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010.薄れゆく記憶と焦り

改稿後になります。

 冬がきた。長い冬が。


 父に頼んで大量に用意してもらった羊毛を、この冬の間に紡ぎたいと思っている。

 私の計画では、来年の春には紡いだ糸を工房で藍染にしてもらって、それを機で織って布にし、長めのストールにして、はしっこにカンムリシロムクの刺繍をするのだ。濃い藍の生地に真っ白いカンムリシロムクはとても映えると思う。

 いつかは朱色でも作ってみたい。その時は紅葉と銀杏の葉を刺繍しようかな。生地の経糸と緯糸の色を朱色と銀杏の色で作ってみたらどうだろうか。あぁ、想像するだけで楽しそう。


 チェンバロの練習も欠かさずやると決めた。毎日触らないと腕が錆びると言う。楽器は特にそうだと言う。指が動かなくなるとかなんとか。継続は力なりというけれど、あれは本当だと思う。私のような凡人は特に。

 練習すればする程分かるんだけど、父はチェンバロの才能があると思う。親子だけど私にはその才能は継がれていないみたいだ。残念だけど。でもいいの。チェンバロは趣味だから。


 それにこの冬は、マリエルにマッサージも伝授したいと思っている。その為に今年はオイルもたっぷり用意してもらった。







 母と姉は糸を紡ぐのも出来るというので、やり方を一から教えてもらった。

 貴族なのに、糸の紡ぎから機織りまで覚えるのは何故なんだろう。教えてもらえる立場としては大変助かるけれども、私の印象としては、完成品を楽しんだり、お抱えの職人を持つことが貴族のステータスなのかと思っていたので、不思議だった。

 母曰く、貴族の家に生まれた娘は一応覚えるのよ。必要になることはないけれど、嗜みとしてね。と言っていた。

 詳しく聞こうと思ったら侍女に呼ばれて母は離席してしまった為、この話の続きを聞くことはなかった。一応、と言っていたので、形骸化しているけれど伝承している文化なのだと思う。

 ちなみにツェツィーリアも時間を作っては紡いでいるとのことだった。姉も手仕事が好きだもんね。


 ほぐした羊毛を針が隠れない程度に左手のカーダーにのせ、右手のカーダーで梳いていく。このカーダーという道具、犬のブラッシング用なのかと思った。そっくりだ。

 上から下に繰り返し梳いていくと、梳いた羊毛が自然と右手のカーダーに移る。それをまた左手のカーダーに戻し、右手のカーダーで梳く。これを二~三回繰り返してからまた左手のカーダーに戻し、カーダーから羊毛を外してロール状に巻いて出来上がった糸をローラックスと言うらしい。

 この作業はあんまり頭を使う必要がないから適当にやれる。隣で自分の羊毛をカーダーで梳いていたツェツィーリアは、私が苦もなくやっているものだから、信じられないと言った。私からすれば延々と刺繍をしていられるツェツィーリアのほうが信じられないけどね……。


「こんな単調な作業を続けられるなんて、ソフィアは本当に根気があるわね」


 気分転換をしてくるわね、と言って部屋を出て行ったツェツィーリアを余所に、私はひたすらカーダーで羊毛を梳き続け、櫛でコーミングした。続けているうちに、ぼんやりしていてもカーディングとコーミング出来るようになっていた。


 大量に作っておいたローラックスを糸車にかけて撚っていく。ペダルを踏んで糸に撚りを入れ、ボビンに巻き付けていくのだが、これがまた、ステップを踏むようで楽しい。アコーディオンを伸ばしたり縮めたりしてるような感じで踏んでいく。その間に手で羊毛をコントロールして糸を撚る。

 これちょっと私、才能あるんじゃないだろうか。いや、失敗もしているけれども。


 ローラックスを糸車にかけてボビンに巻き付けた後は、せっかく入れた撚りが戻らないように撚り止めをする。これは工房でやらなくてはいけないのもあって私にはやらせてもらえなかった。

 何をやるのかだけでも知りたかったので質問すると、蒸すのだそうだ。撚りの強さによって蒸す時間も変わるらしい。

 それはマリエル達にお願いすることにして、私はどんどん羊毛をボビンに巻いていった。糸車を使わずにスピンドルを使う方法もあるみたいだけれど、私としては効率を重視したかったし、撚りの強さを均等にかけたかったので、糸車でやった。もふもふの糸を作る時にはスピンドルでやってみようかな。


 カーディング、コーミング、糸紡ぎとチェンバロの練習、たまに読書。

 冬が深まるに連れて寒さは城の石そのものを冷やし、暖炉が常に稼働しても寒さは増して、ついには城内の散歩すら難しくなってきた。

 ヴィントも寒いらしくて家の中なのに歩くのを嫌がる。人と違って靴を履いてないから、寒さが肉球にダイレクトに響くもんね……。絨毯とかもないし。

 用意しておいたオイルでマッサージしてもらうと、肌の調子も良くなったし、しもやけにもならずに済んだ。寒さでヴィントの肉球が割れちゃいそうだったので、オイルを塗ってあげるんだけど、舐めちゃうのが困りもの。

 お母様とツェツィーリアも同じようにマッサージしてもらっていて、脚の浮腫みがなくなってきたと喜んでいた。


 日々の努力の甲斐あって、大量に用意してもらった羊毛はかなりの糸に化けた。全部やりきれるかと思ったけど、世の中そんなに甘くなかった。無念だ。







*****







 春になり、私は八歳になった。


 私の教育の賜物と言うべきか、当家の調理人のスキルアップは目覚ましいというか凄まじい。

 マヨネーズを作れるようになった。それ以外のドレッシングとかも。さすがプロ。私の大分適当な説明から試行錯誤を繰り返し、完成させてくれた。凄い。

 トマトがあればケチャップやソースが作れるんだけど、トマトが無いから仕方ない。マヨネーズが作れただけでも良しとする。


 パンに付けるバターも常備出来るようになった。攪拌がめちゃくちゃ大変だからどうしようかと思っていたけど、戦国時代の糒みたいなことをやれば出来るのではないかと思い至った。

 アドニスが乗馬に行く時に、牛乳から分離した脂肪分を革袋に入れてきつくしばり、馬に取り付けさせてもらった。走る度に馬のお尻に当たるようにしてもらったのだ。結果、上手く脂肪がホイップされていた。成功である。

 アドニスは美しくないと言って最初は嫌がっていたけど、出来上がったバターを食べさせたら何も言わなくなった。次の時は乗馬の指導担当員の乗る馬にまで乳脂肪の入った革袋を付けさせていたので、すっかりバターにハマった様子。

 今年は野苺を始めとしたジャムを調理人に覚えてもらおうと思っている。ジャム作りは簡単だからすぐに覚えることだろう。砂糖は高価だけど、さすが公爵家。買ってくれた。大人の力って奴です。

 ハムやベーコンの作り方も覚えてもらったので、肉の保存が可能になったのは大きい。これまではずっと冬場は干し肉で、さすがにジャーキーのような干し肉ではなかったけど、肉はすっかり硬くなっているものが殆どなのだ。

 野菜や果物や肉をパイの中に入れて焼いたものとか、スープ、ポタージュをヘヴィロテである。


 野菜も葉物は保存出来ないから、キャベツでコールスローを大量に作ってもらった。ピクルスなんかも大量に。ビタミンは大事だ、本当に。壊血病まではいかなくても、冬の間のビタミン不足は結構問題だと思う。

 それからずっとやってみたかったチーズも作ってみた。作ってもらった。リゾットを作る時に出てくるあの巨大なチーズ。チーズを定期的にひっくり返して塩で表面を撫で、熟成させていくあの作業。あれが一度で良いからやってみたかった。


 手間暇かけて出来上がったハムとチーズとピクルスを挟んだサンドイッチや、根菜とベーコンで作ったポトフは家族にも大好評だった。出来上がったチーズで作ったリゾットを食べた時のみんなの驚きの表情といったら。もう野菜嫌いなんて言わなくなったのだから、本当に私は頑張りました。


 このへんの食文化は、両親が社交を通じて広めていってくれている。ただ、あまりにも画期的すぎるのは段階を経ないと広められないとは言っていたけれど。

 食生活が改善されてきたからか、熱を出す事も減ってきた気がする。

 睡眠、栄養、運動。本当に大事だなって思った。

 前世の自分が如何に健康だったかを思い知らされた。




 最近、前世の記憶が大分薄らいできていることを痛感する。

 これまでならすぐに思い出せていたことが、思い出すのに時間を要するようになった。当たり前のことなのに、全然そんな可能性について考えてなかった。


 ソフィアとしての記憶が着実に増えているし、前世の記憶を思い出してから三年は経過している。これからもっと記憶は薄れていくだろう。


 なくしてしまうには勿体ない知識は、紙に記して保存することにした。こうすれば、後から読んだ時にすぐに思い出せる筈だから。







*****




 紡いだ糸は、工房に頼んで染色してもらった。本当なら自分で行って色を決めたかったけれど、公爵令嬢という立場が邪魔して、職人と直接話すなんてとんでもないということになったのだ。


 どうやって色を決めようかと思ったが、前世では色見本なんてものがあったのを思い出したので、手間ではあるけれども工房で5センチ角の生地にそれぞれ色を染めてもらって色見本を作ってもらい、それで色を決めた。

 最初は嫌がっていた工房だったが、一度色見本を作ったら、他の貴族に色の説明をする時にも役立ったようで、染色が終わって納品された時に大層お礼を言われたとマリエルから聞いた。

 うーん……これ、大丈夫だったかな。ちょっと斬新なアイデアだったかも知れない、こちらの世界では。

 そう思って両親に尋ねたけれど、画家のパレットみたいなものだからね、大丈夫だよと言ってもらえたので安心した。確かに、画家のパレットって色見本みたいだよね。




 機織りも大事だけれど、最近は記憶を紙に起こすことを最優先事項にしている。

 何かがきっかけで思い出したらすぐに書き留めておけるように、紙とインクとペンは常備している。

 紙っていっても、現代にあったような奴じゃなくって、なんか分厚くてゴワゴワしているもの。

 思い出せないことが増えるたびに、なんだか焦りを感じる。自分が失われているような、そんな恐怖がある。

 今の私はソフィアなのだから、前世の記憶はなくていいのに、漠然と不安になる。

 ソフィアの記憶を潰した私が言うのもおかしいのだけれど。

 いつか私は、前世の私の名前すら忘れてしまうのだろうか。もう誰にも呼ばれなくなった名前を。

 前世の自分を忘れたとしても私はソフィアじゃない。ソフィアのフリをしているだけだ。

 もし、忘れてしまったら、私はなんなのだろう。

 私は誰になるのだろう……。


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