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 学園を卒業した年、俺はようやく騎士団の一員になることができた。


 この王都の騎士団には、東西南北それぞれに隊が存在する。それぞれの港を中心に、治安維持の役割を担っているのである。俺の配属先は、北、つまり、本部騎士団だった。

 本部騎士団は4つある隊の中でも一番の規模を、そして一番の名誉も誇る隊だ。学園を卒業したばかりの俺が本部騎士団に配属されたのは、おそらくカーマインの家名のおかげだろう。俺はそのことをしっかりと自覚していなければならない。おじい様の言葉通り、決して驕らず、周りに感謝をして勤めを果たさなくてはいけないのだ。

 その思いを胸に騎士団で過ごした1年はあっという間だった。

 そしてまた今、2年目があっという間に過ぎ去ろうとしている。



―街はきっと、賑わっているだろうな



 宿舎から門へ向かう道中、これから向かう街の賑わいを想像して、俺の心はたぶん、浮かれていた。

 今日は非番だ。騎士団の仕事はこの師走の時期忙しくなる、休める時には好きなことをして心も体も休めておくべきだ。だから俺はこれから、好きなことをするために出かける。それを思うと、自然と歩くのが早くなるのがわかる。やはり俺は、浮かれているのだろう。



「やあ、ランスリッド」



 早足に歩いていると、声をかけられた。その声にも顔にも見覚えがある俺は、ぴたりと足を止める。



「義兄さん、あ、いえ、ヨハン隊長」

「はは、今日は非番でしょ?義兄さんでいいよ」


 そう言って笑うのは、白を基調とした軍服に身を包んだヨハン・ディースバッハ隊長だ。姉の夫で、俺の義兄に当たる人だった。ディースバッハ家の長男である彼は若くして東の騎士団隊長を務める、才覚あふれる人だ。その才覚は人から愛され、尊敬される。もちろん、俺も尊敬している。ただ―。



「別に非番の時じゃなくたって、義兄さんでもいいんだけどなあ」

「いえ、それはできません、仕事の時は俺は騎士団の一員ですから」

「真面目だねえランスリッドは、でもまあ、真面目なのはいいことだよね」


 ただ義兄さんは、少しだけ、真面目さに欠ける人だった。

 そしてその笑顔は、姉さんと同じように、何を考えているかわからないような時がある。義兄さんは、その細い目の奥に本音を隠すのが上手い人なのだった。

 とはいえ、俺には良くしてくれている。顔を見かけたら声をかけてくれるし、騎士団の先輩として俺のことを気にかけてくれているのだ。



「ところで出かけるとこだった?邪魔しちゃったかな」

「いえ、急いでいたわけではないので」

「はは、またまたあ、早足だったよ?はやく街に出たくて浮かれてたんでしょ」



 浮かれていたことを、見抜かれていた。恥ずかしくて少し顔が熱くなる。俺はそれほどわかりやすく浮かれていただろうか。


「じゃ、楽しんでおいで、俺は本部隊長のとこに行ってくるよん」

「はい、では失礼します、義兄さん」


 手に持った大判の封筒を後ろ手にひらひらとさせながら去って行く背中を、俺は軽く頭を下げて見送った。まもなく、バサッという音が聞こえたので顔を上げると、義兄さんがその大判の封筒を落としてしまったらしい。義兄さんが慌ててそれを拾い上げているところだった。義兄さん、そんなものを後ろ手にひらひらと振るからですよ。義兄さんが、俺が見ていたことに気が付いて口元に指を当てた。本部隊長には、黙っていてくれということだろう。

 まったく義兄さんは、いつでも義兄さんらしい人だ。





 幼いころから、俺は剣の修業と勉学に励んできた。カーマインの家名に恥じないよう、剣の腕と教養を身に着けるためだった。父さんも母さんも、そしておじい様も俺に様々な事を経験させてくれた。例えば、父さんには歌劇だったり音楽会へもよく連れて行ってもらった。母さんは俺に季節の花を、野菜を教えてくれた。おじい様は、剣技を伝えてくれた。どれも素晴らしいものだった。そう、だったのだけれど、それらは俺の教養になるだけなのだった。正直なところ、それらが「好き」かどうか聞かれると、そうだとは答えられない。

 でも、ただ一つ、おばあ様が教えてくれたこと。それだけが俺が「好き」だと言えるただひとつなのだった。


 石畳の上を車輪が走り、ガタ、ゴトと心地よい揺れを感じる。

 俺は、この馬車に揺られる感覚が好きだ。

 初めておばあ様に乗合馬車に乗せてもらったとき、この心地よい揺れに俺はおばあ様の膝で眠ってしまった。その時見た夢がとても楽しいものだったから、俺は馬車を見るたびにそれを思い出しては楽しく感じていた。

 そしてその後、何度もおばあ様に乗合馬車に乗せてもらうたびに、俺は馬車の楽しさを発見していくことになる。石畳と車輪が生む心地よい揺れ。馬の走る軽快なリズム。窓の外を飛んでいく景色。優しく、穏やかな御者の声。

 その中でも俺が何より楽しみにしたのは、馬車へ乗り込んでくる乗客を見ることだった。

 王都のメインストリートをぐるりと周るこの乗合馬車には、さまざまな人が乗ってくる。男性、女性、老人、子ども。俺と同じ騎士団の団員らしき人や、港で働く服装の人。東の職人街から来たような、職人らしい人、西でオシャレな店を営んでいそうな人。動きやすそうな格好をしている人は、この王都に住んでいる人か、それとも観光客かもしれない。

 この狭い乗合馬車で、ひざを突き合わせて座る人がどのような人なのか、それを考えることが楽しみで、俺はこうした非番の日には一日中馬車に乗る。



 馬車が、止まった。

 乗客は俺を残して、みな降りてゆく。一人、取り残された座席で少しだけ寂しいと感じた。しかしその寂しさもつかの間、間もなく馬車はもう一度止まった。新しい、乗客の予感に胸が高鳴るのがわかった。

 俺はそっと目を閉じる。乗ってくる人がどんな人なのかを考える、楽しい時間を増やすためだ。

 高い声が、2つ、少女のようだ。一人が御者に行先を伝えている、慣れた様子だ、馬車を利用するのは初めてではないのだろう、とすると観光客ではないのかもしれない、もう一人の少女を案内しているのだろうか?


 がたん、と揺れて馬車が動き出した。閉じていた目を、開けてみる。少女2人は、斜め向かいの席に座ったようだった。



 一瞬、頭が真っ白になった。

 俺はたぶん、目を奪われたのだと思う。黒い髪を2つにしばったあの少女に。その少女の、笑顔に。

 心臓が、どくんと音を立てたのがわかった。体が、特に顔が熱いような気がする。少女から、目が離せない。しかしそう思ったのもつかの間、すぐになんだか恥ずかしくなって少女から目を背けてしまう。目を背けても、心臓がどくどくと鳴って止まらないし、体は熱い。これは、どうしたのだろう。苦しいのに、なぜだか、どこか心地よいとも感じる。

 少女が楽しげに、同行者の少女と話しているのが聞こえる。窓の外の景色に夢中になっているらしい、やはり、観光で王都に来たのだろう。どんな笑顔で、話しているのだろう。気になってまたちらりと見てしまう。ああ、また恥ずかしくて目を背けるの繰り返しだ。俺はいったい、何をしているのだろう。

 そんなことをしていると、ついに馬車が止まった。彼女が席を立ったので、降りるのだろう。それを思わず目で追うと、気が付いた。

 少女が据わっていた席に、小さなビニール袋が置き去りにされている。少女はそれに気づいていないようだ。ああ、行ってしまう。



「あの、もし」


 声をかけると、2人の少女が振り返った。きょとんとしたその顔がまた、なんというか。


「席に、忘れ物をしていますよ」


 目を奪われている場合じゃない、と俺は少女の座っていた席を指してなんとかそう言うことができた。少女は俺の指先を追うように席へ視線を向けると、あっという顔をして自分の手と席を何度か交互に見た。



「わ、ほんとだ、すみません、ありがとうございます」


 それから慌てて席へ忘れ物を取りに戻ると、こちらを振り返り、またあの笑顔で「本当にありがとうございます」と言った。その笑顔に心臓が跳ねたのだけど、俺はなぜだかそれを悟られたくないと思った。取り繕うように「お気になさらず」と言うのが精いっぱいだった。顔が熱い、赤くなって見えてしまってはいないだろうか。

 少女はもう一度会釈をすると、馬車を降りていった。

 ああ、なんだか、とても緊張した。でも、なぜなのかはわからない。



「ランス兄ちゃんありがと、忘れ物あると届けるの大変だからさ」



 御者の少年からそう声をかけられた。何度も馬車に乗るうちに親しくなった彼だが、その彼にもこの動揺を悟られたくなくて俺は取り繕った。



「いや、役に立てたのならよかった」

「あれ」


 彼が、俺の顔を見て何かに気づいたような顔をする。



「ランス兄ちゃん、具合悪い?」

「え、どうして?」

「だってランス兄ちゃん」


 彼はじっと俺を見て、こう言うのだった。



「顔、赤いよ」



 指摘をされた恥ずかしさに、俺の顔はたぶんさらに赤くなった。






 年が明けると、騎士団の仕事は多少暇になり、休みも与えられる。俺はその休みを利用してその日、実家に戻っていた。姉さんに、会いたいと思ったからだった。姉は常に実家にいるわけではないけれど、よく訪れている。

 そして幸運なことに、姉さんはその日実家を訪れていた。



「姉さん」

「あらランスリッド、あなたも帰っていたのね」


 階段から降りてきた姉さんに声をかける。弟である俺が言うのもなんなのだけど、姉さんは相変わらずキレイだった。俺と同じ金色の髪を肩に垂らしたさまは、もうすっかり奥方の姿だ。



「はい、それで、その、姉さんにお話ししたいことがあるんです」



 姉さんの目をじっと見てそう言うと、姉さんは少しだけ驚いたように目を見開いてから、穏やかに微笑んだ。優しい、姉の笑顔だった。



「そう、それじゃあ、テラスでお話ししましょう」


 姉さんはそう言って俺の手を取ると、そのままテラスへと俺を連れ出すのだった。


 そうして連れ出されたテラスで、俺はあの日のことを姉さんに話した。

 馬車の中で、一人の少女に目を奪われたこと。見つめていると、胸がどきどきと鳴りだしたこと。だから見つめていられなくて目を背けてしまったこと。彼女に声をかけた時、顔が熱くなり、頬が赤くなったこと。そして、今でも彼女の笑顔が忘れられないこと。

 姉さんは俺がすべてを話し終えるまで、黙って聞いていてくれた。そして最後に、ふわりと、微笑んだ。



「すばらしいわ、ランスリッド」



 姉さんの笑顔はとても嬉しそうで、俺は、こんなに嬉しそうな顔をして俺の名を呼ぶ姉さんを、見たことが無かった。



「あなた、それは一目惚れというものよ」



 姉さんの言葉が俺の頭の中に響いた。けれど、その意味を理解することが出来ない。それは、つまり、どういうことなのだろうか。

 姉さんが俺の手を取った。こんなことも、いつ以来だろう。もしかすると、初めてかもしれない。うっとりとした姉さんの、俺と同じカーマインの瞳に自分が映っているのが見えた。



「ランスリッド、あなた恋をしたのね」



 恋。


 かつて姉さんは俺に、あなたは恋をしたことがないのねと言った。恋とは、何なのか。姉さんは、ただ一人の人に夢中で、その人を知りたくて、そして愛されたくなる気持ちだと言った。けれど俺はわからなかった。俺はずっと、おじい様の言葉に従って、周りの人に感謝し、そして愛してきた。だから誰か一人にだけそれを向ける恋というものがわからなかったし、それを他人に求める気持ちもわからなかった。けれど、姉さんは今、俺が感じた思いを、恋だと言った。恋、恋。



―これが、恋




「それで、相手の少女はどんな子だったのかしら、名前は聞いた?いつ、どこに行けば会えるかわかっているの?」


 姉の言葉に、俺は息も、まばたきをすることも忘れていたことに気が付いた。ひゅうと息を吸って、ぱちぱちと目を瞬かせる。そして気が付くのだった。

 俺は、彼女のことを何も知らない。わかるのはただ、おそらく観光で王都を訪れていたのだろうということだけだった。

 俺が何も言えずにいると、姉さんは俺の表情から察したのか少しだけ悲しそうな顔をした。



「そう、仕方がないわ、あなたはその気持ちを、恋だと知らなかったのだから」



 彼女のことを知りたいと、そう思ったときにはもう遅かったのだ。きっと、彼女にはもう会えない。頭から、胸から、なにかが落ちていく気がした。






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