幕間:月見で一杯 其の二
「…………、……で?」
呼び出したユアに茶を用意してもらい、一息ついた後、ジールが話を切り出した。
《うむ。茶請けもあるぞ。食べるか?》
「こんな夜更けに食うつもりはない」
《…………そうか》
サシャは差し出したお茶請けをいそいそと片付ける。サシャも手を出すつもりはないらしい。
「……メルティアとクレスの怪我は、ひどいのか」
《いや、昼間見た通り、二人とも動く分には問題ない。メルティアは火傷が些かひどくはあったが、ネロが塞いだ。まあ、痕が少し残ってしまったことについては謝罪する。……幼子に傷を残す結果となってしまったのは、申し訳ないと思っているよ。詫びになるかはわからんが、後で認識阻害か肌色を隠す魔法を施そう》
サシャは自分とジールの湯吞に急須から均等に茶を注ぐ。
湯気が立っている湯吞に、ジールはすぐに手はつけない。
「後遺症と言えるほどの支障は出ていないんだろう。だとしたら恐らくあいつは気にしない。結構図太いからな。仮に気にしたとしても、それはこっちで対処する。本来は入院も視野に入れなければいけない傷が、ほぼ完治の状態まで治療されたんだ。これ以上の施しは過剰になる」
《そこはせっかく下手に出ているのだから搾り取るべきだろうに……。相変わらず損な気質だなあ、お前》
「ほっとけ。……クレスの怪我はどうなんだ。右腕は問題なく戻りそうなのか」
《ああ、クレスは大体肘の下から指先までが変化を解いても戻らなくてな。ひとまず、治すまで右手を使わないよう右腕全体を固定させている。まああの程度であればまだ新陳代謝も早いだろうし、明日以降に魔力同調して身体組織を元の形態に戻せるよう誘導すれば、程なく戻るだろう。目に見える後遺症はそんなもので問題はない、んだが……》
「が?」
《自己申告されてないんで推測だが、あれ右目の視力にも後遺症出ているな》
「あ? あのバカそこまで変化してやがったのか!?」
《まあ待て。視力を失ったりだったら本人も流石に申告してくるだろう。何も言ってこないということは、逆の症状が出ているんだろうさ》
「……つまり、視力が上がっていると?」
《おそらくな。とはいえ視力が良すぎるというのは脳に負担がかかるし、遠近感もすぐには合わないから下手に動くと転んで怪我をしてしまう可能性もある。念のためあまり出歩かぬよう見張りはつけているから、こちらも明日以降で徐々に戻せるよう調整しよう。……運のいいことだな。まだ元に戻せる範囲のものばかりで、致命的な後遺症が出なかったとは》
「……あいつらには、後できつく言い聞かせておく」
《それは頼むよ。流石にもう一度同じことをしでかして、今回のように無事で済む保証は私にはできん。とはいえ、身体的に目立った怪我はこの程度だ。数日、ここに滞在してもらうことになるが、自然治癒に任せられるレベルまでは治療することを約束しよう》
「そうか……。院にはこちらで連絡を入れておく。――……世話になる」
《――ふふ。久方ぶりの客人だ。存分にもてなそう。
……二人の怪我については、以上だ。ここで話は終了してもいいんだが、もう一件、お前に確認事項があってな》
「それは……おまえがチャグに命令して俺とともに持ってこさせたこれについてか?」
ジールは、先ほど自分用に用意された客間に置いていた荷物の中から取り出してきた数枚の紙の束を、自分とサシャの中間地点に置く。
サシャはその紙束を手に取るとパラパラとめくり、口の端をつり上げる。
《……さすが、早いうえによくまとめられている。確認とはいったが、ちと困った問題が発生している、というのが正しいな――怪我以外の部分で》
「怪我以外? ……まさか呪詛でも受けたか!?」
《ああ、それはないから安心しろ。
……というかあの二人にかけたとしても、並大抵のものは跳ね返されて仕舞いだ》
「……なに?」
《お前とて、感づいてはいるのだろう。二人の正体に》
「…………まて。……二人? まさかメルティアもか? クレスだけでなく?」
サシャは熱々の茶が注がれた湯呑を傾け一気に空にすると、あきれたように口元を釣り上げた。
《私からすれば気付かなかったお前のほうに驚きだ。どう考えてもおかしかろうが。あれの肉体年齢はまだ齢五つなんだろう?》
「……俺もあのぐらいのときに魔術の基礎は学び終えたから、まあそんなものだろう、と」
《…………そういやそうだったな。お前はまがりなりにも学院史上でも有数の天才と呼ばれていたんだったか》
新たに注ぎなおした湯呑をいったん傍に置き、サシャはジールが客間から持ち出してきた紙束に目を通す。
《だが、あの子どもは優秀な方ではあるだろうが、天才ではない。それは、お前とて見ていればわかっただろう。自分のときとは違う、とな》
「……それは、まあ……」
《ならば不思議に思えよ、相変わらずお前は昔から変なところで鈍いなあ》
「うるさい。大体そんな簡単にお前みたいな存在とそうポンポン出会うとは思わんだろうが」
《それはまあ、確かに》
サシャはメルティアとクレスの来歴がまとめられた資料をぽんぽんと叩く。
《そもそもどういう経緯でこの二人はお前のところにやってきたんだ? お前の言う通り、代理神が――それも二人そろって未覚醒の状態で一ヶ所に集まることなど、そうそうあり得ないんだが……。資料では二人を院に引き取ったのは、メルティアが約5年前、クレスが2年前、か……。ふむ、確か2年半ほど前になるか? ワプール海域での水竜の巣の駆除騒動があったのは》
「……」
水竜とは水棲種に属する種族のなかで最高位に座する生物であり、高度な知能に強靭な皮膚――鱗と爪を備え、背には巨大な翼を携えた姿をしている。好戦的な性質ではないものの、なわばりに入り込んできた異物に対しては牙をむき、彼らにとっては威嚇という名の――こちらからすればかするだけでも危険が伴う一撃を放ってくる存在だ。
《大方、生態調査の依頼でも受けて出向いた先でまたハプニングでも起こして拾ったのか。昔から変なものを惹きつけていただろうに、懲りないなお前》
「誰も好きで起こしてるわけじゃねえ! だが……」
ジールは憤慨とともに反論する。そう、何を好き好んでこんな事態を引き起こすと思っているのだ。あんな面倒事、自分だって引き受けたくはなかった。引き受けたくなかったが……、
「あいつがこっちに手を伸ばしたんだ」
ならば、それを払いのけるわけにはいかない。
《うん? ああ、お前の信条か。面倒なものだな、見捨てないというのも》
甘すぎて反吐が出る。
そう告げるサシャの口元は、いびつに吊り上がり笑みの形に歪んでいる。
「ほっとけ、性分だ。今更神に理解など求めていない」
《おや、それは心外だな。代理神ほどこの世界に住まう者たちが健やかに生きることを願っている存在はないというのに》
「……見世物として、だろう」
《言葉が悪い。これでもいくらかは本気なのだがな。――前にも言っただろう、この世界は一種の舞台だ》
サシャは懐から柄のようなものを取り出す。末端に魔石が埋め込まれている側とは反対の方を、なにもない空中へと向ける。指先でコツリと魔石をつつけば、何もなかった柄の先から魔力によって刃が形成されていく。
「……」
サシャが懐を探った時点で距離を取っていたジールは、昔、出会って間もない頃のサシャが告げた言葉を思い出す。
「――……ここは、箱庭の世界」
《そうだ。昔にも教えただろう? この世界は舞台》
サシャが小太刀ほどにまでサイズが伸びた魔刀を指揮棒のように振るう。その軌跡に合わせて、空中には陽炎のようにぼやけた光が、舞台のような絵を描き出す。
《人は役者兼演出家》
舞台上に二足歩行のヒトらしき生きものたちが現れ動き出す。その様は、舞台の上で何かを演じているようにも見える。
《代理神は観客か支援者》
舞台を囲むように、何かの影が蠢くように現れる。舞台上にいる生きものはまだヒトの形をしているのに、外から眺めるそれらは、形が不定形だ。
《興味や好奇心によっては声援や裏方にまわることがあるが、舞台に上がることはない。いつだって我らは――》
さらにその後ろ、ヒトや代理神すらも上からのぞき込むように見下ろす何かを描きかけたところで――、
《……人の歴史の表舞台に立つ存在ではないのさ》
パン、という音とともに光がはじけ飛び、描いていた淡い光の稚拙な絵は瞬く間に夜空へかき消えた。
「……結局なにが言いたい。絵を見せたいならそんなに眩しい光で描くな。何も見えなかったぞ」
《……ひどいなあ。今のはなかなかうまく描けた力作だったというのに》
サシャは刃を形成していた魔力を解除し、再び柄だけの形に戻った魔刀を懐にしまいながら、ジールに聞こえないよう調整した声で呟く。
《――――……》
「……なんだ。なにか言ったか」
《いいや何も? まあつまりだ。どうせ舞台を観るなら、代理神はハッピーエンドが好きなのさ》
「ハッピーエンドぉ?」
少し冷め始めた湯呑片手に戻ったジールが、胡乱げな眼でサシャを見つめる。
《そんな胡散臭いものを見る眼をしないでもいいだろう。――いいじゃないか、幸せに終わる物語。よきものもわるいものも分相応の報いが与えられる世界。過剰な報いがどちらかに偏ることもなく、後腐れなく終わるすっきりした物語》
私は、別に誰かの不幸を喜んで見れる性格はしていないのでな。
新しく茶を注ぎ一息ついたサシャはそう告げた。
「…………」
《ワーウタグリブカイメ。そりゃあ神としての判断が求められる場合はその限りではないさ。だがしかし、求められないうちは、そう願うくらい、こっちの勝手だろう。――代理神とて、生きているのだから》
「…………神の生態は、よく理解できん」
《大して変わらないさ。お前たちと同じで寝食がなければ不調になる。感情は大分抑制されるが自我自体は神になる前と基本変わらない。肉体は不老なだけで不死ではない。とはいえ、死ぬこともできないが》
「……転生、か」
《そうさ。この世界において、神と一部の例外にだけ許される特権――……と言えば聞こえはいいがな》
「――情報の引継、といったか。本当にそんなことが起きるのか?」
《起きるさ。現に、メルティア――はわからんが、クレスは生前の先代の若い頃……の姿にそっくりだ。本人としか言いようがないレベルでな》
サシャ曰く、この世界における神は肉体的にではなく、精神的な意味で不死である、らしい。肉体が滅びたとしても、時間が経てば同じ種族、同じ容姿、同じ名前、同じ能力、そして前回死ぬまでの記憶をすべて持ち越してまた産まれてくる、とのこと。
《……要素だけを見れば、いいことづくめでなりたがるものも多かったらしいなあ》
「……現代においては、御伽噺にしか存在しないあやふやな記載ばかりで、お前らみたいな実例を知らない限り、本腰を入れて研究しようとする変わり者は少ないがな」
《その数少ない変わり者でありながら副業の生態調査で世界的な権威になった奴がよく言うな》
「うるせえ。…………ほんとうに、あの二人は神なのか。しかも、お前の口ぶりだと……」
《――ああ、その点については断言しよう。あの二人は代理神と同類であり、少なくとも1回以上、産まれなおしている》
「…………」
ジールは、湯呑を持っていない側の手で顔を覆い、うなだれる。どのくらいそうしていただろう。うつむくジールを尻目に茶を入れなおしていたサシャは、ジールが顔を上げ、月を見上げるのを静かに見ていた。
「…………メルティアは」
ポツリと呟くようにジールが話し始める。
「5年前、俺が留守中の間に院へと引き取られていた」
《ほお、出不精のお前がたまたま出かけていた時に。それは何とも変わった運命の持ち合わせだな》
「――あいつの存在に最初に気づいたのは、イベル――うちにいる調教師が世話している鳥だった、らしい」
《ああ、お前のところいろいろ珍しい獣を飼っている奴がいたな。そういえば》
「――……本人の前で"飼ってる"とか言うなよ……、すげえ怒るから」
《機会があればな。――それで?》
「…………そいついわく、院から山を一つ超えた先にある森が、一部色が変わっていたんだと」
《…………色。ああ、なるほど》
最初は僅かな違和感だけだった。だが日が経つにつれて、その部分が明らかに色が変わっていった。まるで、新緑から枯葉になるまでを早送りで見ているように。さすがにその時点で経過を見守っているだけでは危険と判断し、3日目にはキドゥが――院の中から大人が一人、様子を見に行った。
《話の流れからすると、その時見つかったのがメルティアか?》
「――……それと、もう一人だ」
《他にもいたのか》
「――――…………恐らくは生後数ヶ月の赤子だったあいつを、隠すようにしていた木の洞のすぐそばに、女の死体がな」
《――…………獣か?》
「俺たちが管理してる土地でそんなもん放っておくわけねえだろ」
《む。すまん、失言だったな。忘れろ》
「ったく……、……傷口からみて何らかの攻撃系の魔法を受けた。即死はしなかったが、赤子を隠した後に力尽きた、といったところだったらしい」
《母親か?》
「いや、シャルの見立てでは違うだと」
《根拠は?》
「服だ。女がまとっていた服と、メルティアがくるまっていた布生地では、メルティアのが上等だったらしい。おまけに検分した感じ労働階級に属していたらしいが、メルティアの布生地はそうそう安いものではなく、どこかの貴族階級の娘とその使用人ではないか、というのがシャルの見立てだ」
《ほう――……あー、なるほど、そこまで予想していながらメルティアが院に引き取られている原因がわかった》
「…………」
《当ててやろうか?》
「……どうせおまえの予想した通りだ。あの森を含めて、院の周りは定期的に見回りをしている。少なくともその前後数日中に、外から来た者はいないはずだった。なのに、あの二人は突然現れた。考えられるとすれば、転移魔法だけだ」
《が、それは通常あり得ない》
「ああ、例外を除いて、通常、転移魔法を行うためには出発点と到着点に魔法印が必要な上、両方に発動者がいないと不安定になる代物だ。おおよそ、普段使いできるもんじゃねえ」
《にも関わらず、その二人は現れた。しかも誰かからの攻撃を受けた姿で》
「――緊急事態用に用意していた転移魔法で跳ぼうとしたところを襲撃された。その時に何らかの不具合が発生して、本来の転移場所ではなく、偶然、俺たちのところに転移してきた、と推測をたてていた」
《……そうだな。その条件下であれば、そういった不具合も発生する可能性は高い、とは言っておこう》
「空間を司る神が言うなら、そうなんだろうよ」
《貴族の館であれば、それなりの警備を配置しているはずだ。そこいらの賊であれば、本当に最後の手段である転移魔法を使うまでにはならない。となれば――》
「そこいらどころではない賊か、あるいは相応の装備をした組織に襲撃されたか。――…………例えば、国軍に、とかな」
《――ここ数年、内乱でごたついている国があるな。最近は下火になりつつあるが、一番騒いでいたのは確か5,6年前だ。騒動の要因は――妖獣類の排除か、擁護か。確かあの国、近年稀にみる武獣類――特に人族至上国だったんだろう? しかも、その国は確か質のいい布生地を特産品として扱っていたはず――可能性としては、十分候補となる》
「仮にその国の貴族の娘として産まれたのがメルティアであるならば――」
《火種には、なるな》
メルティアは、魔獣人種だ。もしかしたら武獣類至上派であった国ならば、魔獣人種と気付かず獣人種と思われていたかもしれないが、そういった国に限って、貴族階級以上の者に人族以外の種族が産まれることすら忌避することもある。つまりどちらにしてもろくなことにはならない。おまけに――、
《現在の魔獣人種は、先祖返り以外での誕生は、まだ発見されていない。つまりは父親か母親のどちらかに、魔獣人種に連なる血筋が混ざっているということだ。これは――純血に拘るやつらにすれば、許し難いことではあるだろうな》
出生届が出ているかどうかも、怪しいところだ。
「……少なくとも、家族には愛されていたらしい。包みには名前が縫われていたし、多少弱ってはいたが、健康状態は見つかるまでの時間経過を考えれば、健康そのものな状態だったそうだからな」
《ほう、それは幸いなものだな》
自分の誕生を祝ってくれる者が確かにいたのといないのでは、やはり違ってくるのだろう。
《とはいえ、健康状態がよかった理由には別の要因もあるだろうな》
「別の要因?」
《ん? ああ、そういえばこの情報は教えたことがなかったか。まあ、知られたところで問題はないし、いいか……。いいか、巷では、『神は無限の魔力を持つ』などという噂も出回っているようだが、さすがに代理神も生物の一種であることには変わりないからな。無限などといった性質は、一つたりとも持ち合わせてはいない。傍から見ればそう見えるから、お前たちは勘違いしたのだ》
「……いきなりなんの話だ。メルティアの健康状態となんの関係が……」
《――まあ待て、話はこれからだ。無限はないが、神として持ち合わせている能力は他にも存在していてな。例えば、周囲の魔素を取り込み、自らの魔力に変換できる、とか》
「時間経過以外での、体内魔力の自己回復手段を持ってるってことか――!?」
この世界の大多数の生物は、蓄積容量の差はあれど魔力を必ず持っている。それは、魔力を生み出す器官を体内に持っているからだ。一般的に魔力がない、少ないとされる種族であっても、最低限体内を循環させるための魔力は宿している。この体内循環に回す分で手一杯で、他の余分な作業――魔法や魔術の行使に必要な分を生み出す余裕がないため、(行使に必要な)魔力がないということになる。これは本人の意識の有無にかかわらず、生存本能としての動作のため、意図的に循環を止める、ということは難しい。何より、この循環には身体強化と生命力強化の効果があるため、この循環が滞る=死に直結するという状況も存在してくる。逆に言えば、この循環さえ滞っていなければ、生物は死ににくいということでもある。
「一度消費した自己魔力を回復させる手段は体内器官による魔力の再生成しかない。薬や補助魔法等でサポートはできるが、それもせいぜい回復時間を速めるだけであって、魔力そのものを増やすことはできない」
《そして、他者の魔力を分け与えることも難しい。技術自体は存在するが、高確率で拒否反応が出るからだ。今のところ可能なのは、特殊な主従契約を結んだ間柄程度か。結ぶのも面倒なうえに解くこともややこしい契約なんぞ、いちいち交わす暇はないがな》
「つまり、メルティアは周囲から魔力を吸収して、自分の生命力を強化してたということか」
《恐らくは無意識レベルの本能で行ったんだろう。通常ならば餓死以前に魔力の供給が間に合わず枯渇で駄目になるところを、神ゆえの荒業だな》
「植物は普段水や日差し以外に、大気中の魔素も栄養として吸収している。だがメルティアが周囲一帯の魔素を吸い尽くしていった為に、近くの木々が枯れていったってところか。……ちっ、そう言えば当時キドゥが緊張のせいか妙に息苦しかったとか言ってたな……」
《そりゃあ、辺りの魔素を吸い尽くせば、当然周辺一帯の魔力濃度は下がる。普段無意識とはいえ呼吸と共に取り込んでいるお前達にとっては、ひどく不全な状態だっただろう》
ジールはサシャの話している途中から、懐から取り出したメモ帳にたった今聞かされた情報を書き込み始める。書き込み途中からぶつぶつと独り言が多くなっていき、やがて考察混じりの記述も増え始めたのは、まあ研究者としてのご愛嬌、といったところだろうか。
サシャは会話を止め、メモに集中し出したジールを湯呑み片手に見つめる。やがて、湯呑みの中身が冷めた頃、ぐいっと残りを飲み干して口を開く。
《……それで、結局どうするんだ?》
「――あ?」
いそいそとページいっぱいに書き込んだメモ帳を仕舞いながら、メルティアの質問に眉をひそめる。
「どうするって、何がだ」
《メルティアとクレスだ。私が言うのもなんだが、代理神と共に生きるということは、面倒事を引き受けると同様の意味だぞ》
「……今更な話だな。面倒事なら学院時代におまえらに散々巻き込まれているし、おまえとはなんだかんだで人生の半分以上付き合っている。そこにもう二人追加されたところで、多少騒がしさが増すだけだ」
《……随分とまあ、逞しくなったものだ》
「誰かさん達のお陰でな。……とはいえ、メルティアはいずれ在るべき場所に帰そうとは思っている。そこに残るかは本人の意向次第ではあるが……」
《……メルティアの生家にか》
「ああ。一応、ある程度の調べは済んでいる。あいつは生後間もないときに俺達の元へ流れ着いたから、本当の家族について、思い出も関心もないだろうが……、それでも、会わないよりはいいだろうからな」
《……どうだろうな。世の中には、会わないほうがよかったパターンも、少なくはないだろう》
「可能性はなくはないが、それは結果論だろう。どっちに転ぶかなんざ、結局のところ試してみないとわからない。ダメだった場合は……そのときゃ、そのときだ」
《お前は変なところで運にまかすなあ。私としてはこのままお前のところで育てるのが一番無難だと思うんだが……ま、そこはおいおいでいいか》
サシャは湯呑みを縁側に置き、ゆらゆらと振り子のように振っていた素足を庭に降りるための外履きに押し込め、一歩二歩と庭に飛び出すと大きく伸びをする。
《だがまあ、見当がついてはいても、勢いは弱まりつつあるとはいえ部外者の――しかも武獣類ではないお前たちからの接触が、騒動が収まりきっていない国に向かうのは良い手ではないだろう。実際に会わせる機会を作るとしても、年単位で先だな》
「……そうだな。リリシアを経由してもう少し落ち着いたころに打診するつもりではあるが、どちらにしろもう数年は様子を見るつもりだった」
もちろん、今までの予想が全くの的外れで、実際はどこかの商家の娘か何かで、使用人の女性が実は誘拐犯で逃走中、ジール達の監視をくぐり抜け、人気のない森に迷い込んできた、という可能性もない訳ではない。
しかしそれでも、メルティアが魔獣人種である、という事実は変わりようがない。
そして、魔獣人種というのは、世界全体で比べても希少性、研究価値共に高い資質を持つ。さらにそこに神という、前代未聞の価値も付随するのだ。
いまだ種族の境について声高に叫ぶ国民の多い国にとっても、もしくは種族の付加価値の高さを知る者達においても、何も知らないメルティアを何の後ろ盾もなく公にするのは、燃料に起爆剤を放り込むような結果にしかならない。
《とりあえず、まだ当分はお前のところでメルティアは暮らすということだな。よしよし》
「なんだ、いったい」
《うむうむ、同類が世話になるよしみだ。後で教育方針の助言くらいはしてやろうと思ってな。…………それでだな、だいぶ遠回りになってしまったが、ちと困った問題が発生していると言っただろう》
「ああ、そういや……、お前の口振りだと、今すぐどうこうなるものではないんだろう。一体なんなんだ」
《うむ。端的に言うとだな――
メルティアの自覚なしの状態で代理神の力を一部覚醒させてしまったようなので、多分ときどき暴走すると思う。すまん!》
「……」
パン、とサシャはわざとらしく両手を顔の前で合わせて、拝むような謝罪のポーズをとる。
一拍。
ジールは手に持っている湯呑みに残っている最後のお茶を飲み干すと、静かにその空の器を置き、そして――、
「――いや何してくれてんだおまえは‼︎‼︎」
時間差でジールの怒鳴り声が響き渡った。
《いやだからメルティアの司る権能はその性質のせいか色々特殊な状態になることが多いらしくてなー。私もそんなんあるのかと思っていたが実際なっていて――》
「だからって何故そうなるんだ…!」
《だからすまんと言っているだろう。これでも完全に起きてしまうのは防げた方なんだ》
「完全に……って……いやそもそも、あいつは何を司っているんだ。クレスは大体見当はついているが、メルティアは今までそれらしい素振りなんて見せなかったぞ」
《あの子どもが司っているのは――――そのものだ。彼女が関わるだけで、物事は予測不可能な展開に進み出す。
――ジール》
がっくんがっくんサシャの襟元を掴んで揺さぶってジールの手首を押さえて動きを止めさせると、サシャは静かに口を開く。ちなみに襟が緩んだせいでジールの視界には大変目に毒なものが映っていたりするが、今更お互いに気にするようなことでは無かった。
《あの子どもが蒼い瞳になっている際の挙動に気をつけろ。
――その時は、どこか近くで必ず何かが起こっているぞ》
「てかあいつら転生してるってんなら中身いくつだ」
《そこはあまり気にしなくていいらしいぞ。意識と自我はそのままだが、感情と思考はそこそこ年齢と肉体に引きずられるらしい。まー私なったことないんで他の奴らからの又聞きだが》
「うさんくせえ情報だな……」




