第六章 決断のとき(2)
調査船のリース契約延長を済ませたディーンとエレナは、修復の終わったディーンのアパートメントに戻っていた。
あの事件で大きな損傷を受けたと思われたアパートメントは、構造へのダメージは少なく、モジュールの取り替えだけで十分住み続けることができると分かり、『事故』の補償金を受け取って戻ることができた。もちろん、ディーンは、その補償金の出所がどこなのかを知っている。
エレナも当然のようにここに居候している。別の部屋を借りるにしても費用がかかる。エレナの貯金も無限ではない。なるべく多くを調査に割り当てたかった。
「また一ヶ月は船を使える、だけど、結局僕らは、あの深度にたどり着けそうも無い」
夕食を摂りながら、ディーンは自嘲気味につぶやく。
「うん。でも、いい。努力をやめないことだけが大切」
エレナは甘いスープを口に運ぶ。
「私の貯めたお金を全部使ってもだめなら、仕方が無いもの。それに、いつかあなたが新しい海域での調査を任されることがあれば、そのときはまた堂々と調査をすればいい」
「きっと、あの王女様は、そんなことにならないようにちゃんと網を張ってるさ」
彼らが個人的に調査をしているという噂も、当然リーザ殿下は知ってのことだろう、と思う。彼らが核心にたどり着きそうも無いから、泳がされているだけだ。
「君の資金が尽きたら、それでおしまい。君は宇宙に出て、もっと有望な何かを探すべきだと思う」
エレナがどうやって宇宙を旅する資金を得ているのか、ディーンはすっかり知っている。あのマリアナで、用心棒やヒットマンのような稼業で荒稼ぎをしているのだ。そのために、彼女が持ついくつかの物騒な二つ名は大層役に立つし、実際、彼女自身がその二つ名を広める手助けさえしたのだという。
だから、資金が尽きたら、エレナはマリアナに戻るしかない。この平和なエミリアでは、エレナの稼ぎ口はないだろう。
「……私は、ここに残ろうかと思ってる」
ディーンの心配を見透かしたかのように、エレナが返す。
「お金を稼ぐ方法は、あまり無いかもしれない。でも、全く無いって程でもないもの。私の本体がどこにあるかはあなたにも秘密。でも、あなたたちが、知能機械で私のねぐらを破るのを、私は見ていた。わざと放っておいた。あれを見れば、ディーンが戻ってきてくれるかもしれないと思ったから」
エレナは、少しいたずらっぽく微笑んだ。
「別にあの王女様に知られても、私は困らないし。あれを吹聴するような人じゃないと思ったし」
変なところで王女殿下を信頼しているものなのだな、とディーンは不思議に思ったが、それを見抜く目も、エレナ独特のものなのだろう、と思う。
と思いつつ、エレナが何の話を始めたのか、ディーンにはつかめず、思わず首をかしげる。それを見てエレナは、その疑問を肯定するように軽くうなずいた。
「わかる? 私は、あの程度の知能機械を相手にする限りじゃ、何でも自由自在。そしてあの手の知能機械――ジーニーって呼ばれてるんだっけ? あれが、今人類が手にしている一番賢い機械なんでしょう。だったら、私はエミリアでも稼ぎ口があるってこと。例えば――とある王女殿下の命令で、どこかの王族のプライバシーを暴いて、弱みを握る、なんてどうかな」
冗談だか本気だか分からないエレナの言葉に、ディーンは思わず笑いを漏らしてしまった。
「わかった、わかったよ、君にはきっと何でもできるんだろう。いいとも、君が気がすむまでこの星にいるといい」
気がすむまで僕のそばにいればいい、という言葉は、とりあえず飲み込んだ。そこまでを彼女に求めるつもりは、そこまでの覚悟をするつもりは、まだ彼には無かった。
ほぼ彼の言葉が終わるのを待っていたかのように、玄関の呼び鈴が鳴る。
彼に訪問者などあるだろうか?
あまりに大きな騒動が続くので彼は元の生活をすっかり忘れていたが、確かに、たまに予告も無く尋ねてくる友達が全くいなかったわけでもない。そんな輩なら、エレナの姿を見せるのは多少ばつが悪いと言えばばつが悪い。
どうやって断ってやろう、と思いながら、ディーンは腰を上げて玄関モニターを覗き込む。
しばらくそれを見つめていて、それから、彼は振り返った。
「君の将来の雇い主様になるかもしれない人だ」
ちょっと皮肉っぽい口調になるのを抑えられなかった。
そこに映っていたのは、エミリア王国第七位王位継承権者、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ殿下だったのだから。
門前払いもまずかろう、と思い、彼は彼女を通した。
いつものお忍びファッション、明るい色のワンピースの彼女が部屋に入ると、部屋の空気がぱっと華やぐが、ディーンの心中はどちらかと言えば沈む。
「……ディーン、お久しぶり」
余所行きの笑顔は、少しぎこちない。
「何をしにいらしたんです、殿下」
「敬語はいらないわ。ただ――どうしてるかと思って」
「それだけでこんなところに王族ともあろうお方が?」
「皮肉を言われるほどのことをした自覚はあるわ。――エレナ、あなたにも。あなたが危険な存在だという考えを引っ込めるつもりはない。でも、ディーンがあなたを選んだのなら、仕方の無いこと」
「選ぶ? 何の話だ?」
これではまるで、ディーンが王女様と魔人をもてあそぶプレイボーイのようではないか。
「……エミリアの平穏と、あなたが信じているもの。その二つのどちらをとるか。私はこれからもあなたたちの邪魔を……しなくちゃならないから。宣戦布告ととってもらっても結構」
「……リーザ、あなたの考えはよく分からない。ただそれだけのために危険を冒す意味は無い」
エレナが、穏やかな声で問いかける。
ディーンは、おや、と思う。以前は、もっととげとげしく接していたのではなかったか。エレナは、リーザの何かを察しているのか?
「――そうね。これを届けに来たと言ったら、納得するかしら」
そう言ってリーザがかばんから取り出したのは、小さなプラスチックカード。それは、エレナが過去にたびたび無造作に取り出していたのと同じ、無署名のクレジットクーポンだった。
「補償金だと思って。私はこれから、ディーンの前途ある科学者としての未来を潰すつもりだから」
「これは受け取れない」
ディーンは憤然と言い放つ。
「署名はしてないわ、邪魔になるものではないはずよ。こんなことで恩を売ろうなんて思ってないし」
「受け取れば汚された気分になる」
ディーンの高潔な騎士のような言いっぷりに、リーザは小さく笑みを漏らした。
「では、こちらの魔人さんにお渡ししておくわ」
「……ええ、署名できない理由があるお金のようだから」
エレナも微笑み返しながらそれを受け取った。
「よせエレナ」
ディーンの抗議にもかかわらず、エレナは軽く肩をすくめて、クレジットクーポンをポケットにねじ込んだ。
「ディーン、あれはエレナに渡したの。文句はエレナにどうぞ。私はあなたには何も渡してないですからね。それじゃ、また会いましょう」
リーザは一方的に言うだけ言うと、さっさと玄関をくぐって夜の闇の中へ消えていった。ディーンは追いかけようという気さえ起きなかった。裏切り者リーザ。何をいまさら、と。
「……主教猊下に知られたくないお金なんだよ」
エレナが、闇をにらみつけているディーンの背中に向けてつぶやく。
「……猊下に?」
「もし今、採掘の挑戦を続けているあなたにその助けとなるお金を渡したなんて知られたら、リーザはおしまい」
だとしたらどうして?
思わずその問いが頭に浮かぶ。
「私が魔人だからって人の心が分からないなんて思わないでね。リーザはきっと、後悔してる。たぶん、人の人生を本気で狂わせたのは初めてなんじゃないかな」
ディーンの心の中の問いに、エレナが答える。
「みんなが、自分の人生のために一生懸命戦ってる。誰かが勝ったり負けたりする。リーザは、まだ勝ったことが無かったの、きっと」
負けたディーンは単純な憎しみを燃やした。
その一方で、勝ったリーザも後悔をくすぶらせている。
エレナの言うのは、そういう意味だった。
「私はいろんな人生を見てきたから」
彼女は小さく笑いながら言うと、ディーンの背中を軽くぽんと叩いた。




