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圧力の兆し

フェアバンク家との提携が結ばれてから間もなく、灰の谷とダンスコット領の周辺で、不自然な動きが目立つようになった。

最初に気づいたのは、ダレンだった。彼が持ってきた報告書には、いつもより硬い、緊張した筆跡が並んでいた。

「これまで灰の谷と取引のあった商人のうち、二軒が、突然取引を打ち切ってきました。理由は『事情により』としか記されておりません」

「その二軒に、共通点はありますか」

「――どちらも、以前からグレッグ商会と付き合いのあった商人です」

俺は思わず眉をひそめた。直接的な妨害ではないが、確実に何かが動いている。前世でも、競合が力を持つと、間接的な圧力によって、既存の取引先が離れていくということはよくあった。表立って攻撃するのではなく、周辺の関係を静かに締め上げる手法だ。かつて、俺が担当していた店舗の一つも、競合店が進出してきた際、まず取引先の卸業者が、少しずつ、こちらへの供給を渋るようになった。それが、後になって、競合店側からの圧力だったことが分かった時には、すでに現場の対応が後手に回っていた。今回は、その時の教訓を、決して忘れてはならない。

同じ頃、ダンスコット領でも、似たような動きが報告された。ヨルガ草の試験栽培に関わっていた農家の一人が、突然、栽培をやめたいと申し出てきたのだ。

「理由を聞くと、はっきりとは言いませんが、『よくない話を聞いた』とだけ繰り返しています」

フィリアが眉根を寄せて報告した。

「よくない話、というのは」

「詳しく聞き出せていません。ただ、その農家は、以前からロヴェル侯爵家に近い商会と付き合いがあったようです」

すべての線が、また同じ方向を指していた。ロヴェル侯爵家は、正面から灰の谷を攻撃するのではなく、周辺の関係を一つずつ切り崩す形で、圧力をかけ始めている。

「セドリック殿に、この状況を伝えるべきでしょうか」

フィリアが尋ねた。

「伝えます。ただ、フェアバンク家に頼りきりになるのも危険です。まずは、俺たち自身でできることを、先に考えましょう」

俺はダレンとフィリアを集め、圧力を受けている取引先や農家に、直接会って話をすることを決めた。数字の説明だけでなく、これまでの信頼関係を、もう一度丁寧に確かめ直す作業だった。

「不安になるのは当然です。ただ、俺たちがこれまで積み上げてきたものは、噪しや圧力だけで簡単に崩れるものではないと、信じています」

その言葉を、俺は農家の一人一人に、繰り返し伝えていった。前世の経験からも、不安を鎮めるのは、たった一度の説明ではなく、繰り返し向き合う姿勢そのものだと、俺は知っていた。人は、言葉の内容そのものより、その言葉を、どれだけ誠実に、何度も伝えてくれるかによって、信頼を測る。

この数週間、俺とフィリアは、灰の谷とダンスコット領の間を、何度も往復することになった。移動の多い日々は、決して楽なものではなかったが、二つの土地を、同時に、確かな足場の上に立たせることができているという実感が、俺たちを、前へと進ませていた。

「――こうして、二つの土地を、同時に支えるというのは、思っていたより、大変なことですね」

フィリアが、馬車の中で、少し疲れた様子で言った。

「大変ですが、やりがいのあることだと思います。俺たちが、たった二人で始めたことが、今は、こんなに多くの人の暮らしに、関わるようになっている」

その言葉に、フィリアは、静かに、そして確かな微笑みを浮かべた。

灰の谷に戻ると、ハロルドが、いつもと変わらない、穏やかな様子で出迎えてくれた。

「お帰りなさいませ。ダンスコット領での話、聞かせていただけますか」

その問いに、フィリアは、これまでの出来事を、丁寧に語っていった。ハロルドは、時に驚き、時に感慨深げに、その話に耳を傾けていた。

「圧力というのは、いつの時代も、静かな形で来るものです。この灰の谷も、モーガン様の時代には、もっと露骨な形で、外からの圧力を受けたことがございました。それに比べれば、今回の動きは、まだ抑えられた範囲にあると思います」

ハロルドの言葉に、俺は静かに頷いた。この土地の記憶を長く見守ってきた老執事の言葉には、いつも、俺たちが見落としがちな、確かな視点が含まれている。

「取引先の被害が、思ったより広がっていないのも、気になっています」

ダレンが、帳簿を指で示しながら言った。

「二年前、意図的に取引先を分散させておいたことが、ここで生きています。一つの相手に頼っていたら、今回はもっと深く傷ついていたはずです」

その言葉に、俺は小さく頷いた。だが、頷いた直後、別の考えが胸をよぎった。

――今回の圧力は、金の力に頼った、いかにも粗い一手だ。取引を打ち切らせ、農家に不安を吹き込む。効果はあるが、時間と金がかかる。もし相手が、これで諦めないなら、次はもっと安く済む方法を使ってくるかもしれない。前世で見た、ある業界の話を思い出す。競合を値段で潰すより、もっと安く済む方法がある。自分に都合のいい規則を、先に作らせてしまうことだ。俺は、その予感を、まだ言葉にはしなかった。ただ、頭の片隅に、確かに留めておいた。

その夜、俺は一人、灯りの落ちた会議室で、これまでの報告書を、もう一度読み返した。取引を打ち切った商人、栽培をやめたいと言った農家。一つ一つは小さな出来事だが、それらが同時に起きているという事実こそが、この動きの本質を示している。誰かが、確かに、灰の谷とダンスコット領を、静かに揺さぶろうとしている。俺は、その事実を、決して軽く見てはならないと、改めて自分に言い聞かせた。窓の外、月明かりに照らされたヨルガ草の畑は、いつもと変わらない、静かな姿を保っていた。その静けさこそが、これから訪れるであろう波乱への、確かな備えを整える時間なのだと、俺は思っていた。


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