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184・嘆きの神は先導したい

 新緑色に輝いていた結界が、今は赤黒く濁っていた。

 残らず破裂したグレイビ・チャイルドと、跡形もなく溶かされた女王が残した、命の残骸。

 体液に満たされた結界がさらに収縮していく。


 キュウウゥゥゥ……ゥゥ……

 ……ッキュンッッッ!!!


 そしてそのまま球体となって浮き上がり、完全に消滅した。


「スゲェな……跡形もなく消しちまったぜ……」


「結界にあのような使い方があったとはのう。なかなかどうして、強力ではないか」


「いえ、普通はあんな事できないわ。そもそも物理結界って、外に向かって力を行使する魔法なんだから。内側の生き物を押しつぶすなんて……あり得ない」


「てこたぁ、嬢ちゃんのオリジナルって事か」


 死闘の余韻が去ってなお、グラスは佇んでいた。断罪の時が過ぎ、今はもう慈悲なき神の威圧感(プレッシャー)は消えている。


『終わりました、ルキト様』


 くるりと振り向いた時には、いつものグラスに戻っていた。

 浮かべた微笑が少しだけ物悲しく見えた。

 それは、救えなかった魂にはせた思いが滲み出しているかのようで、寂しさの混じった笑みだった。


「……うん。お疲れさま」


 グラスはいった。倒す、ではなく、禁じる、と。

 おそらくあれは、肉体を滅ぼしこの世界から追放する、というだけの意味ではない。

 天に帰した魂が、再びどこかの世界に転生する事そのものを禁じたのだ。

 長い長い時の中、全ての罪と記憶を浄化されて後、魂は無垢なる存在へと還るのだろう。

 そうして初めて、女王達(かのじょたち)は次の生を営む事ができる。


「……なぁ、ルキト」


 オレ達の元に帰ってくるグラスを見つめていると、ロメウの声がした。

 同じくグラスを見ながら、硬い声音(こわね)でいった。


「何者なんだ、あの嬢ちゃん……女神、とかいってたが……」


「…………」


「……この先の事もある。話しておいた方が良いかもしれぬのう」


「……そうだな」


 ビョーウに促され、頷いた。ロメウに向き直った時だった。


「話はここを出てからにしない? こんな状況じゃ、落ち着いて説明もできないでしょ」


 マリリアがそう提案してきた。

 確かに、濁った空気と異臭が立ち込めるこの部屋に、長居はしない方が良さそうだった。


「んじゃ、とりあえず移動するか。ここらで休憩もしときてえしな」


 グラスが戻ってきた。目で確認すると、小さく顎を引いた。

 ロメウになら話して大丈夫ーーオレ達と同じ判断をしてくれたようだった。


「よし、ならば先に進もう。出口に案内してくれ、ロメウ」




 壁にカモフラージュされた隠し扉を開け、女王の巣を出た。

 暗い通路を進むとすぐ、下りの階段があった。

 どうやら、下層に続いているようだった。


「まだ下層(した)があるのか……」


「っていうか、今いるここですらかなり深い階層よね。結構な時間、落ちてたし……」


「体感的には三〜四十階層ってとこだが……考えてみれば、妙な話だよな」


「何が妙なのじゃ?」


「いくらなんでも深すぎる。地下三十階層以上の大迷宮なんて、そうそうあるもんじゃない。ここがそこまでデカいってのに、違和感を感じるんだよ」


「ふむ……なるほどの」


「何かがあるのかもしれませんね。この迷宮(ダンジョン)を深くしている、特別な何かが……」


「行ってみるしかなさそうだね。どのみち、進む以外の選択肢はないし」


「だな。じゃ、俺が先行するからついてきてくれ」


 慎重な足取りで進むロメウに続いた。階段を降りきるとすぐ、開けた場所に出た。

 ちょっとした広場くらいのスペースを、光ゴケの灯りが照らし出していた。


「ちょうどいい、ここで休憩しようや。そろそろ腹も減っただろ」


「賛成。お腹ぺこぺこで倒れそうだわ」


「またハラ減らして倒れそうになってんのかよ……」


「しょうがないじゃない。魔法は体力と精神力使うんだから。エネルギー補給が必要なの」


「決まりだな。火を起こすからメシにしよう。話は食いながら聞かせてくれや」




 食事をしながら、これまでの事を話した。

 聞いている内に、ロメウの顔が唖然とした表情に変わっていった。


「何かあるだろうとは思っちゃいたが、それにしても……ぶっ飛びすぎだろ、お前ら……」


 話し終えると、オレ達をぐるりと見回した。

 手で髪を撫でつける動作には、動揺している心情が伺えた。


「教団のゴタゴタに首突っこんだのも、そんな理由があったからか……」


(おおやけ)にはできない話だ。くれぐれも、内密に頼む」


「話した所で信じちゃもらえねえだろうさ。異世界から来た大魔王どもが暗躍してるなんてな」


「放っておいたら、いずれ世界の脅威になる。そうなる前にケリをつけたいんだよ」


「で、お前達が最初に選んだ奴が、教団のバックにいるかもしれねえって訳か」


「うん。当面の目標はそいつだ」


「なんてこった……」


 額に手を当て、(ちゅう)を仰いだロメウが嘆くようにいった。


「つまり……俺は今、世界の命運を託されたパーティーにいるってのか……」


「話した事に嘘はない。全部、本当だ」


「普通に考えりゃ信じられるわけねぇよな。ただ、お前やビョーウの化け物じみた強さと、何より……」


 顔が、自然と横に向く。

 グラスと目が合うと、小さく頭を振りながらいった。


「嬢ちゃんのアレ見ちまったら、な。今の話も女神がいるってのも信じざるをえないぜ。これまでいろんな化け物と()ってきたが、あんなのは初めてだった」


「申し訳ありません。驚かせるつもりはなかったのですが……」


「いや、いいんだ。おかげで無事に勝てたわけだし、結界オーライだよ」


「流石のロメウでも、本物の神威は体験した事がなかったか」


「当たり前だろ」


 カップに口をつけ、コーヒーを一口すする。

 大きく息を吐いて、しみじみとロメウはいった。


「純粋な恐怖とも緊張感とも違う。なんていうかな……侵しちゃいけない領域の、触れちゃいけない存在を目の当たりにして動けなくなっちまった、みたいな……未経験のプレッシャーだったぜ……」


「オレも初めて見た時はそうだった。全身から汗が噴き出してきたよ」


「戦闘中の仲間にビビって冷や汗かいて風邪ひきましたなんて、笑い話にもならねえぜ」


 グラスが、居心地悪そうにもじもじしている。

 今の雰囲気からでは、とてもじゃないがあの姿は想像できなかった。


「ただまあ、見た目でいやあ女神様そのものだ」


 ふっと、ロメウの目から力が抜けた。陽に焼けた顔には、柔らかい表情が浮かんでいた。


「おとぎ話から出てきたみてえだもんな。そこに関しちゃ、説得力は十分だよ」


「本物の女神だからねえ……なんなら、こっちがオリジナルだし」


「違いねえ」


 笑った顔は、いつものロメウだった。

 グラスの隠された実力を目の当たりにし、正体を知ってなお、大きな変化は見られない。

 未知ではあるが、脅威はない。

 むしろ、頼れる仲間と割り切って、認めている風ですらある。

 このあたり、流石は熟練の冒険者というべきか。(じつ)を取る現実主義が染みついているようだった。


「信じたのなら結構じゃ。が……」


 男二人で容姿談義に花を咲かせていると、ビョーウがロメウに目を向けた。

 からかうような口調で釘を刺す。


助平心(スケベごころ)は出さぬ方が良いぞ。それこそ、天罰てきめんじゃ」


「いや、だからよ……」


 あからさまにしかめた顔。もはやお約束になりつつあるやり取りだった。


「俺をなんだと思ってんだ……」


「女好きの遊び人じゃろうが」


「節操くらいあるってんだよ!」


「あ、否定はしないのね」


「女好きで遊び人って自覚はあるんだな……」


「まあ、グラスに変な気起こしたら、別の意味で怖〜い事になりそうだしねぇ……」


 マリリアの意味ありげな視線を咳払いで流した。

 話をややこしくしなきゃ気がすまないのは、こいつの悪い癖だ。


「ていうか、ビョーウよ。お前さんが人間じゃないってのも、半信半疑だからな?」


 ロメウが話題を変えた。

 当然かつ自然な反応だった。

 獣が人に化けているなんて、はいそうですかと信じられる訳がない。


「それに関しちゃまあ……実際に白鬣(はくりょう)の姿を見なきゃ、なんともいえないよな」


「くく……いずれ、嫌でも信ずる日が来よう。楽しみにしておるのじゃな」


「おいおい。まさか、正体がめちゃくちゃおっかねえなんて事は……」


 ビョーウが無言で肩をすくめた。

 納得したような、してないような。

 微妙な顔のロメウだったが、気を取り直すように煙草をくわえた。


「じゃ、それはいったん置いといて……」


 火をつけてうまそうに一口吸う。煙を吐き出しながら話を続けた。


「嬢ちゃんは女神でルキトには使命があって、ビョーウは人間じゃねえ、と。そこまでは、まあ……荒唐無稽だが信じる要素があるから飲みこめるとして……問題はマリリアだよな」


「え? わたし?」


「あぁ、お前だ。神様だって?」


「そうよ? 何が問題なの」


「決まってんだろ。神様要素がまるでねえ事だ。つまり、信じる要素もまったくねえ」


「はあぁ〜〜!??」


 ロメウのいった事は至極まっとうだった。こいつを少しでも知っていれば、当然こうなる。

 対するマリリアの反応はというと、予想通りだった。

 この後の展開も含めて。


「なんでわたしだけ信じられないのよ! おかしくない!?」


「おかしかねえだろ。ごくごくまともな感覚だと思うぜ?」


「さっきの魔法見たでしょ!? 神の奇跡を目の当たりにしといて信じられないってどういう事よ!?」


「ありゃあ神聖魔法の一種だろ? 聖職者なら使えるじゃねえか」


「そ、それはそうだけど……自然と漏れ出してるでしょ! ほら、常人にはない高貴なオーラが!」


「いや、ねえな」


「これまでの言動を見てもさ! なんていうか、こう……特別な感じがしてたじゃない!?」


「いや、全然。騒がしかっただけだ」


「で、でもさでもさ! 良く考えてみると神様の片鱗がちょくちょく見えて……」


「なかったな。欠片(かけら)も」


「もっとちゃんと思い出してよ! 忘れてるだけで、きっとどこかに……」


「もう、よせ……」


「!??」


 凍えた身体を暖める毛布のような優しさで、そっと、マリリアの肩に手を置いた。

 これ以上、傷口を広げる事はない。

 このダメ神様(がみさま)が致命傷を負う前に、不毛な闘いは止めてやるべきだ。


「よ、よせって、どういう……」


「いいんだ。いいんだよ、マリリア」


「だから! 何がい……」


「お主は良くやった。負け戦と分かっていながら、の……」


「なっ……!!??」


「もう……頑張らなくて()いのですよ……」


「ベストは尽くした。立派だったぞ……」


「ちょっ……と……あんた達……」


「あ〜……マリリアよ……」


 ロメウが煙草をもみ消した。考え考えといった様子で、いいずらそうに口を開く。


「なんつうか、あれだ……」


「何もいうな、ロメウ」


「うむ。ここはひとつ、わらわの顔に免じて信じてやってくれ」


「わたくしからも、お願いします」


「なん……なの……?」


「す、すまなかった。つい本心が……あ、いや……」


「なんなのよ……その……」


「お前は神様だ。信じるからよ。な? それでいいだろ?」


「うん。そうしてやってくれ。良かったな、ダ……神様」


「憐みの目はなんなのよおおぉぉぉ〜〜っっ!!!」




 食事と回復を済ませ、迷宮(ダンジョン)を先に進んだ。

 足を踏み入れた通路はこれまでと違い、完全な人造物といった風情だった。

 石で造られた建物のようで、等間隔に配置された松明が内部を明るく照らしている。

 光ゴケしか光源のなかった薄暗い洞窟より見通しの利く、歩きやすい通路ーーしかし、迷宮(ダンジョン)内である事に代わりはない。どこに脅威が潜んでいるか分からない危険は十分になる。

 のだが……


「あの……ルキト様……」


「ん?」


 後ろから声をかけられ、肩越しに顔を向けた。

 不安の滲んだ声でグラスがいった。


「先頭を歩いてしまっていますが……大丈夫なのですかね、マリリア」


「あんまり大丈夫じゃないと思うけど……あの様子じゃ、いっても聞かなそうだしねえ……」


 休憩を終え、さて探索再開となった所で、それまでしょんぼりしていたマリリアが突拍子もない事をいいだした。

 神の威光を示すとかで、パーティーの先導を買って出たのだ。

 突然の事に、皆が言葉を失った。

 常時迷走状態のこいつに着いていくなんて、泥酔した神様にお導きいただくのと変わらない。ろくでもない結果になるのは目に見えている。

 しかし、マリリアの暴走は止まらなかった。

 嘆き節から一転、半ギレ気味にやる気を爆発させズンズンと先頭を歩き始めてしまったのだ。

 鼻息も荒く意気揚々と進む背中には、謎の自信が漲っていた。


索敵(さくてき)はできるのでしょうか?」


「どうだろ……奴隷泥棒なんかやってたくらいだから、盗賊(シーフ)のスキルを持ってても不思議じゃないけど……」


「好きにさせてやれ。ロメウがついておれば心配なかろう」


「だと()いのですが……」


「生粋のトラブルメーカーだからなあ、アイツ。いらん事やらかしそうで怖いんだよなあ……」


 一抹の不安を抱きつつ、マリリアとロメウについて行った。

 今のところ、(トラップ)もなければ敵も出て来てはいない。

 それでも周囲を警戒しながら進んでいると、突然、マリリアが声を上げた。


「見て! 出口よっ!!」


 いわれて前方に目をやると確かに、ぽっかりあいた四角い穴が見えた。

 向こう側はかなり明るいようで、強い光のせいで先がどうなっているのかは分からない。

 突如としてマリリアが、猛然とダッシュし始めた。


「っしゃああぁぁ〜〜っ!! 」


「あ、おい! 勝手に行くな! 何が出るか分からねえんだぞ!!」


「望む所よ! 見てなさいあんた達!! マリリア様の実力、とくと拝ませてあげるわ!!」


 警告など聞きもしない。猪突猛進するダメ神様は、あっという間に出口までたどり着いてしまった。

 ロメウに続いて、オレ達も駆け出した。


「バカ! 一人で行くヤツがあるか!!」


「あの先に何があるのじゃ? 妙に明るいの」


「とにかく急ぎましょう! 次のフロアなら、敵がいる可能性もあります!」


「まったくアイツは……問題起こさないと気がすまな……ん?」


 妙だった。

 あれほど勢いのあったマリリアが、出口の前で立ちつくしていたのだ。

 追いついたロメウも、同じく足を止めている。


「なんで中に入らないんだ?」


 浮かんだ疑問は、その場に着くと同時に消え去った。理由が分かったからだ。

 しかし、光の正体と眼前に広がる光景を見、さらに大きな疑問が脳内で踊り出した。

 揃って突っ立ったまま、オレ達は唖然としていた。


「ほ……本当に……どうなってんのよ、この迷宮(ダンジョン)……」


 やがて、絞り出すようにいったマリリアの声は小さく震えていた。

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