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掃除屋さんから手紙と小包が届いたのは、掃除屋さんが帰ってから一週間がたったころのことだった。
手紙の内容は、季節のあいさつから始まって、まずはお別れのあいさつができなかったことへの謝罪が書かれていた。謝罪が必要なのは、俺の方なのに。それから、本部建物の掃除をした2週間俺が補佐したことへのお礼、そして、掃除屋さんの近況が続く。やがて話題は一緒に送られてきた小包へと移っていった。しかしそこには掃除屋さんの住む町の特産品だと書いてあるだけだった。中身は開けてみてのお楽しみということかな。お口に合えば嬉しいですとの言葉から、おそらく食べ物だろう。なんだろう、楽しみだな。思わず笑みがこぼれたのが自分でもわかった。
さて、さっそく小包も開けてみよう。
麻ひもをほどいて包装を開けると、出てきたのはいくつかの缶詰だった。側面のラベルには、見覚えのある植物が描かれていた。
「オリーブ、か」
どうやらオリーブのオイル漬けのようだ。おいしそうだなあ。
缶詰だから保存のきくものだし、掃除屋さんからいただいたものだから嬉しいのだけど、だけど。
「…はやめに、食べてしまおうかな」
ずっと部屋にあると辛い思いをする気がする。
でもこの量を1日で、1人で、となると少し辛いな、せめて2人で、飲みながら食べたなら。2人で、たわいもない話をしながら。そんなことができる人といったら。
夜も更けたころ、俺の足は自然と食堂へ向かっていた。
確信があったわけではなかった。たぶん、いるだろうと思っていた程度だ。
けれど、やはり、アンさんはいた。
「あれ、ようランス、どした?」
食堂の入り口に立つ俺に気が付いたアンさんは、少し赤らんだ顔を俺に向けるとそう言った。テーブルには瓶と、それから中身が半分ほど入ったグラス。アンさんの座るそのテーブルへ近づいていくと、ふわりとお酒のにおいがした。
「こんばんはアンさん、ちょっと、これを」
「うん?」
アンさんの座る向かいに回ると、俺はそう言って持ってきた缶をテーブルに置く。それからその缶をじっと見つめるアンさんの向かいに腰を下ろした。
「今朝掃除屋さんから手紙と一緒に届いたんです、それで、その、部屋に置いておくのは少し辛いので、食べてしまいたくて」
俺がそう言うとアンさんは俺の顔を見て、「そっか」とだけ言って笑いかけてくれた。
「じゃあアンさんが手伝ってやるかね!中身は何だって?」
そう言ってアンさんは缶を一つ手に取るとしげしげと見た。アンさんの頬はやはり少し赤らんでいて、楽しそうに笑うその顔から俺はなんとなく目がはなせなくて。
「オリーブか、じゃあジンよりも合う酒があるよ、持ってくるから待ってな」
「あ、えっと、はい」
ぼうっとアンさんを見つめていると、アンさんがいきなり立ち上がったので驚いてしまった。幸いにもアンさんは俺のそんな様子を気に留めた様子もなく、オリーブに合う酒を調達しにキッチンの方へと向かっていった。
俺は、いま、何をしていたのだろう。ただ、アンさんの笑った顔からなぜか目がはなせないと思って。アンさんの顔を、じっと、見つめて。
そういえば、今日のアンさんはいつもは高い位置で結わえている髪をおろしている。その長い髪を肩に流している様子は、いつもと違って、違って、なんだろう、なにか違和感がある気がする。それは悪いものではなくて、どこか心地の良い違和感で。
ふと、カウンターにグラスを用意しているアンさんと目が合った。アンさんが、少し首をかしげてにこりと笑う。その顔に思わず緊張が走る。緊張?どうして、だろう。ただ目が合った、それだけなのに。目が合った?俺はいつの間にアンさんを見てしまっていたのだろう。ああ、そうだ、アンさんから目がはなせなくて、キッチンへ向かうアンさんを目で追ってしまっていたのだ。
「ランス、どした?」
気が付けば、アンさんが少しだけ不思議そうな目をして俺を見ている。ああ、ええと、何か言わなくては。視線をさまよわせると、テーブルの上にある缶が目に入った。ああ、そうだ。
「あの、缶切りをお借りできますか」
なんとかそう言うと、アンさんはああと納得した表情を浮かべて「わかった」と言ってくれた。たぶん、自然なことを言えたと思う。よかった。俺がアンさんから目がはなせなくて見つめてしまっていたなんてことはばれていない、はずだ。そんなことがばれたなら、恥ずかしい。
目を閉じて深呼吸をした。少し、落ち着いたと思う。ああ、アンさんがカウンターから出てくる音が聞こえた。もう一度深呼吸をして目を開けると、ちょうど手にトレイを持ったアンさんがそれをテーブルに置いたところだった。アンさんは座らずに立ったまま、「ほら」と俺に缶切りを差し出してくれる。「ありがとうございます」と言って受け取ると、アンさんは次にトレイの上にある瓶を両手で持って、俺に見せた。
「やっぱオリーブにはワインでしょ、白でよかった?」
「はい、むしろ、白の方が俺は好きです」
「よかった、実はあたしも」
そう言ってアンさんは歯を見せて笑う。アンさんは、白ワインが好き。そういえば知らないことだった。どんな銘柄が好きなのだろう、どこの産地のものが特にいいということはあるのかな、白に合わせるつまみは、やはり料理人だから自分で作ったりするのだろうか。そうか、オリーブを食べながら、白を飲みながら、聞いてみればいいんだ。俺の知らない、アンさんのことを。俺の知りたい、アンさんのことを。
そう考えながらアンさんがワインの栓を開ける様子を見ていたら、アンさんに手が止まっていると言われてしまった。俺はあわてて、オリーブの缶詰を開けようと缶切りを握りなおした。




