009.薔薇姫の憂鬱
改稿後になります
父の中では、どんどん私が過去の記憶を引っ張り出してきて、てんやわんやになる予定だったらしい。
最初の一ヶ月こそガンガンいったが、それ以上の引き出しはない。多少人よりも手作りものに熱中したからと言って、そんなに出せる引き出しなんてない。普通の人間だし。
薔薇のオイルを使った美容法やリップに関しては、広めるタイミングを母に一任されている。
サロンでの夕食後の家族の団欒は、私の何よりの楽しみだ。前世でも、食後に誰からとなく両親の元に集まってお茶をするのが大好きだった。こちらでもこうやって、家族が集まって過ごせることが嬉しい。
前世の私は何処を切っても"平凡"と出てきたと思う。ただちょっと、そこでそれを引くのは運が良いの? それとも悪いの? と問いたくなるような、まぁつまり、良くも悪くも引きが強かった。
目立ちたくなくとも悪目立ちする、そう言う残念な人間だったのである。
であるからして、前世の記憶を持ち出して今生で目立つことは避けたい。避けたいのです。
シャルロッテ姫の誕生パーティでも私の容姿が人目を引くことは十分に分かった。しかも良くない方に。
「当家の領地に薔薇栽培が盛んな土地があるのはソフィアも既に知っている事と思う。そこの領民から、薔薇をもっと活用出来ないか、との相談が来ているのだよ」
薔薇の活用……。
察するに、思った以上に薔薇が虫などの自然災害の被害に合うこともなく咲いて、オイルにもしてみたものの、持て余しているのだろう。
「薔薇と言えば、薔薇などの花を紅茶に混ぜて香りを楽しむというのもありました。あとは薔薇の花びらの砂糖づけなどをケーキの上に並べると美しいですし、薔薇の花びらで作ったジャムなんかもありましたが、薔薇ジャムは香料を口にしているような気持ちになるのでお勧めしません。あとは入浴剤でしょうか」
父は侍従に顔を向け、明日にでも手配するように、と申しつけた。それを受けて侍従は深々と頭を下げる。
「そうそう、ソフィアとツェツィーリアは、我が領地にちなんで薔薇姫と呼ばれているらしいよ」
薔薇姫……とても豪華な印象を受けてしまう。何と言うか、真紅の薔薇とかそう言う。
程遠いけれども。
家庭教師から学ぶことになったのは、まず文字。次に算数。最後に神学。文字はもう覚えている為勉強を必要としない。読むのも書くのもどちらも出来るからだ。
大分父の蔵書も読み進んできた。前世でも図書室の本全制覇とかやっていたなぁ。懐かしい。
算数は年齢が年齢でもあるので、今更私が学ぶこともなかった。さすがに数学まで高校で勉強していたしね。それにしても九九とか懐かしい! どうせならインド式の暗算方式教えて欲しい。あぁ、あれ覚えておけばよかった。
あまりの私の習熟ぶりに、家庭教師は文字と算数を教えることを早々に止め、まったく教養のない神学を中心に教えてくれた。
世界にまず大いなる意思が誕生し、大いなる意思は多くの神を作った。その中でも二柱の神は取り分け強い力を持っていた。
光の神 ヒルドル、闇の神 エルドゥーラ。
相反する兄弟ではあったが、仲は悪くなかった。
兄神は世界を作った。
世界に命が生まれるが、神とは異なり、命には限界があった。命尽きた者の魂は行き場がなかった為、弟神が新しい世界を作った。
兄の世界は生きる者の世界。弟の世界は死せる者の世界。
兄は生きる者に希望を。弟は死せる者に安息を。
ヒルドルの妻 アストレアは人々を救う為、聖女をこの世に遣わす。アリーチェ、リリー、マリア、エマ、キアラの五聖女である。
私たち貴族の子女のうち、公爵以上の女子はこの聖女の名前を自分の名前にいただく。私は聖女リリーからいただいている。意味は純潔。
姉のツェツィーリアはアリーチェ。ステキな人、という意味だ。
浮いた時間で、機織り、チェンバロの練習、糸紡ぎ、蔵書制覇に費やすことにした。
アストレア学院では魔法を学ぶということだったけれど、どういうことを教えてもらうのだろうか。こればかりは周囲に誰も教えられる人がいないし、前世でもそんなものはなかったから、一から学ばなくてはいけない。まったく不安がないと言えばウソになる。まぁ、今から考えても仕方がないのだけれど……。
秋も深まった頃、シャルロッテ姫に招待されて王城に上がった。
母と姉は心配していたが、王女から名指しで呼ばれて辞退出来る筈もない。楽観的に受け止めれば同じ歳だし、仲良くしましょう、だけれども。まぁ、そんな訳はあるまいな。特にあの姫の性格からして、絶対に。
案内されたサロンに入ると、シャルロッテ姫は深緑の光沢のある布張りのカウチに座って本を読んでらっしゃる。
「アンハルト公爵家 ソフィア様。お越しになられました」
城勤めの侍女がシャルロッテ姫の側で仕える侍女に来客を伝える。同じ侍女と言っても格がある。
「お通しして」
シャルロッテ姫の意を受けて侍女は頭を上げ、私を姫の御前まで案内してくれる。姫から三歩ほどの距離を空けて私は止まる。許可なくこれ以上近づいてはいけない。貴族のお作法は難しい。
姫はこちらに顔を向けてにっこりと微笑んだ。相変わらず美少女だ。
「ごきげんよう、ソフィア様。お待ちしていたわ」
お声をいただいて初めて私は姫に声をかけることが許される。招待されたとしても。
スカートを持ち上げて膝を曲げ恭しくお辞儀をし、挨拶をする。
「お召しにより参上致しました。今日という日の幸運を女神アストレアに感謝の祈りを捧げます」
笑顔のシャルロッテ姫に促され、正面のソファに腰掛ける。姫の侍女がさっと現れてお茶を出してくれた。エルダーフラワーの香りがする。これは当家のエルダーフラワーのコーディアル入りの紅茶のようだ。
「アンハルト家はソフィア様がいらっしゃる限り、安泰ね」
……お褒めの言葉ではなさそうだ……。出過ぎた杭を打っているのだと思われる。しかも私の名前も出してくる辺り、二重に意味をのせている。あぁ、頭痛い。いきなりこれですか、姫。
とは言え、そのまま返す訳にもいかないので、貴族らしく遠回しに答えることにした。
「薔薇の香りの広がりが美しき庭園の蕾にまで届くことは、水仙やカトレアの香りを妨げることになりますでしょうか。それが薔薇の悩みの種でございます」
そこでシャルロッテ姫はいたずらな表情を浮かべ、「まぁ、そのような。薔薇の香りの素晴らしきことはこちらの庭園でも有名なこと。水仙もカトレアも、己の領分と違う美しさに気を害することなどありませんわ。ねぇ、薔薇の園の姫君ソフィア様」と微笑む。
遠回しに当家のやってることは王や姫、王妃たち(とその後見)に不快感を与えているのかを訪ねてみたのだが、そんなことはないけれど、あなたなんでしょう? と姫は返してきた。
婉曲したやり取りも貴族ならではなんだろうけど、まだお勉強中の身なので、難しい。
「そのようにおからかいにならないで下さい」
無論、肯定はしないのだけれど。
「ソフィア様は聡明だけれど、悪いことは出来ない気質ね」
ふふ、と笑って姫は紅茶を口にする。姫が紅茶を飲んで初めて、こちらも紅茶を口に出来る。毒見としてホストが先に口にする。ホストが王族だろうがなんだろうが関係ない。
「そうありたいとは思います」
私の反応に、シャルロッテ姫は目を細めて笑みを浮かべた。
「薔薇には棘があるものね」
七歳でこの聡さ。
お母様から姫の母君であるオルヒデーエ様も大層頭の良い方だ、と言っていた。
私に毒なんてないけど、勘違いされている可能性はある。
「アストレア学院でソフィア様と学べることになって、私、本当に嬉しく思っているの」
「光栄にございます」
ここで自分も、と返せないのが私のコミュ障たる所以でもある。
「ねぇ、ソフィア様」
ぐいっと姫は身を乗り出してきた。なんだろう。あんまり良い予感がしない。
「ユーリヒ兄様のこと、どう思って?」
「?!」
あぁ、紅茶飲んでなくて良かった。これ絶対吹き出したと思う。
さっき学院の話をし始めたと思ったのに、どうしていきなりそんな話になったんだろう?!
恐る恐る顔を上げてシャルロッテ姫を伺う。
「ソフィア様の姉君と、リヒト兄様の事はお聞き及びかしら?」
はい、と答えると、姫も頷いた。
姉のツェツィーリアは第一王子 リヒト殿下の婚約者候補だ。
正式には発表されてはいないものの、ほぼ確定している。
王妃が二人並んだ現状は本来はあり得ないのだそうだ。
日本の平安時代なんかは北の方だの西の方だの、妻が複数いたし、江戸時代なんかは将軍様には大奥なんて言うものまであったから、そうなんだ、と思ってしまうけれど。
一夫一妻が常ではあるものの、例外はある。
特例が認められるのは、正妃である第一王妃が王妃としての職責を全う出来ないと判断された場合。
リヒト殿下の母君は殿下を産んだ後、肥立が良くないとして王宮の奥深くにて長いこと療養なされている。
王の子が一人と言うのは心許ないと言う事で、他の公家から妻を娶る事になったのだが、ここでまた問題が発生する。
アンハルト家、ラクロハルト家、サテルハイト家、三つの公家を大きな支えとしてベルグント王国の王室は成り立つ。
公家としては他に二つの家を含めての五公家となっているけれど、家格と言うものがあるのだそうだ。
常に公家から王妃を迎える事で、血族としての繋がりを維持しているらしい。
尊きお血筋って大変。
……で、現国王が第二妃として迎えたのがラクロハルト家のご令嬢。ユーリヒ殿下とシャルロッテ殿下の生母である。
ちなみにラクロハルト家とサテルハイト家は微妙な関係みたいだけど、アンハルト家はどちらとも普通の関係らしいので安心しました。
五公家のうち二つの家は現国王の元に嫁いでいる為、次代の王妃を排出する家からは外される。
アンハルト家を除く他の家にはまだ幼い令嬢しかおらず、とてもではないが候補者として上げられない。
それ以外にも問題があって、公家だけに権力が集中する現状に不満を抱いた貴族達が、自分の娘を王子に嫁がせたいと言う思惑があるそう。
アンハルト家の娘である姉と私が最有力。
ラクロハルト家とサテルハイト家は公家の弱体化を防ぐ為にもアンハルト家から王妃を選出したい。
王家としては国内の混乱を抑える為にも、アンハルト家から王妃を迎えたい。
「ソフィア様はユーリヒ兄様の婚約者候補となる事が決定したわ」
どちらの王子が王太子になったとしても問題ないように、そう言う時だけ二つの家が手を組んだ、と言う事なのだろう。
「突然言われて、王家を嫌いになって欲しくなかったの」
なるほど。今日のこれは、シャルロッテ様の誠意なのだと知る。
父からも聞かされるだろうけど、伝え方次第では良くも悪くも取れてしまう内容ではある。
「私は身体も弱く、ユーリヒ殿下のお相手が務まるとは到底思えませんが……」
命を狙われてるのって、もしかしてこの辺に関係してくるのかな。でもそれにしては皆おかしくなってるし……洗脳とか?
「大丈夫。気になさらないで」
お家騒動にも巻き込まれるのか……貴族怖い。




