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 今日の依頼は、海の見える民宿の掃除代行だった。

シーズンがひと段落したので大々的な掃除の手を入れておこうということらしかった。民宿ということだったので普段からできる掃除の方法を教えてあげるとたいそう喜ばれたのは嬉しかった。

 そんな民宿からの帰り道、港の端に座り込んでわたしは海を眺めていた。


 この町に来てから、船で沖へ出たことは無い。掃除のために漁船に乗ったことはあるけれど、それはつながれた漁船でしかなかった。

 わたしは漁師の娘だ。船で沖へ出ることへ憧れが無いといえばうそになる。いや、本当は憧れが無いどころか船に乗って沖へ出てみたくて仕方がない。それにこの町の漁師さんたちは優しい。お願いすれば漁に同行させてくれるだろう。けれど一度それをしてしまうとわたしはたがが外れそうな気がしてできずにいる。たぶんしないほうがいいんだと思う。海の匂いをおなかいっぱいにすいこめるだけで満足だ。



「嬢ちゃん」


 もはや聞き慣れた声がわたしを呼んだ。声のした方を見上げるとカイルさんが立っている。


「隣、いい?」


 カイルさんはいつものようにいきなり近づいてくるようなことをしなかった。わたしがはいと答えるとカイルさんが隣に座り込んだ。カイルさんはじっと海を見つめる。



「海はキレイだよね、俺は海が好きなんだ」


 今日の海はとても穏やかだった。太陽の光を受けて水面がきらきらとまぶしいぐらいに輝いている。


「海は俺たちの村をもっていった」

「え」


 カイルさんの言葉にどきとした。カイルさんの言っていること、それはつまり。わたしが思わず出してしまった声が聞こえたのかカイルさんはわたしのほうを見た。悲しいような、そうでないような不思議な表情をしていた。カイルさんは少しだけ微笑むとまた海を見た。


「それが、俺が海賊になったきっかけでね、たぶんその時は海に復讐しようと思ってたんだ、俺たちの村を奪った海を荒らしてやろうって」

「今は違うんですか?」


 カイルさんはわたしの問いかけに、うんと言った。


「今っていうか、そう決めて海に出た途端にもうそんな気は無くなったんだ、驚いたことに海がキレイなんだよ、毒気を抜かれるっていうかさ」


 不思議な表情で語るカイルさんを見ながら、わたしはお父さんの友達を思い出していた。高波に襲われた町から移住してきたその人に、幼いわたしは海を嫌いにならないのかと聞いたことがある。その人は困ったように笑って言った。



「俺は海に惚れてるんだよ」



 カイルさんの不思議な表情は、その人と同じだということに気が付いた。


「とはいえ食うには困ってるし、惚れた海を独り占めするのもいいかなって思って海賊をはじめちゃったんだよね、その結果マーリンに拾われたわけだし、ほんと海は偉大だよね」


 カイルさんはそう言って大きく深呼吸をした。海の匂いをおなかいっぱいに吸い込んでいるのかな。わたしもそう思いますと返すとカイルさんは笑った。それからカイルさんはわたしをじっと見つめる。



「ねえ、嬢ちゃんは海に出たいんじゃないの?」

「えっ」


 カイルさんはたびたびわたしの核心をつく。どうしてなんだろう。


「どうして」

「おっちゃんらが言ってたよ、嬢ちゃんは海に出たがってる顔してるのに、誘っても断るから不思議だって」


 どうやら漁師のおじさんたちのたれこみらしい。わたしはそんなに顔に出てしまうんだろうか、おじさんたちに漁に出てみないかと誘われたこともあるけれど、わたしはいつも断る。それをしてしまえばたがが外れそうだから。


「えっと、わたし海は好きですけど、出てみたいとかは」


 わたしはうそをつこうとした。けれどうそをつききる前にカイルさんが突然わたしの手をとった。


「ねえ、俺は嬢ちゃんを海に連れ出せるよ」


 初めて会った時と同じことをカイルさんは言う。けれどあの時の色っぽい瞳とは違う、まっすぐな瞳で。



「嬢ちゃんの知らない海にだって連れていける、いろんな海を見せてあげられる、だから嬢ちゃん」


 手がぎゅっと握られる。少し痛い。


「俺と海に出ない?」


 わたしをじっと見つめるカイルさんの瞳は正直で、まっすぐだった。

 けれどわたしはぎゅっと目を閉じて首を横に振る。握られた手がゆっくりと解放されていくのがわかった。カイルさんがそっか、とつぶやくのが聞こえて目を開けると、カイルさんは笑っていた。


「あの、わたし、わたしは海が好きです」

「うん」

「でも、わたしは、駐在さんのそばで見る海が好きなんです」


 カイルさんに言われて気が付いたことがあった。それは、わたしは海が好きだと思っていたけれど、それは駐在さんのいるこの町の海が好きだということだった。だから海に出ることは出来ない。そもそもしたくなかったのだ。



「ですからカイルさんの船に掃除屋として乗るのはできないです」

「ん?あれ、ちょっと待って」


 カイルさんが突然そんなことを言った。目をぱちくりさせている。どうしたのだろう。


「あの、嬢ちゃんは、俺が嬢ちゃんの事俺の船専属の掃除屋さんとして口説いてると思ってたの?」

「え、だって駐在さんがそう教えてくれたので」

「うわあ」


 わたしがそう答えると、カイルさんは眉間に手をあててうつむいてしまう。なんだろう、もしかしてカイルさんは隠しているつもりだったのだろうか。ばれていたと知って気まずいのかな。心配になって、あの、と声をかけるとカイルさんは、気にしないでと言った。そう言われてもそんな顔してたら気になって仕方がないのだけれど。


「いや、あの、口説く理由は隠してたつもりだったから恥ずかしいだけでね、ほんと気にしないで」


 問い詰めたらカイルさんはそう白状した。なんだか悪いことをしてしまったかもしれない。ごめんなさい、と謝るがカイルさんはやはり顔色の悪いまま、うん大丈夫と言うだけだった。それから、ごめん今日はとりあえず帰るねと言って、港に泊まっている船へ帰って行った。


 交番に帰ってことの次第を駐在さんに話すと、駐在さんは珍しく大笑いした。

 前に駐在さんが大笑いしたのは初夏の時期にあったイカ祭りでわたしの顔がイカスミだらけになったときで、駐在さんはその時と同じような大笑いをした。言っときますけど駐在さん、乙女のイカスミだらけになった顔を大笑いしたことわたしまだ根に持ってるんですからね。聞いてるんですか駐在さん、笑ってないで駐在さん。






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