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その猿はハハハと嗤う。  作者: 昊ノ燈


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0.認知と存在の猫

 最初に発見したのは、小学校五年生の田中明くんだった。


 いつも通りのいつもの道、そこで何かを見た気がした。

 その時は、塾の時間もあり、何気なく通り過ぎたのだが、後で考えてみると、何とも納得のいかない光景だったように思えてくる。

 塾の帰りに寄ってみたけど、暗くて見えなかった。

 翌日、再びそこに行ってみる。

 それは──いた。



 都会とは言い切れないけど、地域に幾つかの大学と短大、専門学校が存在する学園都市と呼ばれる町。

 そんな学園都市の中にある、古い商店街。既にシャッター商店街と化している商店街を一本ずれた通り。地元でも知らない人も多いけどオーケストラ通りと呼ばれている通り。古ぼけたアーケードでちょっと薄暗い商店街よりも、明くんは空が見えるオーケストラ通りの方が好きだった。

 そこの小さな雑居ビルの合間にある空き地。古い民家があった形跡のある空き地に、それはいた。


 くすんだ灰色地に黒い縞模様のトラ猫。

 日向ぼっこをしているかのように眠っている。

 ただ、その寝ている場所が、明くんには理解できない。

 空中に浮かぶように寝ているのだ。


 民家の裏手にあったのだろう壁だけが残された空き地。

 その壁も、左右の両端を残すだけで大きく崩れている。

 崩れて何も無いハズの壁の辺、まるで壁が存在するかのように、トラ猫がそこで寝ているのだ。


「っ!」

 声にならない驚きを発し、暫くして……言葉を漏らした。

「…………浮いてる…………」




 話は凄まじい勢いで広がっていく。

 明くんから友達へ、母親へ、父親へ、そしてもっと。

 誰かが上げたSNSの所為もあったのだろう、空き地は人で埋まった。


 シャッターばかりだったオーケストラ通りのシャッターが開くことはなかったが、その前に幾つもの屋台が現れた。その流れは商店街にも繋がり、まるで夏祭りのような様相が広がっていく。


 ただ、トラ猫は、そんな人々の喧騒など知らぬ顔で、適当な時間に現れ、眠り、去っていく。



 そんなある日、これ以上トラ猫に近付かないようにと張られたラインを越えて、幼い女の子がヨチヨチと壁の方に歩いていってしまった。

 気が付いた両親が慌てて追うが、既に遅し、女の子は壁の側まで来ており、壁の跡の所に着いたところで、つんのめるように転んだ。

 周りの人々から見て、その姿は、まるで見えない壁にぶつかって転んだかのようだった。


 やがて、一人の子供が言う。

「あそこに見えない壁があるの?」


 その瞬間から、そこには見えない壁が現れた。

 崩れた左右のブロック塀の間に存在する、存在するはずの無い見えない壁。


 SNSは、ヒートアップする。

 見えない壁に登っている写真。見えない壁にボールを投げる動画。果ては、スカッシュをする動画まで流れた。

 露天達も慌てて『見えない壁ソーダ』(ただのサイダー)、『見えない壁グミ』(ただの透明なグミ)、『見えない壁のクラッシュアイス』(ただのかち割り氷)等の飲食物から、トラ猫キーホルダーまで、様々な商品を考え出してきた。


 実際、この頃には、トラ猫は殆ど見なくなっていた。

 人々の熱狂にうんざりしたんだろうとか言われていたが、猫の気持ちは分からない。でも、自分が猫だったら、こんな喧しい所には絶対に来ないだろうとは思う。

 『存在だ〜』『認知だ〜』とか喋っている、何故か白衣を着た哲学の先生が、大きな虫取り網を持って、トラ猫を追っていたのを見た人も居るみたいだから、猫にとっては災難だろう。


 そんな空き地のフィーバーも、簡単に終わりを迎える。

 空き地の奥、見えない壁の所に壊れたブロックが小山のように置かれていたのだ。

 悪戯で置かれた物だろう。

 SNSで動画を拡散していた男が炎上しているとニュースでもしていた。


 ただ、それを見た人々が、思ってしまったのだ。


「見えない壁が壊れた」


 その日から、壊れた壁は、ただの壊れた壁になった。


 波が引くように人々は消え、屋台も姿を消した。

 ディスカウントストアでトラ猫を黒く塗った黒猫キーホルダーが言われているのを見た。



 明くんは、人気のないオーケストラ通りを歩きながら、ふと空き地の奥に目をやる。そして、寂しそうに塾に急いだ。

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