第12話 丘上都市レイナード
坂の多い街だった。
石畳の道が丘の斜面を折れ曲がりながら登っていき、その両側に、同じ色の石を積んだ家がびっしりと並んでいる。
日が傾いても通りの人は減らず、誰もが当たり前の顔で荷車の脇をすり抜けていく。
昨夜の火の色は、この街のどこにも無い。
門をくぐってすぐの所で、エルザが荷車を止めた。
荷台から降りると、足の裏に石畳の固さが返ってきた。熱はほとんど引いている。
カイェンが御者台に上がって、エルザから手綱を受け取った。
「俺はこいつを預けてくる。帝国の馬で街なかをうろつくわけにもいかねぇだろ」
ミリザが門の脇を指さす。
「あそこに、旅の方が馬を預ける厩があります。宿は坂の途中、青い戸の所にしましょう」
「青い戸な。先に部屋を取っとく。お前らは司祭んとこ行ってこい」
荷車が向きを変えて、門のほうへ戻っていった。
「教会は丘の上です。ついてきてください」
ミリザが先に立って歩き出した。
坂を少し登ったところで、木箱を担いだ若い男が足を止める。
「ミリザ? エルザも! ドルナにいるんじゃなかったのか」
「……うん。ちょっと、いろいろあって。今着いたところなの」
ミリザが答えるまでに、一拍あった。
男は気づかなかったらしく、「そっか、またな」と木箱を担ぎ直して坂を下っていく。
それからも何人かが声をかけてきて、二人はそのたびに立ち止まって挨拶を返した。
すれ違う顔を、つい一人ずつ見てしまう。
俺のことを知っている顔は、ここにも無かった。
酒場らしい店の前で、前掛けをした女が大きく手を振った。
「ちょっと、ミリザじゃない!」
女はこちらに目をやると、口に手を当てる。
「男の人なんか連れて帰ってきて。どこで捕まえたの?」
「ち、違います! この方は、その……」
「護衛の方です」
エルザが横から、すました顔で引き取った。
「護衛ねぇ。はいはい、そういうことにしといてあげる」
女は笑いながら店の中へ引っ込んでいった。
ミリザは前を向いたまま、早足で坂を登っていく。
耳の先が赤い。
後ろでシャーリーが笑いをこらえている気配がした。
道の脇に立つ柱の灯りが、ひとつ、またひとつと点いていく。
火を入れて回る人の姿はどこにも無かった。
誰も見上げていない。驚いているのは、俺だけらしい。
坂の途中に小さな広場があった。
奥の石垣から水が湧き出して、石の水盤に溜まっている。
水盤の向こうには、人の背丈ほどの石の小屋が据えられていた。
苔の付いた屋根の下で、格子の隙間から光が漏れている。
ミリザがその前で手を合わせて、目を閉じた。
エルザも隣に並ぶ。
「何だ、これ」
「祠です。精霊様がいるんですよ」
目を開けたミリザが、水盤の水に指先を浸した。
「この湧き水は、一度も涸れたことがないんです。精霊様のおかげだって、小さい頃から教わりました」
そう言いながら、ミリザは格子の奥を覗き込んだ。
「……こんなに暗かったかな」
エルザも格子に目をやったが、何も言わなかった。
前の明るさを知らない俺には、比べようがない。
ただ、格子の向こうの光は、通りの灯りよりもずっと淡く見えた。
ミリザはしばらく祠を見つめていたが、やがて顔を上げた。
「行きましょう。教会は、もうすぐです」
教会は丘の頂にあった。
周りの家よりずっと古い。
壁のあちこちで、積み直した石だけ色が違っている。
「訊いてきます。少しだけ待っていてください」
ミリザがそう言って、二人は礼拝堂の中へ入っていった。
俺とシャーリーは入口の脇の長椅子に腰を下ろす。
見下ろすと、坂に沿って並んだ灯りが、丘の裾まで続いていた。
シャーリーは何も言わない。
隣に座っているのに、何を話せばいいのか分からなかった。
結局ひと言も出てこないうちに、礼拝堂の扉が開いた。
出てきた二人の後ろに、年配の修道女が一人ついている。
俺とシャーリーは長椅子から立ち上がった。
ミリザの目が赤い。
村のことを、この人に話してきたのだろう。
焦げた匂いが、まだ服に残っている気がした。
「司祭様は、こちらにはいらしていないそうです」
「……隣国の教会、とおっしゃっていたわよね?」
シャーリーが言うと、ミリザは目を伏せた。
「はい。ドルナから一番近い隣国の教会は、ここですから」
「ほかの方にも訊いてみましたが、司祭様をお見かけした方はいないそうです」
エルザが続けた。
司祭が村を発ったのは二日前の夕方だ。荷馬車が門を出ていくところを、俺も見た。
荷馬車なら、とうに着いていていい。
修道女が、皺の寄った手でミリザとエルザの肩を順に撫でた。
「道が荒れているのかもしれないわ。王都が落ちてから、どこの街道も物騒だと聞くもの」
ミリザは小さく頷くと、両手を組んで目を閉じる。
「グランダークを照らすアリスティア様。ドルナで眠った皆に安らぎを。残された者と、旅の司祭様を、どうかお守りください」
「アリスティア様のご加護がありますように」
結びの一言だけ、エルザと修道女の声が重なった。
祈りが終わると、修道女は俺とシャーリーのほうにも目を向けた。
「今夜は泊まっていきなさい。部屋なら空けるから」
「ありがとうございます。でも、大勢でお世話になるわけにはいきませんから。宿はもう決めてあるんです」
ミリザが笑って首を振る。
その隣でシャーリーが頭を下げた。
修道女はミリザを見て、息をついた。
「……相変わらずね、この子は」
それから、エルザの頬に手を当てた。
「エルザ。あなた、ちゃんと食べてるの?」
「食べてます」
「細くなったわ」
エルザが困ったように笑う。
「また顔を見せに来なさい。二人とも」
「はい。また来ます」
修道女に見送られて、教会を出た。
青い戸の宿は、坂の中ほどにあった。
カイェンはとっくに部屋を取っていて、一階の食堂で葡萄酒を飲んでいた。
司祭のことを話すと、「そうか」とだけ言って杯を置いた。
夜更けに、廊下の床板が鳴る。
誰かが軽い足取りで階段を下りていき、宿の戸の開く音がした。
窓を開けると、坂を下りていく背中が見える。
灯りの下を通った時、肩のみそら色が浮かんで見えた。ミリザだ。
俺は剣を取って廊下に出た。
シャーリーの部屋の戸を一度見てから、階段を下りた。
「どこへ行くんだ」
追いついて声をかけると、ミリザの肩が跳ねた。
「クシェルさん……。起こしちゃいました?」
「一人で歩くな。何かあったらどうする」
「門まで行ってみようと思って。ドルナから逃げてきた人がいたら、門の番の人が見てるはずだから」
肩掛けの下から、寝間着の裾がのぞいていた。
ミリザは少し首を傾げて、俺を見上げた。
「心配してくれたんですか?」
「護衛だからな」
「シャーリーさんの、ですよね」
「……今は、お前の護衛だ」
ミリザは一瞬きょとんとして、それから前を向いた。
「じゃあ、ちゃんと守ってくださいね」
いつもの声に戻っていた。坂を下る足はさっきより速い。
人のいない夜の坂を、柱の灯りだけが照らしている。
「小さい頃、この坂をエルザと駆け下りて、よく転んだんです。転ぶのはいつも私で、エルザが泣きながら手を引いてくれて」
泣きべそでミリザを引き起こす小さなエルザの顔は、すぐに思い浮かんだ。
話しているうちに、ミリザは少しずつ歩みを緩めていった。
曲がり角の手前で、俺は足を止めて耳を澄ました。
風の音とは違う。どこか遠くで、石畳を硬い物が擦る音がした。
ミリザは気づいていない。動かない俺を、不思議そうに振り返る。
「クシェルさん?」
路地の奥で、女の悲鳴が上がった。




