ハードル
乗り越えなくてはならない、困難な物事。
「……俺と、つき合ってくれ」
生まれて初めての『自分からの』告白。
一方、翔生に告白された少女――樹里は、頬を染めながら振り向いた。
その可愛くはにかむ様子が、次の瞬間、一変する。
「私、おじさんしか興味ないから。むしろ、ガキとか無理」
※
「……っ!」
弥生のように容赦のない台詞と眼差しに、翔生は思わず飛び起き――夢だと気づくと、深い深いため息を吐いた。
「はぁ……」
流石に翔生も、万人に好かれるとは思ってない。それ故、男友達がいないのは仕方ないし、自分に関心のない娘とは(大抵、他に好きな相手がいるので)無理せず距離を置いていた――今までは。
(だから、初めてなんだよな)
嫌われているのに、気になって仕方ない。
こっそり観察していると、笑顔もだがくるくる変わる表情自体が可愛い。器用ではないが、何事も一生懸命で微笑ましい。
(俺とは、正反対だよな)
夢が、願望だと言うんなら――認めよう。自分は、樹里が好きなのだ。
しかし、樹里は自分なんて全く相手にしてくれない。そんな相手に告白したら、翔生が傷つくだけではなく周りの嫉妬で迷惑がかかる。
(……だとしたら、告白なんて出来ないよな)
誰かを『一番』にするのは、こんなにも相手中心になるのか。相手の一挙一動が、色んな意味で胸にクるのか。
今まで自分を『一番』にした娘達を、翔生はとても尊敬した。
※
気持ちを伝えることが出来ないのなら、距離を置くべきだろう――そんな翔生の決意は、けれどすぐに覆されることになる。
「きりーつ、れーい」
翔生の号令に合わせて、三組一同が動く。
今日の日直は、翔生と樹里だった。そして今朝、珍しく彼女から話しかけてきた。
「分担しましょう。黒板消しは私がやるから、授業の号令はお願い」
……オヤジ好きを知らなければ、照れ屋さんと思えるのだが。そっけない態度も、ツンデレだと思えるのだが。
それでも、断るのも情けない気がして頷いた。
そして、こっそり(翔生的にはバレバレだが)声に反応していたり、精一杯背伸びして黒板を消す樹里が可愛く見え、我ながら重症だと思っていた。
※
元々、日直の仕事はそれ程多くはない。
授業の後は教室の施錠を確認し、担任に日誌を提出して終わり――だと思っていたのだが。
「日直ー、皆のノート集めて持って来いー」
今日の最後の授業は担任だった為、仕事を増やされてしまった。
仕方がないのでノートを集め、書き終えた日誌と共に二人で職員室まで運んだ――のだが。
「翔生ーっ」
「お疲れ、終わったらケーキ食べに行こ?」
樹里がアウトオブ眼中なのはいいとして、廊下で次々と女生徒達から声をかけられた。
「ありがとう、また今度な」
内心、困りつつも笑顔で応えていると、隣を歩いていた樹里が不意にボソリと呟いた。
「いいよね、人生楽勝って感じで」
……瞬間、カチンときたのは完全な八つ当たりだ。樹里は、彼の気持ちを知らないのだから。
「……自分でハードル、上げてるくせに」
「えっ?」
気がつくと、翔生はそう言っていた。そしてマズイと思いながらも、続ける言葉を止めることが出来なかった。
「オッサン好きらしいけど、女子高生なんて援交狙いにしか相手にされないだろ?」
相手を傷つける為の言葉。基本、女の子は可愛がる存在だと思ってる翔生が。しかも好きな相手に何故、こんな酷いことを。
自分で自分を止められなかったことに、我に返って困惑した翔生だったが――そこで樹里の顔を見て、ハッと息を呑んだ。
……目を伏せ、口をグッとへの字にしている。
泣く、と焦った翔生だったが、ここで樹里は思いがけない行動に出た。
「えっ……ちょっ!?」
ノートの山を持ったまま、いきなり樹里が走り出す。
一瞬、唖然としたがノートを提出すれば後は自由だ。つまりは、このまま逃げられてしまうことになる。
「……待てよっ」
呼びかけても止まらない、いや、むしろますます加速した。
見る間に遠ざかる背中に舌打ちし――翔生もまた、ノートの山を手に走り出した。
そんな二人を、居合わせた生徒達は皆、呆然と見送ることしか出来なかった。




