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第54話 再会の刻印師と湿地から出た魔石

ボルドー領を覆う暗雲とは対照的に、フェルメール領はかつてない熱気に包まれていた。新しく拓かれた道は近隣の商人の間で噂を呼び、今までは素通りしていた行商人も、わざわざこの村に寄るようになっていた。


そんな日の夕方、一際大きな土煙を上げて、屈強な男たちが護衛する馬車が村の門前に到着した。


「……着いたぞ。ここが噂の『泥靴』、いや、フェルメールか。何にもねぇところかと思ってたのに、こんなでっけえ門があるんだな」


ふぁー、と伸びをしながら馬車から降り立ったのは、熊のような体躯に岩のような筋肉と鋭い眼光を持つ男、バッカスだった。


「おい、待てそこの男。フェルメール男爵領になんのようだ?」

門番の兵士が鋭く問いかける。


「おお、俺はバッカスだ。ハルバードの街から、ここの『神童』に用があって来たんだよ」


「バッカスだと? 本当か。魔導刻印師のバッカス殿が来るとは聞いていたが、本当にお前が……?」


バッカスのあまりのガタイの良さに、門番たちはすぐには信じられず、誰何すいかの声が飛び交う。現場に一触即発の空気が流れる中、ハルバード工房に何度か行ったことがある騎士は、バッカスの顔を見るなり驚愕に目を見開いた。


「ば、バッカス殿!? 間違いない、本人だ! 皆、槍を下げろ!」


ようやく身元が証明され、バッカスは苛立たしげに大きな鼻を鳴らした。

「チッ、だから門番ってのは面倒なんだよ」


騎士の先導で、馬車は村の門を通り抜け、丘の上に上がっていく。


そこには、村人と思われる十人ほどの者たちと、アルベルトがカイトを連れて指揮を執りながら、荷物を母屋に運び込んでいる最中だった。


(ほほう、あの暑苦しい面は……バッカスか。まさか本当に工房を放り出して、こんな袋小路の果てまで追いかけてくるとはな。執念じゃわい)

カイトは内心で呆れ半分、感心半分に呟きながら、父親の服を引いた。


「パパ、おじちゃん来たみたい」

「何とか間に合ったか……。リーザ、頼む。物置にクリーンをかけてくれ」

「はい、旦那様。しかし、物置の中を全部だと私の魔力では半分くらいしか無理です」


「今日は寝台がある方だけでいい、残りは明日やってくれ」

「承知いたしました」


そう言ってリーザは、片付けの終わった石造りの建物へと入って行った。

馬車が止まり、降りてきたバッカスがアルベルトの前で柄にもなく身を縮める。


「アルベルト様、久しぶりだな……でございます」


慣れない敬語を絞り出す姿に、アルベルトは苦笑した。


「バッカス殿、よく参られた。敬語は無理して使わなくていい。他の貴族がいない場所限定だがな」


「あ、そうかい。助かるぜ。やっぱり俺にはこっちの方が性に合ってる」


バッカスはガリガリと頭をかくと、不敵な笑みを浮かべてカイトを見下ろした。その目には、職人としての隠しきれない熱情が宿っていた。


バッカスは、通された領主屋敷の重厚な扉をくぐり、リビングへと足を踏み入れた。そこには、ミレーヌと遊んでいるエレナの姿があった。


岩のような巨体をさらに小さく丸めるようにして、バッカスは深々と頭を下げた。


「……奥様。あの時は、すいやせんでした。俺の目利きが足らねぇせいで、カイト坊をあんな目に遭わせちまって……」


ハルバードの工房で、カイトを魔力枯渇で気絶させてしまった一件。その「絨毯事件」を、彼は今も深く悔いているようだった。


エレナは穏やかな、しかし芯の通った笑みを浮かべて返した。


「顔を上げてください、バッカス。あの子の力は、私たちが思っている以上に規格外なのです。どうか、これからはあの子の良き理解者として、力になってあげてくださいな」


「はい。それは俺の職人魂に誓って、必ず成し遂げてみせやす」

バッカスは顔を上げると、力強く頷いた。


挨拶を終えたアルベルトは、バッカスを促して執務室へと入った。

その一角には、かつて王都で流行したという、少し古びた意匠の応接セットが置かれている。


それはバッカスが来るのに慌てて物置を掃除した時に出て来たものだったが、捨てるのを渋った彼の「勿体ない」精神が、今は功を奏していた。


「そこに掛けてくれ。長旅で疲れただろう」

「あ、ああ、助かるぜ、アルベルトの旦那」

バッカスは窮屈そうにソファに腰を下ろすと、隣に立つカイトをまじまじと見つめた。


「えーっと、カイト様。坊ちゃん、若様……なんて呼べやいいんですかい?」

「おじちゃんが、言いやすいのでいいよ!」


カイトは満面の笑みで答えた。

(ほほう、呼び方か。ワシとしちゃあ『若』でも『坊主』でも構わんが、この男なら堅苦しいのは似合わんわな)


「分かったぜ。……正直、これくらいの子供を見るとつい『坊主!』って言っちまいそうなんだが、なるべく気をつけるぜ」


そう言って笑うバッカスだったが、ふと思い出したように窓の外へ目を向けた。馬車で村を抜けてくる際に見えた光景が、職人としての好奇心を刺激していたのだ。


「アルベルトの旦那。さっき馬車の中から炊き出しをしてるのが見えたんだが、ありゃ何です? 家も村の入り口やこの丘の中腹あたりに何軒も建ててるようでしたし、随分と賑やかじゃねぇですか」


「近隣の領地から逃げ込んできた者たちだな。食うに困ってここまで辿り着いたようなんだ。昔は外からの受け入れなんて滅多になかったんだが、ここ数日で急激に増えていてね。今は村長宅や領民の家に分散して預かってもらっているが、流石に限界でな。急遽、長屋をいくつか建て増しているんだ」


「なるほどな。あの変わった形の門も出来たばかりのようだったし、景気がいいところに人は集まるってことか。流石だぜ、旦那」


「そうだな。カイトのおかげで、この村は本当に明るくなった」


アルベルトが目を細めて息子を振り返ると、バッカスも同意するように頷いた。


だが、次の瞬間、その職人特有の鋭い眼光がカイトの腕へと向けられた。「ところで坊……坊ちゃん。あれから魔力器まりょくきの方は大きくしてねぇよな?」


「あ……」

カイトは思わず視線を逸らした。


「おい、あれ以上デカくなったら、市販の魔石じゃパンクしちまって、使える石が無くなっちまうんだぞ! 大丈夫なのかよ」


「たまに、くせで、ぐるぐるしちゃうけど……すぐ、やめてるもん」


(いかん。癖で、ついつい魔力を練っちまうんじゃ。エンジニアがスペックアップを求めてしまうのは、もはやごうのようなもんじゃよ……)


「本当に頼むぜ。あんたの魔力圧に耐えられなくなったら、魔導具の回路が焼き切れるどころか、あの無属性のバカでけえ魔石でしか魔法を使えなくなっちまうんだぞ。邪魔くさくて適わねぇだろ?」


カイトは、自分の拳より巨大な魔石を腕に括り付けて魔法を放つ姿を想像し、ブルブルと首を振った。そんなもの、重機でも担いでいるようなものだ。


「た、たぶん、だいじょうぶ。あのときは、いっぱい流れろーって、ちからいれすぎちゃっただけだから」


「それならいいんだけどよ。……あんたの出力は、刻印師オレ泣かせなんだからな」


苦笑いするバッカスに対し、アルベルトが思い出したように執務室の机の引き出しを開けた。


「そうだ、バッカス殿に見てもらいたい石があってな。領民が拾ってきたものなんだが…」


そう言ってアルベルトは机の上に魔石をそっと置いた。


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