31
小さな喫茶店を出て乗合馬車が来るのを待つ間に、わたしたちは露店を見て楽しんだ。
わたしはその露店で気に入った絵はがきのセットをひとつ買った。小さなビニール袋に入れてもらったそれを手に持って、わたしたちはまた乗合馬車へと乗り込んだ。
先に乗っていた乗客は1人、見目麗しい若い男性だった。アルちゃんが、今度は少年と呼ぶのが似合いそうな年頃の運転手に行先を告げる。少年が声変わり真っ最中のような声でかしこまりましたと返すさまは微笑ましかった。
さて、王都のメインストリートはぐるりと輪を描いた形になっている。さっきわたしたちは北の港から西側のメインストリートを半円まわって南の港へたどりついた。今度は南の港から東側を半円まわり北の港へ向かうルートである。アルちゃんの言うようにさっきとは景色が違う。
なんというか、職人のお店が多い印象だった。包丁屋さんやハサミ屋さん、それから、えっいまの畳って書いてあった?畳、あるんだ。畳も干せるようにしておいたほうがいいのかなわたし。移り変わっていく景色に夢中になっているとあっというまにまた北の港入口へ着いた。
またアルちゃんに運賃を教えてもらってそれを少年運転手に支払うとわたしたちは馬車を降りようとした。
「あの、もし」
けれどある凛とした声に呼び止められたことでそれはひとまず未遂に終わった。わたしたちを呼び止めたのは、乗客の、あの見目麗しい若い男性だった。
男性はわたしたちが座っていた席を指差してこう言った。
「席に、忘れ物をしていますよ」
そこでわたしは手にさっき買った絵はがきの入ったビニール袋を持っていないことに気が付いた。
「わ、ほんとだすみません、ありがとうございます」
「いえ」
わたしはあわてて席にそれを取りに戻る。危ない危ない、せっかく買ったのに忘れてしまうところだった。この見目麗しい若い男性に感謝しなくちゃ。もう一度お礼を言うと、若い男性は、お気になさらずと言って微笑んだ。見目麗しいからその微笑みも絵になる。そんな男性にわたしは会釈をして失礼することにした。
「王都の人は親切だね、助かっちゃった」
「忘れないでよかったね」
馬車を降りてからアルちゃんとそんな会話をしながら、目的のお店を目指す。
目的のお店はメインストリート沿いにあった。高い建物の一階部分、周りの本屋さんや文具店と同じような雰囲気のお店はその並びにとてもとけこんでいる。ガラス張りの扉からは店内の様子がうかがえる。いくつかの棚と、ハンガーにかけられた洋服。扉の隣にはショーウインドウがあって、その中には紺色を基調とした、軍服然としたジャケットが飾られていた。
はじめてのお店に一人で入るのは少し怖い。なのでわたしはアルちゃんについてきてとお願いをする。アルちゃんは快く了承してくれた。
少し重たいガラスの扉を開けて店内へ入ると、鈴の音がカラカラと鳴った。聞いたことがあるぞこの音。あっこれ、クマよけの鈴の音だ。いらっしゃいませ、と店主らしき老人の声が聞こえた。奥の方からだった。駐在さんの注文を受け取るには、店主に伝えなければいけないのでわたしたちは天井まである棚の間を通って奥まで進んでいく。奥へ進むと現れた。小さなカウンターの中にたたずむ一人の老人が。
蝶ネクタイの似合う店主が先に声をかけてくれた。
「いらっしゃいませ、なにか御入り用でしょうか」
「はい、あの、駐在さん…えっと、マーリン・グロブリに頼まれたものを受け取りに来ました」
「はい、失礼ですがお客様のお名前をいただけますか」
「アカネです」
聞かれたので自分の名前を答えると、店主は、はいとおおきくうなずいた。
「アカネ様、承っております、持ってまいりますので少々お待ちくださいね」
「はい」
店主はそう言って奥の扉へ消えていった。なんだろう、とアルちゃんと顔を見合わせる。駐在さん受け取りの名前をわたしにしてたのかな。店内をきょろきょろと珍しげに見ていると店主はすぐに戻ってきた。その手には厚みの薄い箱。店主はそれをカウンターに置いた。
「こちら、マーリン・グロブリ様からアカネ様への贈り物です」
「え」
駐在さんが、わたしに?
目を丸くするわたしに店主は、さあと箱を差し出した。ふちなしメガネの奥にある瞳がにこにこしている。わたしはそれを受け取るがどうしたらいいかわからない。
「代金もいただいております、さ、ぜひお開けになってください」
「は、はい」
店主に急かされてわたしは箱のふたに手をかける。となりでアルちゃんも興味津々とばかりにのぞきこんでいるのがわかる。
ゆっくりと、ふたを開けた。
箱の中は真っ白だった。と言っても何も入っていなかったわけではない。たぶんこれは、折りたたまれた白い布。箱とふたをカウンターに置かせてもらうと、わたしはその布を持って広げてみる。布の正体が明らかになった。
「これ…」
真っ白な布の正体、それはバンダナだった。
表面がつやつやとして白い色がまぶしく見える。これは、掃除代行業を始めると決めたあの日、駐在さんがわたしにくれたバンダナと同じ。カイルさんに誘拐されそうになったあの日、海の底へ沈んでしまったあのバンダナと同じ。本当は同じものではないけれど、どちらも駐在さんがくれたものという点ではわたしにとって同じだった。
泣き虫なわたしは胸がじわりと熱くなる。駐在さんはずるい、この場にいないくせにわたしを泣かせることができるなんて。泣いているわたしの背中をアルちゃんがさすってくれているのがわかる。わたしはごく自然な動作で、手に持ったバンダナで顔を覆ってしまう。自然すぎて自分のやってしまったことに気が付いたのは泣き止んで、もう一度バンダナを見た時だった。
「あああ、せっかくの新品なのにもう汚した」
「あれ、わかっててやったんじゃなかったんだ」
「む、無意識で」
隣でアルちゃんが笑う。店主も笑っている。
店主が洗いましょうかと言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。水洗いしてアイロンをかけてくれるという。店主にバンダナを渡そうとした時、その真っ白な布の端っこにピンク色が見えるのに気が付いた。
「これ」
「気づかれましたか、こちらの刺繍は私からのサービスです」
「可愛いお花の刺繍ですね」
「ええ、カランコエです」
カランコエ。その花の名前を、わたしはたぶん一生忘れないと思った。




