第86話 主人と執事はまた踊る
空が暗くなり始めた頃、車は屋敷に着いた。
「ただいまんまん」
「そのアホみたいな挨拶は陽登君ですね」
いつものように玄関先で出迎えてくれたメイドさんは嫌そうな顔をしていた。
「もう少し言葉遣いに気をつけましょうね」
「ただいまんまん」
「雨音お嬢様? 陽登君の真似は絶対にしてはいけませんよ」
嫌そうな顔から変化、狼狽した表情になったメイドさんはお嬢様の元へ近寄る。
と、お嬢様は少しだけ顔を強張らせて身構えた。
「滝上様から連絡がありました。天水家の使用人達が雨音お嬢様を連れ去ったと」
「へへっ、ルパンもビックリ~」
「陽登君はシャラップ~」
喋れないのか。しゃーない、おっさん三人とハイタッチでもするか。大学生みたいにウェイウェイと言いながらおっさんと戯れる。
「……ごめんなさい」
「どうしてお嬢様が謝るのですか。悪いのは後ろの男共ですよー」
メイドさんのギラッとした鋭い目が俺らを襲う。あらあら怒ってますぅ?
「でもメイドさんだってお嬢様の居場所教えてくれましたやん」
「シャラップ陽登君」
なんだよシャラップ陽登って。ピン芸人みたいだ。それR-1何回戦敗退?
「さ、沙耶。でも私だって本当は嫌で……だから陽登はそんなに悪くない」
そんなにって言葉いる? 少しは俺も悪いみたいな言い方になってるよ?
「分かっています。滝上様には旦那様から話を通してもらうよう頼みました」
「パパに?」
「旦那様と奥様は『雨音が嫌がっているなら縁談はなし。これ絶対』とおっしゃっていました」
その言葉に頬を緩々にさせる雨音お嬢様。
だから言っただろ、お前の両親は絶対お前の意見を尊重するって。
「じゃあ私はもうあのウザイ奴と関わらなくて良いの?」
「そうですね」
「あのクソカス男と?」
「お嬢様、本当に言い方が陽登君にそっくりですよ。マジでやめましょう」
お嬢様を叱ってまた俺を睨んできた。えー、俺が悪い? ですよねー。
「何にせよ、お疲れ様でした。今日はゆっくりお休みください」
「うんっ」
お嬢様は元気良く返事するといつものように自分の部屋へ向かう、と思いきや立ち止まった。
メイドさんを見て、じっと見つめて、抱きついた。
「沙耶~っ」
「……お帰りなさいませ」
一瞬だけ目を点にしたメイドさんだったがすぐに優しく笑みを浮かべるとお嬢様を抱きしめ返す。
そんな二人は、まるで本物の姉妹に見えた。
「さて他の方々、あちら様の敷地内で何やらとんでもないことをしたらしいですねー」
ニコッと笑う。でもこれさっきと違う。超冷たい笑顔だもん……。
ハイタッチしていたおっさん達は息を呑んで固まる。
「首謀者は、もちろん陽登君ですよね」
「……」
「黙ってないで何か言ったらどうです?」
い、いやあなたがシャラップ陽登って言ったから。
「お三方は上がってよいですよー。お疲れ様でした」
「「「っうし」」」
運転手、シェフ、庭師の安堵に満ちた声。そこからは忍者の散!よろしく即座に走り逃げた。
あ、あいつら……! 一番年下の俺を見捨てやがった!
「陽登君~。いくら雨音お嬢様を連れ戻す為とはいえ、天水家の威厳を跡形もなく壊してくれたみたいですね」
「あー、い、いや違うんすよ。囮を用いた強奪作戦が最も成功すると思って、ね?きっとシカマルでも同じ作戦を」
「後日、滝上家のお屋敷でお掃除してもらいますー」
やっぱこうなるのね……。
「はぁ~、またあそこ行くのか。絶対気まずいよ……」
どんな顔して御曹司やら警備員さんと会えばいいんだ。ぜってーあっちは恨んでいるじゃん。
戦争で例えると敵の陣地でバーベキューするようなものだよ。すぐ射殺されて肉食われそう。
「滝上キレてるだろうな。まぁいいや」
今後のことは今後の俺に任せよう。今の俺は休みを欲している。
ベッドに腰かけて大きく息を吐く。はー、現実逃避したい。
「陽登、いる?」
「いるけど、まずはノックしようぜ」
プライベート空間にズカズカと入り込んできたのは雨音お嬢様。部屋着に着替えており、長い髪を後ろに結んだポニーテールは綺麗で華麗。
綺麗と華麗ってほとんど意味同じか。自分のボキャブラリーの乏しさが鼻で笑える。
「ははっ」
「? 何よ」
「いえなんでも。それで何か用? いつものおっぱいマッサージなら本日は営業していませんよ」
「そんなの頼んだ覚えはないわ。あといつもって何よ!」
あなたはいつも通りのキレっぷりですね。
「そ、その……」
「あん?」
「き、来てくれて……その、うれし、えっと」
口をすぼめて小さな声で何やら言っているが聞こえない。
コミュ障なのは知っているけどもっと声を張りなさいよ。ボソボソ喋ってるだけの生主か。人気出ねーぞ。
「何かを言う為に俺の部屋まで来たの? メールやら明日言えばいいだろ」
「な、何よっ。私だってその……う、うぅうぅ……!」
本格的に何がしたいのか分からない。そんな思いで俺がじっと見ていたせいか、雨音お嬢様は顔を赤くして唸りだす。
「んだよマジで」
「は、ひゃ、陽登が言ってくれて、その……っ、すごく嬉しかったの。私も陽登と一緒にいたいの!」
……何を言うかと思えば。
頭に浮かぶ、さっきの出来事。心に満ちる、羞恥心。自分がカッコつけて何を言ったか、思い出すだけで死にたくなる。
「いやそれさっき聞いたから。二度も言わなくていーから馬鹿」
「な、何にょ!」
噛んでるし。つーか……やめて。あれ超恥ずかしいんだから。
手を引っ張って走って叫んでさ。何それ、眩し過ぎるだろ。陰キャの俺からすれば失明するレベルの眩しさだから。
「ああぁもうっ。嬉しかったんだから仕方ないじゃない!」
き、キレながら言うことじゃないだろ。
お嬢様は顔を真っ赤にしてプルプル震えて俺を睨む。大きな瞳にはうっすら涙が溜まり、小さな顔を必死に膨らませて……。
「はいはい、なんかすみませんでしたねー」
俺は横を向いて鼻を鳴らす。はぁ……なんで俺もそっぽ向いているんだよ。
その理由は分かっている。俺も、顔が赤いからだろう。なんで赤いのかは考えたくない。
「言いたいことはそれだけですかい。俺はもう眠たいんで出ていってください」
「……」
「なんだよ」
「踊る」
「は?」
お嬢様はこちらへ近づいてきた。そして手を差し伸べてきて……いやいやっ、今はやめろよ!
「おまっ、何言ってんだよ……」
「お、踊るのっ」
分からねーの!? 絶対に駄目だろ。だって俺ら、どっちも顔が真っ赤なんだぞ。ここはお互いに触れず各々ベッドで悶えた方が良いに決まってるやん。
しかしお嬢様は引かない。「んっ!」と言って手を差しだし続ける。勘弁してくれ……そっとしておいてくれよぉ。
「んっ!」
「……はいはい分かりましたよ」
こうなったらヤケクソだ。俺は立ち上がり、お嬢様の手を取る。
狭い物置部屋、俺とお嬢様は近づく。腰に手を添え、手を握り合い、顔と顔を向い合せて、ゆっくりとステップを踏む。
「ん、上手ね」
「……ちょっとは練習したからな」
「次の社交界は最後まで踊るわよ」
「へーへー」
お嬢様が偉そうにしゃべり、俺は顔をしかめる。
暗く足場のない部屋、二人だけの空間。いつものように言葉を交わしているが、俺らの顔から熱が引くことはなかった。




