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カイルさんはまた現れた。
それは最後の漁船を掃除しているときだった。
「へえすごいな、船が見違えるほどにキレイだ」
カイルさんは船べりに腰掛けてこちらを見ていた。褒められたけれど、なんだかあまり嬉しくはない。わたしはついカイルさんの言葉を無視してしまう。
「あれ、嫌われちゃったかな、さっきのはほんの挨拶だからさ~」
カイルさんはわたしの不機嫌が、さっき手をとってはなさなかったことによるものだと思っているらしい。やっぱりニマニマとしながらごめん、だの、もうしないから、だの言っている。けれどたぶん原因はそれではないのだ。わたしも自分でよくわかっていないけれど、手をにぎられたことがわたしがカイルさんを嫌な人だと思う原因ではないと思う。
かたくなに無視をするわたしに、カイルさんは攻め方を変えた。
「ねえねえ、嬢ちゃんは俺が何者か知りたくない?」
効果はばつぐんだった。知りたい。
「ふふ、やっとこっち見てくれた」
「だ、だって」
何者かは知りたい、漁師さんたちだって教えてくれなかったし、カイルさんもさっきは何も言わなかった。それになにより知りたい理由がある。
「そうだよね、駐在さんのどういう知り合いなのか知りたいよね」
カイルさんがわたしの図星をついた。
カイルさんの正体が気になるのは、カイルさんが駐在さんのことをマーリンと呼んだからだった。そんな風に呼ぶってことはよほど親しいのか、それともほかの関係なのか。とても気になる。カイルさんはわたしの反応に満足したのか余計にしまりのない笑顔のまま話した。
「じゃあ言うね、俺は海賊なんだ」
「かいぞく?」
聞き慣れない言葉に思わず反芻してしまう。海賊がなにかわからないわけではない、知っているつもりでもある。けれど、自分を海賊だと名乗る人間は見たことがなかった。現代日本でそう名乗れば確実に頭のおかしい人扱いを受けるから当然だろう。幸いなことにわたしが反芻したのをカイルさんはあまり不思議には思わなかったらしい。
「ま、最近は取り締まりが進んでるから絶滅危惧種みたいになってるし、本物を見たことないのも無理ないかもね、俺だって海賊というか半分は自警団みたいなもんだし」
そう言ってカイルさんは頭をかいた。少しだけニマニマとした笑いがなくなっていた。
「そもそも海賊ってのはね、漁獲量が少なくなったり仕事がなくなったりして食うに困った奴らが略奪行為をしてたんだよね、実は俺たちもそういうクチでさ、それをマーリンに拾ってもらって仕事してきたりしたんだ、だからマーリンは恩人かな」
「そう、だったんですか」
カイルさんの口から語られたのは驚きの真実だった。軽薄そうに見えたけれど、カイルさんはカイルさんで辛い経験をされてきたんだ。
「で、今はマーリンに頼まれてそういう海賊に仕事を斡旋してやってんの」
えらいでしょ?とおちゃらけるカイルさん。そんなカイルさんになんと言葉をかけていいかわからず、何も言えずにいるとカイルさんが立ち上がった。そしてわたしの方へ近づいてくる。わたしは思わず持っていたデッキブラシの柄をぎゅっと握りしめた。
カイルさんがわたしのおさげ髪をすくいとる。またあの色っぽい瞳でわたしを見ている。
「もしかして、同情してくれた?」
またカイルさんはわたしの図星をついた。
「優しいね嬢ちゃんは、ほんと、あのおっさんにはもったいないぐらい」
なにか、心がもやっとした。カイルさんが嫌な人に見える。
「おっさんがまだはっきりさせてないなら、俺が奪っちゃおうかな」
それは、カイルさんがこんな風に軽薄な瞳でわたしを見たからじゃない。軽々しく手や髪を触られたからでもない。
「おっさんじゃないです」
「ん?」
デッキブラシの柄を握る手にますます力が入る。睨み付けたカイルさんの目が驚いたように見開かれていくのがわかる。駐在さんはおっさんじゃない。
「駐在さんは、不器用なおっさんなんかじゃないです、優しい、やさしい、ひとです」
「え、あの、嬢ちゃん」
カイルさんの戸惑った顔がぼやけて見える。まばたきしたら多少マシになった。もう一度まばたきしたらまつげになにかついてまたカイルさんの顔がぼやけた。
「困ったな、あの、ごめんね、謝るから泣かないで」
「泣いてないです、ばかいわないでください、わたしのどこがないてるっていうんですか」
「いや泣いてるよ号泣だよ、ほんとごめんって」
目から汗が止まらないわたしは、カイルさんの背後に近づく影にはまったく気が付いていなかった。




