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第90話 映画鑑賞

埃を被った静けさの中で咳払いを一つ。無意識に指の骨を鳴らせば高い音が響き、一歩踏み出せばひんやりとした床が軋む鈍い音が重なる。

とろとろと浅い眠りから覚めた目を擦りながら小さな窓から眺める鈍色の空。大きな雲の間を縫って差し込む月の光が不思議と気持ちを落ち着かせてくれた。


「よし、もう一回寝よう」


晩飯を食って食休み、ふと目が覚めれば夜でした。一時間程眠っていたのか。

食って寝る、なんて素敵なコンビネーション。エビフライとタルタルソース並のコンボだ。あいつら相性抜群だよな。ちなみに俺は尻尾まで食べる派だ。尻尾だけでご飯一杯は……うん、無理。


さーて、明日は日曜だし存分に寝まくろう。寝過ぎで腰が痛いレベルに寝たい。再びベッドへ戻って身も心も預ける。

うはぁ~、この少し寝ぼけた感じからまた目を閉じるの大好き。


「二度寝サイコー……ん?」


枕元にある携帯電話から光が点灯し、暗い部屋を照らす。普段なら眩しいと感じないのに今は目を細めてしまう。一度震えただけだからメッセージ通知か。

俺の眠りを妨げるのは誰だろうねぇ。木下さんだったら全力で許す。それ以外だったら割と本気でキレてやる。


画面には『天水雨音』と表示されていた。お前かよっ。


「なんで同じ屋敷に住んでいるのにメール送ってくるんですかねぇ」


流れる黒髪と線の細い輪郭、容姿端麗と呼ぶにふさわしい顔が思い浮かぶ。

ここまで鮮明に思い浮かべることが出来る俺って……いやいや、あいつに惚れているわけではない。ただの主人だってーの。


『何してるの?』


件名はなしで本文はこれだけ。なんと味気ないメールだろうか。女子高生ならこの一文を絵文字やデコを駆使して彩り鮮やかポップな文体にするとお聞きしたんですが。まぁお嬢様らしいと言えばそうですけどね。


『寝てました』


簡素な文には簡素な返事を。律儀に返信するだけでも俺にしてはよくやっている方だ。

送信をタップして携帯を枕元に置く。ふあぁ、眠たい。


『寝てたの?』


……すぐに返信が来た。そしてまたしても一文のみ。

これはあれだな、ノータイムでトークする流れだ。あとその質問はおかしいだろ。寝てましたと言って寝てたの?と返すのは意味不明であり無駄なやりとりだ。めんどくせーなー。


『だから寝てましたって。アホなのは知っていましたが理解能力すらも欠落したのですか?』


少し喧嘩口調で画面をたぷたぷする。これには俺なりの作戦を潜ませてあります。

長めの文章で且つ煽る内容はお嬢様を苛立たせる。うるさいとか馬鹿陽登と返してくるはずでそうなれば素直に謝って会話を一段落させることが出来るってわけ。受信送信がロングラリーになる前にさっさと終わらせる作戦だ。


暗くなった画面が再び発光する。返信が来たか。さてさて俺の予測通り、


『馬鹿にしないで陽登のくせに』


ほぅら見事に当たった。ボウリングで自分の思い描く軌道でピンを倒した時ぐらいに嬉しい的中だ。

あとは俺がすいませんでした&顔文字で謝罪すれば会話は終わ、って……


『暇なの?』


こちらが返す前に新着メッセージが届いた。連続攻撃が来るとは予想外だ。しかも会話続く感じだし。

この人は俺とコミュニケーションを取りたいのか? お前こそ暇なんじゃないか?


『二度寝するから暇ではありませんね』


『暇なんでしょ』


だからこいつはどうして生産性のない会話をするんだ。メル友になるとは言ったが中身のない会話を繰り広げるつもりはないぞ。

こんな空っぽの内容でも恋人同士ならきっと楽しいのだろう。相手の返事に一喜一憂して足をバタバタさせる、なんと青春っぽい。


だがしかし、ハウエバー、俺とお嬢様は恋仲じゃありませーん。よって、ビコウズ、ちっとも楽しくないんですわ。


「んー、どうやって会話を終わらせるかな」


『暇なら映画観るのに付き合いなさい。今すぐ私の部屋に来て』


「嫌だぁ!」


思わず叫んでしまった。なんてことだ、まさか呼び出しを食らうとは!

このメールを見てしまったからには逃れる術はない。これなら最初から返信せず寝れば良かった……。危機回避を怠ってしまった俺のミスだ。なんてこったパンナコッタしこった。最後のはアウトですな。


「はぁ~……行くか」


頭は目覚めたが体はだるくて起き上がりたくない。しかし、行くしかねーよなー嫌だなぁ。






「遅い」


「トイレに寄ったので遅れました」


本当はダラダラ歩いたから遅れたのだがナチュラルに嘘を吐く。

お嬢様はそれなら仕方ないわ的な目をして許してくれた。ちょろい。雑魚や。


「で、映画を観るんでしたっけ?」


「そうよ。私と映画観れることを光栄に思いなさい」


身に余る幸福、感謝に尽せりでございます。とでも言えと?

達者なお口は持ち合わせていないので無理ですばい。思わず博多弁みたいになっちゃった。別に九州の生まれではない。豚骨ラーメンは大好きだが。九州のラーメン屋に行ったらドヤ顔で「バリカタで」と注文してみたいものだ。


「アンタってよくぼーっとしてるよね。使用人だからもっとしっかりしなさい」


「どんな映画を観るんすか?」


「……」


冷めた目は細く、眉間に寄ったシワは表情を険しくする。またご機嫌ななめっすか?

別にいいけど、と呟いてお嬢様はリモコンを手に取る。豪華な内装にふさわしい大型のテレビが点き、部屋に音が広がっていく。


「なんかね、バイトハザードっていう映画なの」


バイトじゃなくてバイオな。アルバイト的危険って何だよ。白い粉を計る仕事かな。怖い怖い。

テレビには『最新作を記念して第一作目を放送! 全てはここから始まった……』とテロップが流れる。有名作ですねこれ。ゲームとかすげー売れているやつだ。やったことないがエイダが尋常じゃなく美人なのは知っている。


「でもこれって怖いやつですよ。大丈夫なのか?」


ガチガチのホラーではないが驚かすシーンやグロ表現が多々ある。女の子が好んで観る映画ではない。やめておいた方がいいぞ。


「この私が怖がるとでも? そんなわけないでしょ」


威風堂々、それに近い物怖じなさでお嬢様は胸張って威張る。アニメならここで胸がたぷん、と揺れるが実際のところそう上手くはいかない。とりあえず揉みたい衝動にかけられたが煽情撫でられて行動するのは猿と同レベルなので理性を働かせる。

セクハラはたまにするから良いのだ。露骨にやると駄目なのさ~。なぁ三村。


「いいから観るわよ」


お嬢様はカーペットに座り、俺を見上げる。下から見上げられる形でお嬢様の切れ目で生意気そうな瞳が俺を捉えて離さない。はいはい、俺も座ればいいんでしょ。

お嬢様から少し間を空けたところに腰を下ろし胡座をかく。べ、別にお嬢様の近くに座るとドキドキするから距離を空けたわけじゃないんだからねっ。はい、ツンデレ発言。


「トラウマになっても知らねーからな」


「ふんっ、私を舐めないで」


CMが終わって映画が始まる。最初からおどろおどろしい雰囲気のシーンが流れる。

詳しくは知らないが、このシリーズはゾンビが襲ってくるんやで、どないするんや!?といった内容だ。ゾンビの中には化物の姿をした奴もいて戦うといったアクション要素もある。怖いよねー。

まっ、暇つぶしにはなりそうだ。ゾンビが襲いかかる様をのんびり眺めよう。






開始から四十分、ゾンビがたくさん出てきた。

よくできてるよなー。特殊メイクとかしているっぽい。製作費がヤバそうだと考える俺はかなり捻くれている。

もっと映画の内容をだな……いや、それよりも、


「ひっ、っ……っつ!」


隣から聞こえる声にならない悲鳴の方が気になる。チラッと横目で様子を伺えば、雨音さんは青白い顔で歯をガタガタ震わせて涙目。全身も微振動している。西野バイブレーションか。ゾンビに会いたくて会えなくて震える的な? 違うよね。

いやいや……ものっそい怖がっていますやん。割と前半から限界迎えていたよね。隊長がレーザーでバラバラにされたシーンとか号泣してたよね。


「っ~……ひぃぃ……っ」


この私が怖がるとでも? そんなわけないでしょ、そう言ったのは誰だっただろう。見事なまでに怖がっている雨音お嬢様。ベタな怖がり方、テンプレだよテンプレ。

ただの口だけだったか……ん?


なんか、距離が近い気がする。俺は一人分の間を空けて座ったはずなのに、どうして今は肩同士が当たる程に近いんだ。


「なぁ」


「ひっ!? な、なななな何よ!?」


ベタベタな驚き方ですね。わざとか?と疑いたくなる程に怖がっている。だがマジみたい。頬にくっきりと残る涙の跡、今も目から溢れている恐怖の証。大洪水だ。下の方は洪水起こしてないかい? 下ネタ言いたい。

いつもは手入れされたサラサラの髪がやつれて見えるのは気のせいじゃない。健康的な肌の色ではない白さがこの人のヤバさを物語っていた。


「怖いなら無理して観なくて良くね?」


「う、うううるさい。別に怖くなんてないんだから!」


皆さん、これが本当のツンデレです。見事ですね。ツンデレ好きならこれで三日は過ごせるんじゃないかな。俺は無理。


「ひゃ……!」


ゾンビが迫ってきた。お嬢様が声を上げる。軽く白目剥いているけど? もう失神する寸前じゃないか。

だが画面に映るゾンビは容赦ない。銃弾を受けてもなお暴れ狂い不気味な慟哭を上げる姿に目を伏せたくなる。こりゃ怖い、そう思いながらもストーリーを楽しむ自分がいた。俺は怖い&面白いの感想を抱き、お嬢様は、


「ぁ、あぁ……ぎゃふ」


魂が抜けた顔をしている。恐怖のあまり命が果てそうになっているぞ。

へっ、いつも俺をこき使いやがって、いい気味だバカヤローと思う一方で可哀想だなと思ってあげる良心の存在に自分自身ビックリ。俺にも良心が残っていたか。俺もまだまだ甘いな。


「てゆーかやっぱ近いよね」


別に俺ら恋人ではないんで肩に寄りかかるのはやめていただきたい。ラノベに感化された中学生脳の男子なら勘違いしているところだぞ。


「う、ううううるさいっ。陽登が離れなさいよ馬鹿!」


馬鹿ではないです。ワンモア、馬鹿ではない。

肩と肩が触れ、そこから震えが俺に伝わってくる。震え上がっているじゃありませんか。もうギブアップしてチャンネル替えようぜ。


「もうすぐリッカー出てくるはずだ。ここら辺でやめておけって」


「……仕方ないわね」


やっと降参したか。それでいいんだよクソお嬢様。

良いじゃないか、女の子らしい一面があって。グロシーンを嬉々として鑑賞する女なんてドン引きだよ。


「これは仕方なくなんだから。か、勘違いしないでよね」


何か言っていますが早くチャンネル替えれば? あと俺はリビングに行きますね。続き観たいので。お嬢様は早く寝なちゃい。


「む、寧ろ感謝しなさい。こんな機会、そうそうないんだからっ」


「だから何をブツブツ言ってやが…………え?」


それは予想だにしない出来事だった。脳が処理しきれず思考が完全停止、フリーズする。

足と腹下に広がる温もり、視界を埋める艶やかな黒髪、さっきからしていた良い匂いが一気に濃くなる。女の子の香りがする。


現状をお伝えしたい。テレビにはゾンビの大群。俺の目の前には、雨音お嬢様。

胡座をかいた俺の上に、お嬢様が座ってきたのだ。


………………えぬん!?


「ちょ、何しているんすか」


「べ、別にいいでしょ。黙ってなさい!」


やけに早口な声。まくしたてて雨音お嬢様は動こうとしない。何なら自らの背を倒し、俺にもたれかかってくる始末。

おいおい何よこれ、予想だにしない出来事に陽登君の頭は混乱しちゃってるぞ。だってこんなの、まるで、恋人みたいな……


「すんません、どいてくれます?」


「な、何ようるさいわね。可愛い私が乗ってあげているのよ。素直に喜びなさいよ!」


「いや喜ぶどころか苛立っているんですけど? 暑苦しいですクソお嬢様」


男の上に座るなんて一体全体どーゆーつもりだ。あのね、こういうのは好きな男性にしてあげなさい。つーか付き合っている恋人がする行動だからこれ。


「暑いなら冷房つければいいんでしょ!」


お嬢様は俺の上から動かず、たまたま近くにあったリモコンを操作して冷房をオンにした。まぁ確かに涼しくなったけどさ、なぜ離れようとしないんだ。

意味が分からんが映画は進む。ゾンビは絶好調、ノリノリで登場してくる。


「きゃ……っ!」


小さな悲鳴を上げたお嬢様の震えが足、太もも、腹、胸元へと伝わってくる。

……こいつ、もしかして、


「怖いから俺の上に座ったんだろ」


「ぅ……そ、そんなわけ……な、なくはない」


なくはない、つまり肯定ってことですか。あー、はいはい知っているよ俺。カップルが家でホラー映画を観ていて、彼女が怯えているから彼氏が後ろから抱きしめて安心させる的なシチュエーション。今この状態、まんまそれじゃねーかー。

いや、あのぉ……何度も言ったけどそこまでするなら観なくていいから。


「~~っ! は、陽登ぉ」


胡座かいた俺の上に座り、俺の懐にすっぽりと収まった雨音お嬢様。

……あ゛ー…………ヤベ、緊張している自分がいる。


いや、何が? はぁ? そりゃ緊張するだろ。女子が密着しているんだぞ。さっきからよぉ、髪の毛から良い香りするし体温とかモロに感じるし、ぶっちゃけこの頼られている感が妙にくすぐったくて嬉しいんですけど!? くっ、容姿だけは完璧少女め……。


……そして今、気づいたことがある。

お嬢様が俺の両腕をクロスさせて自分自身を覆い隠していることに。人が混乱している間に何やってんの?


「お、おい」


「だ、黙りなさい!」


黙れ小僧ってか? 口は閉じるけど俺の息子は黙りそうにないんですが。今にも立ち上がりそうなのを必死に理性で抑え込んでいる俺の頑張りを配慮してください。

理性とは反対側に位置する煩悩が「お前にソンが救えるか」と言っているんだよ。ソンって息子のことね。ぐっ、静まりたまえ!


「いいから……っ、こ、こうやって抱きしめなさい」


ち、ちょ、これ以上はマズイ気がするんだけど。冷静になれと理性が総動員する中で爆発的に心臓の鼓動が早くなる。ドキドキ、バクバク、頭と腹の中が煮え立って体が勝手に動く。

命令通り優しく包み込む感じで、両腕でお嬢様を抱き締める。うおぉい俺は何をやってるのー!?


「んっ……ぁ、ありがと」


「どういたしましちぇ」


クールに返そうとしたのにぃ。噛んじゃったよ恥ずかしいよつーか現在進行形で恥ずかしい。

何これ、え、マジで何よこの状態。ただのイチャイチャじゃねーかオラァ。おいボケェ。おんどりゃあ。こんなのドキドキするに決まってるだろ。


「落ち着く……陽登、あったかい」


腕の中、懐の中、甘ったるくてとろけた声と共に安らいだ一息が聞こえる。お嬢様は俺の腕を掴み、モゾモゾと動いてさらに奥の方へと入り込んでいく。動かれる度にお嬢様の柔らかさと匂いに頭がクラクラしてきて……あぁ、こいつスタイル良いのに華奢な体つきで軽いんだなぁとか思って理性が崩れていく。


ヤバイ、そんなこと言われたらヤバイ。こいつを思いきり抱き締めたい、ぎゅ~!って、もっと包み込みたい。


「ん、陽登ぉ……」


……ぐぅ、ぐっ、落ち着けぇえぇ気を確かに持て! ここで思考が死んだらどうなる。俺の息子がどうなるっ。理性の壁崩壊と同時にムクムクと高らかにそそり立つのはなんだ。


それだけは駄目だ。エロ漫画ならそこから簡単にベッドインする。が、これは現実なんだよ。そもそも俺達は主人と使用人だぞ。そういった関係になってたまるか。頑張れ陽登、君なら耐えられる。耐え、ら……あ、がああぁぁぁ~!?


「もっとぎゅーって……ぎゅー」


「……」


「き、今日は特別なんだからねっ!」


ツンデレな態度で発言は強気だが、体は小刻みに震える。

俺もどうかしているのだろう。素直に従順に、お嬢様をさらに強く抱きしめる。暖かい、俺も、心が落ち着く。……その一方でギンギンになりそうだけどなぁ!


「はいはい今日だけね」


「わ、分かればいいのよっ」


結局俺とお嬢様は恋人みてーな体勢のまま、最後まで映画を観終えた。

この前滝上家で恥をかいたばかりなのに、またしても黒歴史を作ってしまった……。


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