第一章 ホムセン店長のビアガーデンの道
【過労死店長、異世界へ】スキル「マンション」って何だよ!?
七十二時間連続勤務を終え、バックヤードで冷えた栄養ドリンクを喉に流し込んだ。
ドクン、と心臓が破裂するような凄まじい音が鼓膜を叩く。
気付けば俺は、ピンクの芋ジャージに健康サンダルを突っかけた謎の女の、生活感あふれるコタツ部屋で土下座させられていた。
「えーっと、神城春太くん、三十歳。死因は過労死ね。うんうん、日本の社畜あるあるだわー。マジお疲れ」
みかんの皮を剥きながら、女はかったるそうに言った。
三十歳、大型ホームセンターの店長。人員不足のしわ寄せを全て被り、三日三晩ぶっ続けで品出しとクレーム対応とシフト作成を回した果てに、俺の心臓はストライキを起こしたらしい。
いや、状況が飲み込めない。
「あの、ここは……? というか、貴女は?」
「私? 私は世界神ルチアナ。永遠の十七歳にして、このアナスタシア世界を管理する女神よ。よろしくねー」
女神。十七歳。
目の前で鼻をほじりながらピアニッシモ・メンソールに火をつけているこの女が?
ジャージの膝は抜け、テーブルの上には飲みかけの缶ビールと、どう見ても日本の深夜アニメのDVDが散乱している。
(……ダメだ、ツッコミどころが多すぎる。永遠の十七歳って、その貫禄はどう見ても三十代後半の干物女だろ)
「あ、いま失礼なこと考えたでしょ。減点ね」
「理不尽!? ていうか、俺死んだんですか!?」
「死んだ死んだ。綺麗にポックリ逝ったわよ。でも安心して。君には私の管理する『アナスタシア世界』で第二の人生を歩む権利が与えられたから。いわゆる異世界転生ってやつね」
異世界転生。
過酷な労働環境の合間に、現実逃避で読んだネット小説でよくあるアレか。
剣と魔法の世界で、神様からチート能力をもらって無双する……。
「チート能力……もらえるんですか?」
「うん。でもねー、今季はちょっと世界予算がカツカツでさー。私のスマホ代……じゃなくて、宇宙の神聖な経費がかさみすぎちゃって。だから、君のスキルはこれで決めるね」
ルチアナがコタツの横から引っ張り出してきたのは、商店街の福引で使う『ガラポン』だった。
「……神の世界の決定システム、アナログすぎませんか?」
「いいから回しなさいって。はい、ガラガラポン!」
ルチアナが勝手に取っ手を回すと、カラン、と白くてしょぼい玉が出てきた。
彼女はそれを拾い上げ、ふむふむと頷く。
「おめでとう! 君のユニークスキルは【マンション】に決定!」
「……は?」
マンション。
耳を疑うような単語が飛び出した。
「いやいや、待ってください。マンションってあの、人が住むマンションですか? 普通、そこは【聖剣召喚】とか【全属性魔法】とかじゃないんですか!?」
「無理無理。そういうエフェクトが派手なスキルは予算食うのよ。物理演算だけで済む建築物系なら、神聖サーバーへの負荷も少ないしね」
「サーバーとか言っちゃってるよこの神様! ちょっと待って、俺、前世もただの店長ですよ? 剣の振り方も魔法の使い方も知らないのに、異世界でマンション出せたって戦えないじゃないですか!」
「大丈夫大丈夫! 使い方次第でどうにでもなるって! ほら、後ろに順番待ちの魂が閊えてるから! じゃあね、達者でなー!」
ルチアナは立ち上がると、履いていた健康サンダルで俺の背中を思い切り蹴り飛ばした。
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
視界が反転し、俺の体は光の渦へと飲み込まれていった。
◆
――ドスンッ!
「いったぁぁぁ……」
全身を打つ痛みと共に目を覚ますと、俺は見知らぬ鬱蒼とした森の中に倒れていた。
木々は地球のそれよりも遥かに太く高く、空には紫色の不気味な鳥が飛んでいる。
本当に、異世界に飛ばされてしまったらしい。
「嘘だろ……。武器もなし、防具も俺が死んだ時に着ていたホームセンターの制服のままじゃないか」
ガサガサッ!!
嘆く間もなく、背後の巨大な茂みが揺れた。
現れたのは、地球のヒグマを二回りほど大きくし、額から禍々しい一本角を生やした異形の獣だった。
『グルルルルル……』
魔獣だ。
牙からは粘着質な涎が滴り、その凶悪な赤い瞳は完全に「獲物」として俺をロックオンしている。
「ヒッ……!」
腰が抜けて、後ずさりする。
冗談じゃない。俺はついさっきまで、レジ打ちとクレーム対応をしていただけの一般人だぞ。
戦う力なんてない。どうする。どうする!?
(スキルだ! あの駄女神が言っていた【マンション】!)
「スキル発動! 出ろ、【マンション】!!」
俺は両手を前に突き出し、渾身の力で叫んだ。
眩い光が溢れ、巨大な鉄筋コンクリートの要塞が魔獣を押し潰す――。
ポスッ。
俺の手のひらに落ちてきたのは、銀色の『104』と刻印されたディンプルキー(鍵)と、黒いスプレー缶のようなものだった。
「……は?」
『ガアアアアアアアッ!!』
マンションは出ない。
魔獣が大地を蹴り、巨大な顎を開いて俺に飛びかかってくる。
絶体絶命。
だが、俺は手の中にあるその『黒いスプレー缶』のラベルを見て、店長としての本能が一瞬で状況を理解した。
(これ、うちの店の防犯・アウトドアコーナーで売ってた『熊避けスプレー(業務用)』じゃねえか!)
ホームセンター店長としての知識と、趣味で読み漁っていたグリーンベレーのサバイバル教本の内容が、脳内でピタリと重なる。
熊避けスプレーの主成分は、高濃度のカプサイシン。
現実のヒグマですら、数メートル先から鼻先に浴びれば悶絶して逃げ出す代物だ。
そして目の前の魔獣は、獲物の匂いを嗅ぎつけるために、鼻をヒクヒクとさせながら大口を開けて突っ込んできている。
つまり、嗅覚と粘膜が極限まで露出した状態。
(いける……ッ!)
俺は鍵をポケットに突っ込み、スプレー缶の安全ピンを素早く引き抜いた。
魔獣の巨大な牙が、俺の顔面の数十センチに迫る。
その巨大な鼻の穴に向け、俺はトリガーを全力で押し込んだ。
「食らええええええええッ!!」
プシュウウウウウウウウウウウウウッ!!!
オレンジ色の強烈なガスが、魔獣の顔面――目、鼻、そして開いた口の奥へと全弾直撃した。
『――――――ッ!?!?!?』
瞬間、魔獣の動きが完全に停止した。
数秒の沈黙。
そして。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
森を震わせるほどの、鼓膜が破れそうな悲鳴。
魔獣は両前足で自らの顔面を掻き毟りながら、地面をのたうち回った。
高濃度カプサイシンの直撃により、異常に発達した異世界の魔獣の嗅覚と粘膜は、もはや狂うほどの劇痛に侵されているはずだ。
『ギィィィ、ガボォォォォ……ッ』
魔獣は口から大量の白泡を吹き、白目を剥いて、そのままドズンと地面に倒れ伏した。ピクピクと痙攣したのち、完全に気絶する。
「……嘘だろ。たかがスプレーで、魔獣が一撃……?」
勝った。
魔法も、聖剣もない。
ただのホームセンターで売っている三千円の防犯グッズで、巨大なバケモノを無力化してしまった。
自分のしでかした現代の暴力的な化学反応に、俺自身が一番ドン引きしていた。
震える手で空になったスプレー缶を見つめていると、背後の茂みが、ガサリと揺れた。
「――う、動かないで! あ、貴方何者なの!?」
裏返った、少しテンパったような声。
振り返ると、そこにはいかつい安全靴を履き、両手に鋼鉄のトンファーを構えたウサギの耳を持つ美少女が、俺を睨みつけていた。武器は構えているものの、その瞳は明らかに戸惑いで揺れている。
「そ、その得体の知れない武器……貴方、魔王軍の幹部か何かなの!?」
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