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翌日、朝食前に部屋まで掃除屋さんを迎えに行くと掃除屋さんは窓際の椅子の上で膝を抱えたまま眠っていた。
頭にタオルをかぶったままで朝日を浴びる掃除屋さんはキラキラと輝いているように見えて、それでいて、どこか儚げに見える。このまま放っておけば、太陽の光に溶けていってしまいそうな。
それがなんだか怖くて、俺は急いで掃除屋さんの傍へ近寄ると掃除屋さんを揺り起こした。うんとうなりながら、掃除屋さんが目を覚ます。太陽の光がまぶしかったのか、顔をしかめて両目をぎゅっと閉じて、それからまたゆっくりと目を開けた。その様子を見て、ほっとした。
聞けば、明け方目を覚ましてからお風呂に入り、あがってから椅子に座ってそのまま眠ってしまったそうで。
掃除屋さんが、にこりと笑った。
「そういえばランスさん、昨日はありがとうございました」
「昨日ですか?」
「アンさんにいわしハンバーグを作ってくれるようにお願いしてくれたのはランスさんだって聞きました、おかげでもう元気です」
ああ、そのことか。そんなことでお礼を言ってくれるなんて、掃除屋さんは、やはり優しい人だ。
実は今まで、掃除屋さんが笑った顔を見たり掃除屋さんが俺に言葉をかけてくれるたび、嬉しいと思うと同時に、少しだけ苦しい思いをしていた。けれど不思議なことに、今はただ、嬉しいという思いしか無いのだった。
まだ、胸に穴が開いたような喪失感はある。掃除屋さんの笑顔がそれを埋めてくれるというわけでもない。なのになんだろう、この、落ち着いた気持ちは。ああ、ただ嬉しいんだ。
「お役にたてたのなら、なによりです」
俺のしたことが、掃除屋さんを少しでも笑顔にしたのだということが、とても。
掃除屋さんの仕事が最終日を迎える今日、依頼をしたのは玄関の掃除だった。内側ではなく、外側の。
ゴーロさんにも手伝ってもらって大きな脚立を運んだ。運び終えたところで、俺は人を迎えるからと言ってその場を離れることにした。向かう先は、正門だった。きっとあの人は、もう着いている。
誰かに案内を任せてもよかった。正直、緊張していると思う。あの人を見て、自分は冷静でいられるのかわからない。
けれど、やはり顔を見てみたかった。掃除屋さんの心を占める駐在さん、この人には勝てないと、そう思った駐在さん。どんな人なのか、見てみたかったのだ。
正門が見えてきた。その端、人が通るための扉があるところに誰かが立っている。
いよいよ正門の傍まで行くと、扉の前に立っていたその男性が俺に向かって頭を下げた。
ああ、この人だ、と思った。
「駐在さん、あっ、ええと」
思わずそう呼びかけてしまった。そうじゃなくて、たしか、名前は。
思い出そうとしていると、駐在さんが笑うのが聞こえた。
「すみません、掃除屋さんにいつも駐在さんと聞いているので、つい」
「構いませんよ、それで」
その笑顔に、つい甘えてしまうことになる。
「ええと、ランスリッドさん、だったか」
「はい、そうです」
駐在さんは、俺が名乗ってもいないのに気が付いたらしい。なぜだろう。
疑問が顔に出てしまっていたのか、駐在さんは少し笑ってすぐに答えてくれた。
「アカネからいつも聞いていましたから、キレイな小麦色をした金色の髪に、その整った顔立ち、すぐにわかりましたよ」
からかうようでもないその笑顔でそう言われると、照れてしまう。
ああ、そうだ、こんな話をしている場合ではなかった。
「掃除屋さんは、玄関の表を掃除しています、…早く、行ってあげてください」
俺がそう言うと、駐在さんは表情をひきしめた。そして「ランスリッドさん」と俺の名を呼ぶ。はいと答えて見た駐在さんの目は、深い金色をしたその目は、とても、力強かった。
「本当に、ありがとう」
また、だ。またこの人はそんな言葉を言う。
俺はそんな言葉を言われるようなことは、していないのに。だってこの人に電話をしたのは、俺が掃除屋さんの落ち込んだ顔を見ていたくなかったから。俺が、俺ではダメだと、気づいたから。
俺がただ首を横に振ると、駐在さんは少しだけ微笑んだ。
それから俺に向かって頭を下げると、走り去って行った。
俺は、その背中に向かって、黙って頭を下げた。深く、長く。
どれくらいそうしていたのか、俺が顔を上げたのは正面から誰かに肩を叩かれたときだった。
「ランス」
「…隊長」
顔を上げると、そこで微笑んでいたのは、隊長だった。
「あのねランス、宿直棟の保管庫から探してきてもらいたい資料があるんだ、とても多いから、一日かかるかもしれないけれど、お願いできるかな」
微笑んだ隊長はそんなことを言った。
全てを、知っているはずなのに。いや、知っているから、あえてそうしてくれたのがわかるのだった。
気が付けば俺は、ぎゅうと唇をかみしめていた。
隊長の手が、もう一度俺の肩に置かれる。
「資料のリストは保管庫にあるから、頼んだよ」
隊長の微笑んだ顔は、いつも団員を安心させた。俺も例外ではなく、隊長の笑顔に幾度となく救われてきた。
そして今回もまた、隊長の笑顔は、俺を慰めるものだった。
「ゆっくりでいいから、ね」
そう言ってくれる隊長に、俺は何も言えず、ただ黙ってうなずいた。




