と現場を繋いでいるのだ。
南部の男たちは、ただの子供の思いつきだと思っていたものが、自然の暴力を完全にねじ伏せているという『物理の奇跡』を前に、声も出せずに震えていた。
「……マルコ」
ウォルターが、震える手で足元の泥にまみれた枝の道に触れる。
「これなら……このやり方なら……」
「……ああ」
マルコもまた、その場に崩れ落ちるように膝をつき、水溜りの下にある強固な『粗朶沈床』を両手でバンバンと叩いた。
「この道なら、黒竜川の濁流にも耐えられる……! 俺たちの村を、家族を……水害から救えるぞ……ッ!!」
「「「うおおおおぉぉぉぉッ!!」」」
百人の男たちが、涙を流しながら雄叫びを上げた。
昨夜の絶望も、一睡もできなかった疲労もすべて吹き飛んでいた。彼らが南部の領地から泥靴村までやってきた本当の目的。その「答え」が、今まさに自分たちの足元にあったのだ。
五歳児の泥遊びだと馬鹿にしていた。騙されたと思っていた。
だが、違った。あの小さな子供は、大自然の暴力すら計算し尽くした上で、彼らに「最強の治水技術」を叩き込んでくれていたのだ。
「おーい! みんな、おはよー!」
その時、後方から可愛らしい声が響いた。
男たちが弾かれたように振り返ると、父親のアルベルトに手を引かれたカイトの姿があった。頭には例の光沢のある自作ヘルメットがしっかりと被られている。
「みんな、ケガは なかった? 今日は おしごと、お休みーー」
カイトが言い終わるより早く。
百人の大男たちが、泥水が跳ねるのも構わず一斉にカイトへ直立不動の姿勢をとった。
「「「おはようございますッ!! 監督ッ!!」」」
「……えっ?」
あまりの気迫と野太い声に、今度はカイトとアルベルトがビクッと肩を震わせた。
マルコは泥だらけの顔を引き締め、敬意を持って口を開いた。
「監督! 本日の作業が中止であること、了解いたしました! 足場が回復し次第、我々南部百人衆は、監督のいかなる指示にも命を懸けて従う覚悟です!」
そこまで一気に言い切ると、マルコは少しだけバツが悪そうに言葉を続けた。
「……監督、正直に言います。俺たちは昨日の嵐で、もう道は流されてしまっただろうと……諦めて、いや、心配していました。でも、その心配は杞憂でした!」
マルコの熱を帯びた声に、ウォルターや他の男たちも力強く頷く。
「俺たちに、もっと『粗朶』のやり方を教えてください! どんなに厳しくても食らいつきます!」
「「「どうか、ご指導よろしくお願いしますッ!!」」」
百人の男たちが、泥沼の道の上で一斉に深く頭を下げた。
もはや貴族の子供に対する礼儀などではない。「命を救う術を持つ、絶対的な現場の支配者」への狂信的な敬礼だった。
(……なんじゃこいつら。一晩で目つきが『歴戦の土方』に変わっとるぞ……?)
急にやる気に満ち溢れた百人のむさ苦しい男たちを前に、カイトはヘルメットのズレをクイッと直し、少しだけ後ずさりした。
「じゃあ道よりも、自分たちの にもつを しんぱい した 方がいいよ? あそこに テントが ういてたよ?」
「…………え?」
マルコたちが弾かれたように振り返る。
カイトが短い指で差した先――泥水が溢れ返った沼の端っこには、昨夜彼らが「上に石を乗せて」潰しておいたはずのテントや私物が、無残にもプカプカと浮いていた。
「「「お、俺たちの荷物があぁぁッ!?」」」
「……ははは。南部の者たちは、今日も朝から元気だな」
背後では、事情を全く分かっていない父のアルベルトが朗らかに笑っていた。
こうして嵐の夜の絶望を経て、南部の精鋭百人は完全にカイトの『狂信者』へと変貌を遂げた。
泥靴村の治水工事は、最強の無料労働力(モチベーションMAX)を得て、ここからさらに異常なスピードで進展していくことになるのである。
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