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クソみたいな人事評価が廃止され、「社内株式市場」が始まった。〜無能な上司の評価が暴落し、隠れた天才が高騰する〜  作者: nemodox


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第3話 高騰

午前9時00分。

ミライ・イノベーション本社の広大なオフィスフロアに、何百ものスマートフォンの振動音が、まるで不気味な羽音のように一斉に響き渡った。


『タレント・エクスチェンジ(TX)へようこそ』


営業部の中堅社員、佐藤健太(35)は、息を呑んで真新しいアプリを開いた。

周囲のデスクからも、ゴクリと息を呑む音や、戸惑うようなざわめきが波紋のように広がっていく。無理もない。今日からこの会社では、同僚の「才能」が金融商品として売買されるのだ。


画面には、見慣れた社員たちの名前が、証券会社のティッカーシンボルのようにズラリと並んでいる。それぞれの名前の横には、過去の評価に基づく「初期株価」が緑や赤の数字で表示されていた。


佐藤自身の初期株価は「500 MCミライ・コイン」。ごく平均的な中堅社員の評価だ。


画面のトップランキングに君臨しているのは、誰もが認める開発部のエースエンジニア・鈴木亮平。彼の初値は「3,000 MC」という圧倒的な超大型株だった。それに次いで、各部署の部長やエース級の社員たちが1,500〜2,000 MCの価格帯にひしめいている。


「本日から1週間が、第1回の『TXウィーク(売買期間)』です。付与された10万MCを使い、自らの目で才能を発掘し、投資してください。取引はすべてアルゴリズム(AMM)が即座に処理します」


全社スピーカーから流れる九条社長の声をBGMに、佐藤の頭の中ではすでに電卓が高速で弾かれていた。


佐藤は、社内でも筋金入りの倹約家であり、生粋の長期投資家である。

スマホの通信費すら格安キャリアの「月額980円・容量制限プラン」で極限まで切り詰め、日々の生活費からサブスクリプションの契約状況まで、すべてを自作のエクセルマクロで厳密に一元管理している。


そうして生み出した余剰資金は、手堅い『全世界総合インデックスファンド』にコツコツと積み立てつつ、国内の『大日インフラホールディングス』や『東都メガリテール』といった高配当の割安株を狙ってポートフォリオを組むのが彼の日課だった。


(このTXシステム……本物の株式市場と全く同じだ。うまく立ち回れば、莫大な含み益と配当を出せるぞ!)


周囲の社員たちは「とりあえずエースの鈴木さんを買っておけば安全じゃないか?」と囁き合っている。しかし、佐藤の目は投資家としての冷徹な光を帯びていた。


(素人が。鈴木さんを今から買っても、すでに高値圏だ。これ以上の値幅はしれているし、資金効率が悪すぎる。投資の鉄則は『誰も気づいていない底値で買い、高値で売る』ことだ)


佐藤はランキングを一番下までスクロールした。

狙うのは、実力があるのに人事評価が低迷している『割安のバリュー株(低位株)』だ。


「……おい田中。お前、今月のテレアポのノルマどうなってんだ。また未達か?」


フロアの隅で、入社2年目の若手、田中翔(25)が直属の上司に嫌味を言われていた。

田中は普段から口数が少なく、愛想笑いもできないため、営業成績は常に中の下。上司からの覚えも悪く、TXアプリでの彼の初値はわずか「100 MC」。システム内の最低価格を這いつくばるペニー株だった。


「すいません……リストの整理に時間がかかってしまって」

「エクセルの整理なんて誰でもできるんだよ! 足を使って稼げ!」


上司が吐き捨てるように立ち去った後、田中は猫背をさらに丸めてモニターに向かった。

誰も見向きもしないその背中を見つめながら、佐藤の脳裏に、ある日の記憶が蘇った。


佐藤は知っている。営業部の面倒な顧客の与信リスク診断や見積もり作成が、いつの間にか信じられないほどスムーズになっていることを。

それは田中が、既存のGoogle Workspaceの環境を利用し、Google Apps Script(GAS)を組んでサクッと実用的な自動化ツールを作ってくれたおかげだった。現場の「今すぐ何とかしてほしい」という要望に対し、予算も権限も必要ないGASで最速のソリューションを叩き出す。その時点で十分に優秀だ。


しかし、佐藤が田中を「バケモノ」だと確信したのは、その先だった。

ある日の残業中、田中のPCモニターを偶然覗き込んだ時、そこには到底「営業部の若手」が触るはずのない画面が開かれていたのだ。


(あれは……AWSのアーキテクチャ図だった。田中はGASで現場の火消しをしつつ、裏では全社展開を見据えたエンタープライズ級のクラウドインフラまで独学で完璧に設計していたんだ)


佐藤は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

今は誰も気づいていない。上司すら、田中の価値を「エクセルの整理が少し早い奴」程度にしか思っていない。


佐藤は席を立つと、誰にも見られないようトイレの個室に駆け込んだ。

そして震える指でTXアプリを操作し、自分の投資資金のすべて、10万MCを「田中株」の購入に充てた。


『田中翔(営業部):1,000株の購入が約定しました』


AMM(自動マーケットメーカー)のシステムにより、取引は一瞬で成立した。

佐藤は瞬く間に、田中の「筆頭株主」となった。


「よし。ここからは俺のターンだ」


佐藤は、ただ株を買って祈るだけの凡庸な投資家ではなかった。

自ら企業価値を高めるために動く「アクティビスト(物言う株主)」ならぬ、「プロデューサー」として動き始めたのだ。


個室を出て田中のデスクに戻ると、佐藤は強い口調で言った。


「田中、お前が裏で組んでたあのAWSの構成図、今すぐプリントアウトしろ。今日の午後、システム推進部のマネージャー陣に俺がプレゼンしてくる。お前はただ、技術的な質問に答えるだけでいい」


「えっ、佐藤さんが他部署に営業してくれるんですか? でも、あれはまだ僕の頭の中の設計図で……それに、佐藤さんの業務の評価にはならないんじゃ」


「当たり前だ」

佐藤はニヤリと笑い、田中の肩をガシッと掴んだ。


「お前はもう、俺の最高のポートフォリオなんだよ。お前の価値は、俺が全社に知らしめてやる」


その日の午後から、佐藤の猛烈な「IR活動」が始まった。

彼は田中を連れて、社内のIT部門の中枢であるシステム推進部のドアを叩いた。


「見てください、このシステム! 営業部のデータ突合を田中がGASで自動化し、現場の作業時間をすでに8割削減しています。これを全社で導入すれば——」


佐藤の熱弁に対し、システム推進部のベテランマネージャーは鼻で笑った。


「営業さんが現場でGASのおもちゃを使うのは勝手だがね、全社の基幹データを扱うとなると話は別だ。GASのスクリプトなんかじゃセキュリティも拡張性も担保できない。悪いが、情シスとしては許可を出せないよ」


マネージャーが冷たく突き放そうとしたその時、佐藤の隣で沈黙していた田中が、静かに分厚い資料をテーブルに置いた。


「……ええ、おっしゃる通りです。GASはあくまで要件定義と現場テストのための『プロトタイプ』に過ぎません」


「プロトタイプ……?」


「はい。全社展開にあたっては、すでにAWSでのサーバーレス環境への移行計画を組んであります。フロントはReactで構築し、バックエンドはAWS LambdaとAPI Gatewayで処理。インフラは仮想プライベートクラウド(VPC)内に閉じ込め、データベースへのアクセスはIAMロールで最小権限に絞っています。当然、WAFも導入済みです」


田中は淡々と、しかし情シス部門の懸念を先回りして完全に潰すような、エンタープライズ級の技術的根拠を並べ立てた。


マネージャーの表情から余裕が消え、みるみるうちに驚愕へと変わっていく。


「これ……全部君が一人で設計したのか? 開発部じゃなくて、営業部の君が? トランザクションの負荷分散はどうなってる?」

SQSキューイングサービスを挟んで非同期処理にしています。システム推進部の基幹APIのエンドポイントさえ頂ければ、明日の朝には本番環境にデプロイできます」


佐藤は、隣で田中の見事な受け答えを聞きながら、勝利の確信に打ち震えていた。


佐藤がここまで汗をかくのは、決して「同僚への純粋な思いやり」ではない。自分が投資した田中の評価が上がれば、自分のボーナス(資産)が増えるからだ。

これまで「他人の育成なんて一銭にもならない」と冷めていた佐藤の心に、強烈なモチベーションの火が灯っていた。


(そうだ。動機が『金』で何が悪い。俺が儲かるために、お前をスターにしてやる!)


それから1週間後。

第1回のTXウィークが終了を告げ、取引市場がロックされた。


田中のスマホが、狂ったように通知音を鳴らした。社内SNSは、田中のシステムを絶賛する他部署からのコメントで埋め尽くされている。


『システム推進部も唸る完璧なアーキテクチャ! 田中君、天才!』

『どうしてこのバケモノを営業で腐らせていたんだ?』


佐藤が火をつけ、その噂を聞きつけた他の同僚たちも次々と田中の将来性に気づき、システムから買い注文を殺到させた結果だった。


TXアプリを開くと、田中の株価は底値の「100 MC」から、実に12倍の「1,200 MC」へと暴騰を記録していた。


佐藤のアプリ画面には、初期投資額をはるかに上回る、信じられない額の「含み益」が緑色で輝いている。


(勝った……! 俺の目に狂いはなかった!)


誰もが才能を正当に評価し合い、共に豊かになっていく。

社長の九条が描いた「完全実力主義のユートピア」は、見事に機能しているように見えた。

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