表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/150

第82話 逃げないで

放課後の食堂は静かだ。昼の喧騒はどこを探しても見つからず、同じ場所とは想像し難い。

静かと言えども人はいる。これから部活を控えた者や友達と雑談しに来た奴。端から見れば俺もそんな奴の一人に見えるのだろう。


「おばちゃん、モスコミュールをくれ」


「あるわけないでしょ。それに私は食堂のおばちゃんではなく清掃のおばちゃんだから」


近くを通ったおばちゃんに注文してみたらツッコミで返された。

清掃道具を抱えたおばちゃんが去っていく後ろ姿を見ながら俺はイチゴ牛乳を飲む。うーむ、甘ったるい。


「付き合ってもらってわりーな」


「そんなことないよ」


一人でイチゴ牛乳を飲みに来たわけではない。

目の前に座るのは木下さん。彼女は気にしていないといった面持ちで少しだけ小首を傾げる。あっざとぅーい。


「火村君、何か悩んでいるんだよね?」


「まぁ、ちょっと」


悩みがあるとは俺も一丁前に思春期を味わっているみたいだ。微笑ましい、いやそんなことはない。ダサイわ。

天下の俺だぞ? クズで名を馳せる予定の火村陽登が年相応に悩むなんて黒歴史以上の恥だ。

けど一人じゃ解消出来ない。誰かに聞いてもらいたい。


「自分らしくないことは分かっている。でも俺一人では無理なんだ。頼む、木下さん」


「うん。私で良ければなんでも聞くよ」


木下さんは快く引き受けてくれた。これが天使か。あぶねー、危うく惚れるところだった。俺は何回この子に惚れそうになるのやら。


「それで悩みって何?」


「分からん」


「……へ?」


優しい笑みを浮かべていた木下さんの表情が強張る。口を閉じて頭を動かすこと数秒、再び口を開く。


「な、何に悩んでいるか分からないってこと?」


「そうだ」


「ん、んー……?」


相談開始から一分も経たないうちに無言となる。木下さんは困惑しているのか、小さく声を伸ばして固まっている。

対して俺はのんびりとイチゴ牛乳を啜る。これではどっちが相談しているのか分からないぜっ。

でも仕方ないだろ。俺自身、何を悩んでいるのか理解していないのだ。自分が落ち込んで弱っているのは分かったが、その原因は掴めていない。相談者が相談内容を分かっていないのだ、木下さんの反応は妥当と言えよう。


「いつもは何も考えず過ごしていたのに、今日はどうも落ち着かないんだよ」


とりあえず現在の心境を話す。この俺が他人に相談するとは誰も想像だにしなかっただろう。

まぁ俺のことを認知している人間なんて指の数もいないけどな! 自分で言って恥ずかしい。ボッチ乙。


「……火村君は、天水さんのことで悩んでいると思う」


天水、その名前に脳が反応する。反応して体が固まる。

あぁ、駄目だ。思考が働く、頭が回転していく。これでは駄目だと自分自身にフィルターをかけて小さく息を吐く。


「なんでお嬢様のことで俺が悩むんだよ意味不明~。ありえねーわー」


「で、でも火村君と一緒で、天水さんも何か落ち込んでいるように見えたから」


「……へー、そうなんだ」


分かっている。何に悩んでいるか分からないと言ったけど本当は分かっているんだよ。だから俺は逃げるようにイチゴ牛乳を飲む。

気持ちがモヤモヤしている、あの日から。御曹司と行った遊園地で、観覧車を降りた時から自分の中で答えが出せないでいる。

……どう考えても、俺は雨音お嬢様のことで悩んでいるのだ。


「天水さんと何かあったの?」


木下さんがさらに踏み込んでくる。こいつ、鋭いところ突いてきやがるぜ。思わず視線を逸らしてしまった。

……何かあったわけじゃないんだけどな。でも、だけど、ずっと心に残ることがある。

二人きりの観覧車の中で、お嬢様は俺に問いかけた。滝上と縁談が進んでいることについて俺自身はどう思っているのかと。俺はその問いに答えることが出来なかった。俺には関係ないお金持ちの世界ですねー、とふざけた回答じゃなくて、俺の本心を。

俺はお嬢様のことについて悩んでいる。それは分かっている。分かっていないのは俺の本心だ。


「自分が何を思っているのか、どうしたいのか、それが分からない」


どうして俺はポロッと言葉に出してしまうのだろう。お口のチャックがガバガバじゃないか。

相談したくせに、でも本当は何が原因か分かっているのにそれから目を背けて。支離滅裂だ。何をやっているんだ。


「たぶん火村君は素直になれていないだけだと思うよ」


その言葉に、俺は顔を上げる。木下さんがこちらを見て、じっと見つめていた。

あの、おどおどして口下手で俯いてばかりだった木下さんの目が俺を捉えて離さない。


「火村君っていつも捻くれていて乱暴な言葉遣いと態度で、その、た、確かに周りから見たら変な人に見えるよ?」


「ははっ、誉め言葉だよ」


「でも本当は面倒見が良くて、しっかりと芯を持っていて、誰かの為に自ら動ける人なんだよね」


木下さんの言葉がぶつかる。ぶつかって、目を背ける。

何を的外れなこと言っているんですかい。俺はクズなんだぜ? 誰かの為に動くとか絶対嫌だ。自分のことが何よりも大事で他人なんて鼻クソ以下の存在だと思っている。

あなたを助けたのは俺の気まぐれだ。決して面倒見が良いわけじゃない。


そう思っている。それなのに、どうして俺は逃げようとしているのだろう。自分から逃げて、お嬢様から逃げて……


「天水さんと何があったか分からないけど、でも火村君は天水さんのことを思っているってのは分かるよ。だって知り合ったばかりの私を助けてくれた火村君が、いつも隣にいる天水さんのことを思っていないわけがない」


「ははっ……何を言っているんだよクソボケ~」


「自分から逃げないで。素直になってみよ……?」


逃げないで。俺が俺に、言い聞かせることがなかった言葉。

親父が死んで母さんは帰って来ず、一人ぼっちで辛い思いを味わったあの時から逃げ続けてきた。

きっと待ち望んでいたであろう楽しさに、普通に生きていくことで見つけることの出来る幸福に。それまでの道のり、辛くてしんどい過程を嫌がって目先の薄っぺらな楽しさに逃げたのだ。

それが俺のモットーの礎となった。ヘラヘラ、ダラダラ。


今もそうだ。俺は逃げている。

きっと自分の本心を言うことは俺にとって辛いことしんどいことなのだろう。だから逃げて、ふざけて答えをはぐらかす。

その先に自分の願うものがあると分かっているにも関わらず。逃げたところで本当に楽しいことなんてないと知っているにも関わらず。


「だから火村君、自分と向き合っ」


「ああああぁ! ぎょええええぇ!」


「!?」


立ち上がって叫べば喉が痛んで立ちくらみがする。食堂にいる僅かな生徒達も驚いてこちらを見る。清掃のおばちゃんに至っては悲鳴を上げる始末。

でも、スッキリした。やっぱ叫ぶってストレス発散に最適だよな。カラオケ最高。フリータイムで朝までパーリータイム。

あー……そういや、お嬢様と一緒にカラオケ行ったこともあったな。初カラオケで変な行動ばかりするお嬢様。でも歌っている姿はとても楽しそうだった。


「ど、どうしたの?」


「サンキュー木下さん」


「え?」


そうだ、お嬢様は楽しそうだった。ゲームをしている時、買い物している時、両親や泉ちゃんと会っている時。あいつは笑顔だった。

俺も、なんだよな。お嬢様が一緒にいる時が、あいつと馬鹿な言い合いしたりセクハラしたり、そんな時間が楽しかった。薄っぺらな楽しさじゃなくて、本心から楽しんでいた。


それが今はどうだ。今のあいつは楽しそうか? ちゃんと笑っているのか?

ヘラヘラと笑えと説教した俺がへこんでどうする。お嬢様が問いかけたことに答えられなくてどうする。


「ご、ごめんなさいっ。わ、私、偉そうに言って……け、見当違いなことを、あわわ……っ」


「そんなことはねーよ。つーかビックリするくらい図星つかれたわ。何なのあなたスナイパーなのヴィンセントなの?」


「ヴィ、ヴィン……何?」


「ルクレツィアぁああぁ!」


「!?」


嫌なことから逃げてきた。辛いことから目を背けてきた。

あぁそうだな、俺一人ではそうすることしか出来なかった。逃げてばかりだったさ。

でも今は違う。お嬢様がいる。あいつを置いて、俺だけ逃げるなんて真似……うーん、場合によってはするよね。するのかよっ。てへぺろ。

でも、今回は逃げない。向き合ってやろうじゃないか。俺自身に。お嬢様に。


「ろくな相談しないですまんの。でも助かった、ありがと」


「う、うん……その、よく分からないけど、が、頑張ってっ」


「りょすー」


イチゴ牛乳を飲み干して近くのゴミ箱に叩き込む。

どうした俺の体、さっきからキチガイな行動ばかりじゃないか。テンション上がり過ぎ。

……以前は俺が木下さんを変えたのに、今は逆の立場になっちまった。

木下さん、ありがとう。ちょっと素直になってみるわ。


「じゃあ俺行くわ。またな」


「う、うん! バイバイ」


「バイバイ金玉~!」


最低な挨拶を終えて俺は走り出す。

目指すは屋敷。そして、雨音お嬢様のところへ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ