EP 2
【地下アイドルの生態】パンの耳と強欲の哲学
俺たちのマンションの広いリビングは、一瞬にしてカオスと化した。
泥だらけの芋ジャージ少女こと人魚姫リーザは、キャルルに引き剥がされた後、床に正座させられ、アラトが淹れた熱々のポタージュを恐る恐る口に運んでいた。
「……あ、あたたかいですの」
リーザが器を両手で包み込み、溶けるような表情を浮かべる。
「いいから、まずは食え。その格好で三日三晩歩いたんだろ? 栄養失調で倒れるぞ」
アラトがため息をつきながら、さらに追い炊きした茹で卵と、ホムセンの非常食コーナーで長期保存していたクラッカーを山のように積み上げる。
「う、ううっ……! こんな贅沢、ルナミスのテント村では夢のまた夢でした……! 私、キャルルちゃんに会えただけで十分ですのに、こんなに美味しいものを……!」
リーザは猛烈な勢いでクラッカーを貪り食った。その食いっぷりは、まるで数日間何も食べていなかった野獣のようだ。
「ねえリーザちゃん、ちょっと落ち着きなさいよ。それと、ちゃんと説明して。なんで人魚姫がルナミス帝国でゴミ漁りなんてしてたのよ。シーラン国に帰れば、もっとまともな生活ができたでしょう?」
キャルルが腕を組んで尋ねると、リーザはクラッカーを喉に詰まらせながら、必死に首を振った。
「帰れませんの! 私、親善大使としてルナミスに渡った時、勢いで『帝国でトップアイドルになります!』って女王様に手紙を送ってしまいましたの!」
「……は?」
「だから今さら『実は地下アイドルとしてみかん箱の上で歌い、パンの耳で生きてます』なんて、恥ずかしくて言えませんの! 絶対にバレないように、華麗にトップアイドルになってみせて、シーランに帰るまでは……!」
リーザは涙目で、ボロボロになった自分の芋ジャージをギュッと握りしめた。
……なるほど。
俺はコーヒーを啜りながら、この人魚姫の思考回路を理解した。彼女は『嘘をついた手前、成功するまで帰れない』という、転生前の俺がよく見ていた、納期を守るために無理を重ねて自滅するプロジェクトリーダーのような行動を取っているのだ。
「それにね、私、歌うことが大好きなのです」
リーザは少しだけ照れたように、胸元から一本の紐で吊るされた『五円玉』を取り出した。
「誰かが言ってましたの。歌は、誰かの心を震わせるコインだって。……この五円玉は、私の唯一の宝物です」
彼女の純真な言葉に、俺は少しだけ胸が締め付けられるような思いがした。
この芋ジャージの底辺アイドルは、単なる乞食生活をしているわけじゃない。彼女は彼女なりの『矜持』を持って、この過酷な異世界で生き抜いているのだ。
「……で、具体的には、どうやって食い繋いでたんだよ。そのジャージ姿で」
俺の問いかけに、リーザは健康サンダルをペタペタと鳴らして、自慢げに胸を張った。
「それはもう、プロ級の生存戦略ですの! まずは公園のスタンプラリーで図書カードを錬成し、近所の八百屋で『ペット用』と言い張って廃棄野菜をもらいますの。夕方は炊き出しの最前列に並び、それでも足りない時は交番の前で謎の反復横跳びをして、取り調べ室のカツ丼を……!」
「全部犯罪すれすれか真っ黒じゃないか!」
アラトがフライパンを叩いてツッコミを入れる。
「いや、反復横跳びは逮捕案件だろ! お前、それ以上は言うな!」
「でも、お陰で今日まで死にませんでしたの!」
リーザは誇らしげに微笑む。その笑顔には、一切の曇りがない。
「……それで、アイドルとしての活動はどうなんだ?」
俺が核心を突くと、リーザはキラキラと瞳を輝かせた。
「もちろんですの! 私、ステージに立っている時だけは、無敵なんです!」
彼女は立ち上がると、急に部屋の中央でポーズを決めた。
「皆さんが仕事や生活で辛いことや、考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに……私が歌っているその瞬間だけは、全部忘れて、私だけを見てくれるんですの」
その瞳の奥には、さっきまでのポンコツとは全く別の、ある種の『強欲』が揺らめいていた。
「私は運命……私は物語……だからファンのみんなの『時間』も『お金』も、全部私にくださいまし。その代わり、彼らの人生に『宇宙一の幸せな時間』を味わわせてあげるんですの」
――あ、コイツ、やべえ。
俺は確信した。彼女はただのポンコツじゃない。アイドルという『偶像』を演じることで、他者の人生の時間を奪い、自分の糧とする『絶対強欲の吸血鬼』だ。
キャルルが恐怖で引きつった笑いを浮かべ、アラトも言葉を失っている。
「……ねえ、プロデューサー殿」
リーザが俺の元にトコトコと歩み寄り、じっと俺を見上げた。
「貴方のホムセンの機材、素晴らしいですの。あの強力な防風ブロワーや、さっきの煌々とした照明……あれがあれば、私、もっと多くのファンの時間を奪える気がしますの」
「……お前、俺を何だと思ってるんだ?」
「もちろん、私の『専属マネージャー』ですの! 私に美味しいご飯と、素晴らしいステージをくださいまし!」
俺は頭を抱えた。
ポポロ村は平和だ。防壁はあるし、食料も豊かだ。だが、この圧倒的な『トラブルメーカー』を抱え込んだことで、俺たちの日常は、確実に別の種類の『デスマーチ』へと突入しようとしていた。
「おい店長、どうするよ。この食いしん坊アイドル、追い出すか?」
アラトがニヤニヤしながら尋ねる。
「……追い出せるわけないだろ。あの目を見てみろ。何か食わせなきゃ死ぬし、何より……」
俺はリーザが泥だらけのジャージを気にしながらも、必死に歌について語っている姿を見て、ふっと笑ってしまった。
「……面白い。その『強欲』、俺のホムセンのインフラでどこまで化けるか、試してみたくなった」
「やったぁぁぁっ! 契約成立ですの!!」
リーザが狂喜乱舞し、またしてもキャルルに抱き着こうとして、今度はアラトのオカン的制裁を食らっていた。
その夜。
俺は屋上のビアガーデンから、満月の月を見上げていた。
リーザを保護したことで、ポポロ村の経済は確実に動く。だが、それは同時に、ルナミス帝国の支配層や、同じように『野心』を持つ者たちを呼び寄せる呼び水にもなりかねない。
「店長。また、頭の痛い案件が増えちまったな」
隣に並んだアラトが、飴玉をガリッと噛み砕く。
「ああ。だが、悪くない」
俺はそう答えた。
キャルルとアラトがいて、そこにリーザという狂犬が加わった。このカオスなメンツなら、どんな理不尽なプロジェクトだって乗り越えられる気がした。
「さあ、明日は早速、その『ステージ』とやらを設営するぞ。資材は俺が全部出す」
「ひひひ……なら、俺は最高の『飯テロ屋台』の準備をしておくぜ。リーザの歌に負けないくらいの、暴力的な匂いの焼きそばをな!」
俺たちは空のジョッキを重ね、ポポロ村の新しい『騒動』に向けて乾杯のポーズをとった。
だが、その背後。
マンションの窓ガラスに、夜空から降ってきた一羽の鳩が留まった。
それはただの鳩ではなかった。
その脚には、ルナミス帝国の内務省を示す『黒い封筒』が、しっかりと結びつけられていた。
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