08.愚かな男
その男はひどく臆病で卑怯だった。
誰も信じられず、誰も頼ることをしなかった。
自分を産んだ母も、厳しくも愛を向けてくれた父も、育ててくれた乳母も、物心ついた時から忠誠を誓ってくれた側近でさえも、男は信じることが出来なかった。
他人なんて何を考えているかわからない。
談笑した数秒後にナイフで突いてくるかもしれない。
そんなことを四六時中考えている男だった。
これではいけないと妻を取り、子を成したが妻は産後の肥立ちが悪く死んでしまった。
残ったのは妻を殺した恐ろしい息子だ。
先代が崩御し、玉座についた時はただ恐ろしいものが増えたのだと思った。
あの国は最近軍事に力を入れていて恐ろしい。
あの国からの輸入物の価格が上がった恐ろしい。
あの国の宰相が私を小馬鹿にしたように笑った気がする恐ろしい。
しかしどれも自国と並ぶほどの大国だ。
戦争など起こせばもっと恐ろしい事になる。
男は政に力をいれ、襲われない国を作ることにした。
ところが、ある日リンベルンが敵国のアスタリアと手を結ぼうとしているとの報告が入った。
男は恐ろしさに震え上がり、地図をみて、リンベルンの小ささを確認した。
その国は策を弄せば1週間もかからずに滅ぼせるだろう。
男の心が叫ぶ。
――恐ろしい!恐ろしい!
鉱山を守る彼らが輸出に応じないことを理由にして戦争を起こした。
軍事指揮には、王位の簒奪を狙ってくるかもしれない恐ろしい息子を添えた。
生き残ったものたちは恐ろしくて全て殺したかったが、非道な行いは騎士たちに反感を買う。
であれば生き残り達は全て奴隷にして、自由をなくせばいいのだ。
フランシスの王は愚かな男だった。
■□■□
寝台で眠る男をみて、僕の心は何も動かなかった。
ひゅーひゅーとした呼吸、落ちくぼんで青白い顔、肉と骨になった指先、白髪だらけの髪。
痛ましいだろう、苦しいだろう。
けれど、そんな男の姿を見ても、僕の心は穏やかに凪いでいる。
「さようなら、父上」
男は臆病さをうまく取り繕っていたものの、リンベルンとの争い以降、この国には王太子派閥が出来ていた。
リンベルンの生き残った民をすべて奴隷に落とすのはやりすぎたのだ。
男はそんな僕を恐ろしく思い、何度も邪魔をしてきた。
だけど、僕にもこの愚かな臆病な男の血が流れているのだ。
水面下で行われている争いもようやく幕を下ろす。
主治医を買収し、薬に毒を含ませた。
臆病者の男が気づかないように、微量の毒を十何年もかけて与え続けた。
人一倍臆病な男は、悪くなる体調に医者を何度も変えたが、その度に買収したり、応じない場合はこちら側の手で医者を変えさせた。
「お眠りください」
ひゅーひゅーとしていた呼吸が止まった。
この国の王が代わる瞬間を、ただ友が眺めていた。
「やっと、この時が来たよ。フィニアス」
「あぁ」
親殺しの一部始終を知っているフィニアスは、傷ついたような顔をしている。
息子である僕は何も感じずに眺めているだけだったことが、よりつらいものを見ていると言いたげだ。
フィニアスは優しすぎる。
だからこそ、僕の唯一の友達なのだけれど。
「君が救われる番だよ」