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最終話

 私達が遅れをとった理由は、思えば私の結界に端を発したともいえました。


 私の作り上げた結界は外界と内界を完全に遮断してしまいます。帝国の侵略に抗するためやむを得なかったのも事実。しかし文化や技術交流という面では完全な鎖国状態のようなもので、技術的な遅れによる破滅は、黒船来襲のようにいつか訪れるものだったのです。


 その日は私がいままで経験したこともないような落雷と大嵐に見舞われた一日でした。

 暗雲立ちこめるなか、黒の帝国はその鍛え上げた技術力を巧妙に隠し、虎視眈々と罠を仕掛け、ある日ついに私の結界に大穴を開けた末、その修復を無効化する謎の技術を使い始めました。

 気付いた時には手遅れだったのです。


「魔女様――」


 長年私のお世話係を務めたエルフさんの顔は青ざめ、私はすぐに骸骨さんに指示を出しました。


「……手はず通り、皆さんを南に」


 私達とて無策ではありません。万一の脱出路は整えていました。

 ですが、そのための時間稼ぎは私の仕事。おそらく生きて帰れないでしょう。

 私にしがみつき、珍しくイヤだイヤだと我が儘をいうエルフさんを説き伏せて骸骨さんに託し、私は最後に寝室へと戻って鏡の前に立ちました。


 もう鏡を何年も開いていませんでした。

 開かなくても、彼の心はもう十分に届いたから。


 それでも最後だと思い、私は鏡に念をこめて祈りました。

 鏡はいつもと変わらず、ぼんやりと光を灯して小さな世界を映します。


 そこには。

 ――もう、何もありませんでした。


 勉強机や小さなベッド、懐かしい四畳半の部屋もなく。

 家そのものが消失し、更地と化していたのです。


 それを見た時、……静かに、私の中の炎が消えるのを感じました。


 長い年月が経ち、彼やその家族の身になにか起きてもおかしくない時が過ぎていたのです。その後の彼がどうなったのか、私にも分かりません。


 私は鏡に「いままでお世話になりました」と一礼を行い、その手を握りしめて結界の外へと赴きました。

 吹き荒ぶ嵐のなか、私の前には雨に打たれながらも積年の恨み辛みを込めた帝国軍が剣や盾、攻城兵器のバリスタに代わる魔法銃と戦車を並べ、臼砲による鉄の刃を研ぎ澄ませておりました。


 空は雷鳴轟く嵐の夜。

 消えゆくには、丁度良いか。

 その日、私は初めて全力を出しました。


 五百の勇者と五千の兵器、万を越える兵に対し、結界で身を固めて体当たりを仕掛け、降りしきる雷雨と竜巻すらも吹き飛ばすような、希代の魔女としての力をすべて注ぎ込みました。


 私の魔法はその特性上、死者を出すことはできません。

 しかし強固な結界で攻撃を仕掛ければ、人間でない攻城兵器をスクラップと化すことは可能です。

 私はひたすら私なりの攻撃を繰り返し、魔法銃はひん曲がり、可能なかぎりの怪我人を山の如く積み上げていきました。


 さしもの帝国軍も怯みましたが、ここで私を仕留めねば帝国は終わりだとばかりに半狂乱で迫ります。彼等はありったけの物量と回復魔法を揃え、怪我人を次々と復活させてはまた迫ります。

 それは私が人には致命傷を与えられないという弱点を突いた、的確な人海戦術でした。帝国の長い歴史は、私の力を完全に把握していたのです。


 戦は三日三晩にも及び、未だ雷鳴が鳴り止まぬなか。

 ついに私はその足を鎖に囚われ、地べたに引きずりおとされました。

 もはや私の結界も、私自身を守るだけの力しか残されていません。

 倒れた私に容赦なく砲撃が刺さり、数十発の銃が放たれました。

 それでも私の肌をうっすらと包む最後の守りは崩れません。


 身動きできず這い蹲っていると、彼等は次に私の手を、足を、身体中をその汚い靴で踏みつけました。

 黒い髪を足蹴にし、唾を吐き捨て、その首を落とそうと剣を振り下ろします。

 それでも身体を包む薄い結界だけは決して剥がれず、私を守り続けてくれました。

 私に触れるな、とばかりに。

 全力を出したのは初めてだったので、自分にこれ程の力が残っていたことは私自身でも驚くべきことでした。


 呆れた帝国の将軍は、ついに私を無視して国に攻撃を仕掛けるよう命じました。

 人質を取り、こいつの目の前で一人ずつ首を撥ねろ、と。


 そのとき、私は今までお世話になった彼等の顔が浮かびました。

 几帳面でじつは心配性なエルフさん。

 心優しい骸骨さん。

 今はもう亡くなりましたが、イタズラ好きだった子鬼さんに、愛嬌のある豚顔のオークさん。

 その他たくさんの、私を愛してくれた人々、そして――彼。


「っ……!」


 ここで私が倒れるのは構いません。ですが、私には守るべきものがある。

 嫌だ。

 まだ、こんなところで終わりたくない。

 私はこの地で、二度目の生を受けました。

 その命を、彼や、皆に報いるためにも、朽ちたくはありません。


「…………助けて」


 だから願ったのです。

 どんな形でも構いません。

 そう、


「私を、助けて!」


 目を見開き、雷鳴の響く空へと向けて、力一杯、届けとばかりに声をあげて。

 ――その時です。

 三日三晩続いた嵐のなか、ひときわ激しい落雷が、声に応じるように大地を貫きました。

 激しい土煙が舞い上がり帝国兵が呆然とするなか、ゆらりと身体を起こしたのは兜と鎧を身に着け、白衣のような白の外套を纏った男性です。


 気のせいか、その背丈に見覚えがあるなと思ったとき。

 男は兜の面をそっと外し、泥まみれになった私の前で、ニコリと笑顔を見せました。

 そして優しく告げたのです。


「お待たせしました。城木さん。……今度は、ギリギリ間に合いました!」

 と。


 ええ。それは見間違うことのない。


 彼、でした。





 帝国兵は彼が私の味方だと気付くと、目の色を変えて殺到しました。

 おそらく私の前で首を落とし、見世物にする予定だったのでしょう。

 しかし彼は軽く息を吸い、ふーっ、と吹いたら全員飛んでいきました。


 いつしか暗雲は晴れ、三日三晩続いた雷雨は彼が訪れる前触れだったと気がつきました。


 その後は、……まさに彼の独壇場でした。

 彼の剣は一振りで大地を削り、ひとたび足を蹴り上げれば千の兵士が宙を舞いました。砲撃は素手どころか気迫で止まり、仮に命中しても彼には傷ひとつつきません。


 最大の違いは、彼は人間に致命傷を与えることができました。

 彼は私に唾を吐き捨てた男を見つけると、容赦なくその身体を袈裟斬りにしました。男は二度と立ち上がりませんでした。

 泡を喰ったのは帝国軍です。彼等の強気な姿勢は私の不殺が大前提。牙のない虎を追い詰めたと思っていたら恐るべき怪獣が目覚めた訳ですから、帝国兵はみな恐れをなしてちりぢりに逃げ始めました。

 彼は私を苛めたものだけは的確に斬り飛ばし、他は見逃しているようでした。


 最後に取り残され、逃げ遅れた帝国の将軍を、彼はひょいと捕まえてこう告げました。


「次に彼女に手を出したら、必ずその首を頂きます。……二度目の忠告は、ありません」


 偉そうな将軍はぶるぶると震えながら頷き、彼が手を離すと怯えた兎のように逃げていきました。

 それ以降、二度と、黒の帝国が私達の国を襲うことはなくなりました。





 ようやく身体を起こし、私の絞り出した声は「どうして」と。


「柏原さん……事故にでも、あったのですか?」


 彼もまた非業の死を迎えたのか。そう尋ねましたが、彼は笑って。


「城木さん。魔女は数百年も生きるようなので時間の感覚が違うのかもしれませんが……あなたが亡くなってから、もう八十年が経ちました」

「……八十……そんなに……?」

「はい。という訳で、俺は寿命を迎えたんです」


 寿命。それは確かに、一切の非がない死因でした。

 彼はニコニコと微笑み、いや本当に困りました、と。


「長くかかったうえに大変でした。なにせ一切の非があってはいけないと聞きましたから、毎日健康に気を遣いましたし、事故にも気をつけました。おかげで病院のみんなには、あいつは健康マシーンだ、なんて言われたりしまして」


 それから彼は、自身の人生とその軌跡をゆっくりと語りました。

 彼は無事に医者として仕事につき、その身で多くの患者を救い続けました。それだけに留まらず、彼は医学研究にも精を尽くしたと聞きました。


 なんでも彼の世界ではその後少子高齢化がドンドン進み、八十代の老人でも介護用パワードスーツを応用した職場用スーツで働く時代を迎えているそうです。

 そのスーツ製造にも彼は関わっていたらしく、お陰で世界中の働き方が改革されたとの事でした。

 彼はその功績を認められ、国民なんとか賞やら医学なんとか賞を総なめにし、その死に至っては日本中で痛まれ全世界的なニュースになったのだとか。

 彼の話を聞いた時、私はようやく一つの答えに辿り着くことができました。


「そういうこと、だったのですね」

「え。何がですか?」

「……いえ。私の、魔女としての、ルーツです」


 たんなる小娘である私が、千の勇者や万の兵士を相手取り、インチキくさい強さを持つに至った理由。

 私一人の力で、帝国という巨大な国に八十年近くも持ちこたえられた真相。


 それは私が人一人を救ったからではなく。

 のちに世界で活躍する彼を救ったからこそ、得られた力だったのです。

 私の力は、彼の偉大な英雄性からこぼれ落ちた欠片に過ぎなかったのです。


 そう気付けば、結界の意味も理解できます。

 私の結界は、国を守るものではなく。

 最後の紙一重まで、私を守り続けるためのものだった――つまり私は、この世界に来てからずっと彼に守られていたのです。

 その事実に気付いた途端、……気付けば、涙が溢れはじめていました。


「え、あ、あのっ。城木さん!?」

「ごめんなさい。……ただ、嬉しくて」


 ぽろぽろと泣き出す私に彼はただ困惑し、戸惑っていました。

 九十を超えた人生を送れば酸いも甘いも嫌というほど経験してきた筈なのに、彼は未だ女性には慣れてないとばかりに慌てふためいているのです。

 その姿がおかしくて、私は泣きながら笑いました。


 そうしてひとしきり涙を流した後、ふと思ったのです。

 彼は泣きじゃくる私に手の一つも貸しません。

 ……久しぶりの再会で困惑しているとはいえ、少々冷たくないでしょうか?


「柏原さん」

「は、はいっ」

「女性が泣いているのに、手の一つも貸さないのは失格だと思いませんか」


 すこし意地悪に告げると、彼は困ったように頭を搔いて、しかし、と。


「その。まだ、許可を貰ってないものですから」

「……許可?」

「ですから、えっと」


 彼は困ったような、恥ずかしいような顔で後ろ髪を掻いて。


「その指先に触れても良いという、あなたの許可です」


 懐かしい気持ちが芽吹くように思い起こされました。

 夕暮れ時の美術室。白いカンバスと絵の具の香りが漂うなか、彼とはじめて結んだ約束のこと。

 ――沢山の人を救い、いまや転生して世界最強の勇者となった筈なのに。

 彼は私に対して、まだその指一つ触れることすら躊躇っていたのです。


 ふと空を見上げると、戦を繰り広げた広間にはうっすらと赤い夕日が迫りつつありました。赤く焼けた平原のなか、彼の顔を見上げて私はふと思います。

 これは、あのときの続きなのだと。

 夕暮れの中、子供が母親に手を引かれて帰宅するデート帰り、その続きなのだと。


 私はそっと身体を起こし、あのときと同じように髪を弄り、すこし目をそらして。

 前からずっと決めていた覚悟の通り「はい」と言葉なく頷きました。


「その指先を、どうぞ。柏原さん」

「……ありがとう、ございます」


 私の声かけに、彼は恐る恐るといった様子で手を伸ばしました。

 ……どこに触れられるのだろう。瞼をきゅっと閉じた私は、まず頬に触れられる予感を抱きました。

 しかし彼はまず私の肩にそっと触れ、黒の衣服についた砂埃を静かに払い落とし始めます。もどかしい程にじれったく。私がそこに居るという事実を確かめるかのように優しく。


 かつては儀式だと思いました。

 ですが、さすがに待たせすぎでした。


「柏原さん。ひとつ、お願いがあります」

「え、な、何でしょう。俺はまたなにか失礼を……?」

「いいえ。もう少し、……激しくできませんか」

「え!?」

「お願いします。いくら私にでも、さすがに焦らしすぎです」


 私はとても長く待ちました。

 おそらく、彼も。

 ひとつ風が吹き、彼の前髪がゆるやかに揺れました。


「――はい。本当に、お待たせしました」


 彼は微笑み、その大きな手で私を抱き留めてくれました。そのときの気持ちを私は言葉にすることができません。幸福のあまり身体が熱く、溶けてしまいそうでした。

 ぼんやりと顔をあげれば、おのずと柔らかく微笑む彼と視線が絡みます。


 焼けるような夕日の中、私はそっと背伸びをして彼の唇を塞ぎます。彼はとても驚いたようで、その頬が真っ赤に染まってしまったことが私はとても満足でした。

 くすくす微笑んで、意地悪く続けます。


「知っていますか、柏原さん。勇者や魔女は、この世界で転生したあとは、長らく生きることができるそうです」

「え、ええ。それは聞いていましたけど」

「八十年も待たせたのです。残り数百年、しっかりと私を幸せにしてください。……いえ、幸せになりましょう。そして、とても遅くなりましたが――私も、あなたのことが大好きです。不束者ですが、今後とも末永く宜しくお願いします」


 私の告白に、彼はすこしだけ呆然として。

 ただひとつ「その言葉が聞きたかった」と口にしたのち、もう一度だけ私の額に、ゆるやかに唇を降ろしたのでした。







 元は人間の身でありながら、このような幸福は身に余る贅沢かもしれません。

 ですが神様も、許してくれることでしょう。

 なにせ彼の指先に触れるまで、八十年もかかったのですから。



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