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 駐在さんが、触れたところから、あたたかい。

 あたたかい、あたたかい?あたたかいことを、感じている?


 駐在さん、駐在さんねえちょっと!そろそろはなして!



「ん、な、なんだ、どうした」



 そんな、間抜けな顔してる場合じゃないんですよ駐在さん!わたし、わたし。



「わかる、あったかいのがわかるんです、駐在さんの体温がわかるんです!駐在さんに触られてるのがわかるんですよお!」


 どうしてだろう、嬉しいのに、涙が出てくる。ああ、掴んだ駐在さんの腕があたたかいのが手から伝わる。わたしの手が汗ばんでいるのがわかる。わたしは、ここに、いる。


「うあ、うああああああん…」

「アカネ」


 わたしはたまらず駐在さんの胸にすがりついた。それから泣いた。嬉しくて、嬉しくて、声をあげて泣いた。駐在さんはそんなわたしに何も言わず、ぎゅうと抱きしめてくれた。駐在さんが鼻をすすった音が聞こえたような気がした。





「ご、ほん」



 大きな咳払いが聞こえた。

 びっくりして思わず涙が止まってしまう。



「事態が落ち着いたみたいなので、出来るなら一度場所を移そうか」


 駐在さんとお互いに体をはなして、声の方へ目をやるとそこにはにっこりと笑った紳士が立っていた。



「た、隊長…」


 駐在さんがとても恥ずかしそうにしている。ええ、ええわたしも恥ずかしいです。アルベルトさんいつから居たんですか、どこから見てたんですか。穴が、あったら、入りたい。



「人払いはしたから誰にも見られてはいないよ、僕だって人のラブシーンをのぞき見するなんて悪趣味なことはしないから安心して」


 わたしたちがよほどわかりやすい顔をしていたせいか、アルベルトさんはにっこりと笑ってそう言った。ひい、今度は心を読まれた感じで恥ずかしい。

 しかしアルベルトさんが、さあと促すので一度場所を移すべく立ち上がらなくてはいけない。立ち上がらなくては、あれ。


「アカネ、立てないのか?」

「ええと、ごめんなさい、そう、みたいです」


 足にうまく力が入らない。いろいろあって腰でも抜かしてしまったのだろうか、立ち上がらなくてはと思うのに体は言うことを聞かない。


「仕方ないな、俺の首につかまれ」

「はい、首ですか?」


 駐在さんがそう言うので、わたしは駐在さんの首へ両手をのばして首の後ろで手を組む。それから駐在さんが、ひざを立ててくれるかと言うのでそうした。そしたら駐在さんがわたしの背中と、膝のうらに手をまわして、えっこれは。



「よ、っと」

「わ、うわ」


 そのまま駐在さんが立ち上がるとわたしの体が持ち上げられる。これは、これは世にいう、お姫様だっこじゃないか。う、うわあ嬉しいけど恥ずかしい。恥ずかしいです駐在さん。駐在さんが、ちゃんとつかまっておけと言うものだから恥ずかしさのあまり手で顔を覆うこともできない。ひい、もういろいろと恥ずかしいことだらけです駐在さん。



「落ち着ける場所といったら、やっぱりアカネさんの部屋かな?」

「そう、ですね」

「マーリン、宿舎の場所は覚えているよね」

「はい」

「それじゃあ2人で行けるね、いろいろ落ち着いたら僕の部屋に顔を出してくれるかな、それじゃあ」


 アルベルトさんはそれだけ言うと本部建物の中へと入っていった。駐在さんはその背中に、わたしを抱えているせいで深くは下げられなかったけれど、頭を下げた。その背中が見えなくなるまで、駐在さんは頭を下げ続けていた。








 宿舎の食堂近くに差し掛かった時、わたしたちの前に立ちふさがる影があった。


「ようご両人、ハーブティーいれてやったから飲んできな」


 親指を立てた拳でくいっと食堂の入り口を指すその男前な姿は、食堂の主であるアンさんにほかならない。そんなアンさんに促されるまま、わたしたちは食堂へと入っていく。あ、もうカモミールの香りがする。


「じゃあ、一度おろすぞ」

「あ、はい」


 今気づいたけれど、お姫様抱っこされてる姿をアンさんに見られたのか。は、恥ずかしい。

 駐在さんにおろしてもらって床に足をつくと、もう足にはちゃんと力が入るようだった。うん、立てる。

 それから食堂の椅子に駐在さんと腰を下ろして待っていると、アンさんがティーカップを乗せたお盆を持って厨房から出てきた。アンさんがテーブルに置いて、ほらと差し出してくれたそれを受け取って一口飲むと、カモミールの香りとお茶のあたたかさがしみわたる。向かいに座ったアンさんにお礼を言うと、いいってことよと笑ってくれた。その笑顔はやはり心があたたまるものだった。

 心も体もあたたまったところでわたしには少しいろいろなことを考える余裕が出てきた。それでわたしがまず最初に考えたのは。



「あの、そういえばどうして駐在さんが居るんですか?迎えに来てくれるのは、明日でしたよね?」


 そう聞くと駐在さんは、ああと言って説明をしてくれる。



「ランスリッドって若い団員から電話をもらったんだ、お前に元気が無いから早めに迎えに来てくれってな」

「ランスさんが」


 駐在さんからは思いがけない名前が出た。まさかランスさんが、そんなことまでしてくれてたなんて。



「わたし、ランスさんにお礼を言わなくちゃいけないですね」

「あーまあ、それはそうなんだが、今は、そっとしておいてやれ」

「そうそう、今はまだ、ね」


 駐在さんばかりでなくアンさんまで、どこか決まりの悪そうな顔で今はそっとしておけと言う。よくわからないけれど、まあ、駐在さんやアンさんがそう言うなら。でもやっぱりお礼は言いたいですと訴えると駐在さんは、向こうへ帰ってから手紙を書けばいいと言った。手紙、なるほどその手があった。

 じゃあそうすることにしますと言うと、駐在さんもアンさんもどこかほっとした顔を見せた。なんだったのだろう。


 アンさんにいれてもらったカモミールティーのおかげでだいぶ落ち着いたので、わたしはとりあえず今日の仕事をきちんとこなそうということにした。さしあたってやりかけの玄関掃除を完遂させなくては。

 アルベルトさんの部屋を訪ねてそう報告すると、アルベルトさんはにこりと笑って、ではお願いしますと言ってくれた。それから、マーリンに補佐をさせましょう、とも。そしてアルベルトさんもまたランスさんのことは、今はそっとしておいてあげてと言った。ちょっと困ったような笑顔だった。






「しかし、どういう仕組みだったんだろうな、いきなり体がもとに戻るとは」

「そう、ですよね」


 玄関の掃除を終えて次に向かった倉庫の中で、はたきを持った駐在さんがそんな疑問を口にした。わたしは倉庫に積まれた荷物をはたきでぱたぱたとはたきながら、駐在さんが口にした疑問をかみしめてみる。わたしたちはいきなり戻ったと思っているけれど、なにかきっかけがあったのかもしれない。きっかけ、きっかけといったら。

 あ。


 もしかして、という理由を思いついて恥ずかしくなりついはたく手を止めて両手で顔を覆ってしまう。わたしの異変に気が付いた駐在さんが、どうしたと声をかけてくる。



「と、とても恥ずかしい可能性を、思いついてしまって、ひい、恥ずかしいですう…」

「恥ずかしいって、いったい何を思いついたんだ」


 駐在さんが問い詰めてくる。ぐう、言わなきゃだめですか。いや、言わなくちゃだよね。

 


「あの、ほら、おとぎ話でよくあるじゃないですか」


 この世界のおとぎばなしにもあるのかはわからないけれど。



「王子様の、キス、で、すべてうまくいくみたいな話」



 ひい、言ってしまった、恥ずかしい。

 恥ずかしさのあまりそれきり黙っていると、駐在さんがぽつりとつぶやいたのが聞こえた。



「俺は、王子様なんて柄じゃないが、いいのか」



 指の隙間から駐在さんを見てみると、なんだか恥ずかしそうにしている駐在さんが見えた。

 問題はそこじゃないのだけど、恥ずかしそうな駐在さんを見るに照れ隠しなのかもしれない。

 わたしは両手で顔を覆うのをやめた。



「駐在さんは、王子様ですよ」


 わたしがそう言うと、駐在さんは少し驚いたように稲穂色した目を丸くした。

 駐在さんは、間違いなく王子様だ。たとえ怖い顔だろうが、おじさん一歩手前だろうがそんなことは関係ない。


「わたしにとっては駐在さんのキスが、すべてがうまくいく王子様のキスなんです」



 駐在さんを見上げてそう言うと、駐在さんは笑ってくれた。

 駐在さんが笑うと、わたしも笑う。駐在さんがわたしを見つめると、わたしもその稲穂のような黄金色をした目をじっと見つめ返す。


 そして駐在さんが優しい瞳でゆっくりと顔を近づけてきたのなら、わたしは駐在さんを見上げたままそっと目を閉じるのだった。

 そうしてわたしと駐在さんはほこりの匂いがする倉庫で、すべてがうまくいくキスをした。







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