1
結局俺の手元には、じじいの置いていった一枚の海図と、真鍮の鍵だけが残った。
どこの馬の骨ともしれねえじじいだ。頼まれたことをやってやる義理もねえ。だけど。そうなのだが。
―守ってくれ
困ったことにそう言ったじじいのあの目が、どうにも俺の頭から離れてくれないのだ。俺の方をしっかりと見ながらもどこかうつろに見えたあの目が、そう言ったときだけ、青い炎のように燃え上がった。それはまるで守ってくれというその言葉に、じじい自身の命をもかけたようで。
結果、月の光が俺たちを照らす夜、俺はその海図を手に海へとでていくことになるのである。
空が白み始めたころ、たどり着いたのはすっかりさびれた港だった。
さびれているとはいえ、まあ船をつけられないほどではない。元がいいのだろう。なにせ海図に大きくバツ印を描かれたここは、今は亡きとある成金野郎の持っていた島だ。成金野郎の数少ないいいところはモノに対してケチらないとこだな、だから落ちぶれたあとでもこうしてモノはそれなりにいいまま残るってもんだ。
さて、宝があるといえば、まあ、あの丘の上に見える屋敷だろう。野郎どもを引き連れて、宝探しといきますか。
屋敷の扉には、鍵はかかっていなかった。てことはこの鍵はここで使うもんじゃねえんだな。
外壁にはツタがはってところどころ苔むしてはいるものの、やはり金をかけてつくった建物は違うな、まだまだ頑丈そうだ。これまた頑丈そうな重い扉を開けて中へ入ると、更にそれを思い知ることになる。
目の前に広がる大階段。重厚な装飾を施されたそれを視線で上っていくとそこには、色とりどりのガラスで描かれた、美しい、海の女神がいたのだった。誰も居なくなったこの空間でどれほどの時を過ごしてきたのかはわからない。だがそれは、何十年という時を感じさせないほどに美しく輝いているのだった。
ああ、そうだ、そんなことより宝を探すんだったな。
野郎どもはすでに思い思いに宝を探し始めているらしい。まあこの屋敷を見るに、いいモンいろいろと残ってんだろうなあ、楽しみだ。
さて、俺はじじいの言う宝を探すわけだが。じじいのヒントはここにあるってだけだからな、宝がどんなもんか何も言わねえんだから面倒だよな。なんのことだかわかりゃしねえ。
守ってくれ、ねえ。
そう考えながら、ほこりのつもった廊下を歩いているときだった。
「…歌?」
聞こえてきた、というよりは、頭に響いてきた歌。それは、廊下の奥から聞こえてくるようだった。
日の光もほとんど入らない、こんな暗い廊下の奥に何があるっていうんだ?どこかの部屋に壊れた蓄音機でも放り込んであるのかね。
歌はやはり廊下の奥で鳴っているらしく、奥へ奥へと歩いていくうちにどんどん大きく俺の頭に響いてくる。そしてとうとう突き当たりにたどり着いたとき、そこには一枚の扉があった。歌は、やはりこの中から聞こえてきているようだ。
ノブに手をかけて動かしてみる。ガチャリと音がするだけで、扉は開かなかった。しかし扉の向こうにはなにか変化があったようだ。ガチャリと音がした瞬間、歌がピタリと止まったのだ。つまり、機械ではなく、誰かが、歌っていた?
…この扉、ぶち壊すか。
「おい、今からこの扉ぶち壊すからな、扉の近くにいるんなら下がっとけよ」
扉の向こうへ忠告を済ませてから、思い切り足を振り上げる。海賊は、足腰は鍛えられてんだよ。とはいえ一撃じゃあさすがに扉は壊れねえな。もっと思い切り、力を込めて。くそ、うすっぺらそうな扉のくせにしぶといな。もう、いち、ど。
「らあっ!」
気合いを入れたかけ声とともに思い切り扉を蹴りつけると、ついに扉は音を立てて向こう側へと倒れていった。まったく手こずらせやがって。さてさて、歌の正体についにご対面、と。
扉の向こう側に足を踏み入れると、そこは小さな部屋のようだった。しかしそれは人のための部屋ではなくたぶん、物のための部屋。
そんな部屋の中、高窓から差し込む光に照らされて、それは俺の目の前に現れた。
まるで海を閉じ込めたような、青い瞳。
あちらこちらにフリルのあしらわれた黒い豪華な服が彩る、透き通るような白い肌。このほこりの舞う部屋でそれのいる場所だけがキラキラと輝いて見えたのは、その腰のあたりまでのびた銀色の髪が光を受けて輝いているのがそう見せたのかもしれなかった。光の中で座り込みこちらを見上げるその姿に、俺は、特に何の根拠もないけれど。
たしかにこれが宝だと、直感したのだった。
沈黙を破ったのは、月並みな言い方だけれど、鈴を転がしたような可憐な声だった。
「…だれ?」
その可憐な声には、それには似合わない強い警戒の旋律がある。まあ、当然っちゃ当然だよな。
「あんたを奪いに来た、海賊だよ」
そう教えてやるとそれはその青い目に一瞬だけ驚きの色を見せたあとすぐに、どこか寂しそうに目を伏せる。その目元に長いまつげの影が落ちると、よりいっそう寂しさを感じさせた。それはそのまま「…そう」と漏らしてなにかを理解したようだったが、いったい何を理解したのか、俺にはまったくわからない。
「でも、そうね、ここで幽閉されているよりはいいのかもしれない」
それが何を理解したのかわからない俺には、それの言葉がどんなことを意味しているのか図ることもできない。ただそうして言葉をつむぐそれの姿にはなぜだか、何年、いやたぶん、何十年という時を感じてしまうのだった。
「次に私のご主人様になるのはどんな人かしら」
言いながら、それはスポットライトの中で立ちあがる。ゆっくりと、まるで観客を焦らすように。
「とりあえず今は、物置に幽閉しない人ならどんな人だっていいという気分だわ」
そして片手でスカートのほこりを払い落とすと、ようやく伏せていた目を上げた。海を閉じ込めたような青い目が光って、俺の方へと、向けられる。
「さ、どこへでも、連れていってちょうだい」
まっすぐに俺を射抜くその目は、力強いはずなのにどこかうつろにもみえる、不思議な目だった。
「ああ、どこへでも連れていってやるさ」
言いながらゆっくりとそれに近づいて手を差し出すと、それは差し出された手と俺の顔を交互に見たあと、その青い目で俺をじっと見ながら俺の手に自分のそれを乗せる。触れたそれはひやりとして、柔らかくて、それでいてとても、滑らかなさわり心地がした。
これが何者なのか、その言葉の意味は何なのか、どうしてその目がうつろにみえるのか。わからないことを挙げればキリがない。
けれどただひとつ確かなことは、海を閉じ込めたような青い目を持つこれを俺は、俺自身の意志で、守ろうと決意をしたってことだけだ、な。




