第26話 駆除・転戦
「やっぱり、これじゃあ殺せないよな」
もし仕留められていれば、『獣』の気配はすぐに消え去る。ところが、『獣』の気配は消えず、『獣』は低いうなり声を上げて暴れていた。
頭蓋を壊すことは叶わなかったようだが、左の肩には深々と鉄筋が刺さっている。それに、ちゃんと刺さらずに抜けてしまったのだろうが、『獣』の右肩と耳からは、それぞれ血が流れていた。
ともかく、仕留めることは叶わずとも計画はうまくいった。『獣』は倒れ、地に伏しているのだから。偲の言葉が本当ならば、これで決着だ。偲の言葉が本当ならば、だが。
駄目押しをしようと『獣』に歩み寄っていくと、気配が急に強まったので、後ろに跳ぶ。『獣』が放った槍、もとい鼻と牙が正面から迫ってくる。
――間に合わない。すぐに取れる手は、道具の入った鞄を盾にするか、腕を片方くれてやるかのどちらかといったところか。
どっちを選ぶか迷っている時間はない、もったいないがここは道具を全部捨てるしかあるまい。……だが、貫通されたら?その可能性に気づくのはあまりに遅すぎた。
そして、眼前に迫る刺突は、そのまま、私の身体とは、全く別の場所を貫いた。
直後、爆音が響く。昨日、川岸で聞いたのとは比べものにならないほどの悲鳴だ。私は耳をふさぎながら近くにあった柱の陰に後退する。
「うまくいったか……!」
自分でも分かるくらい口角が上がっている。私と偲が、落したのは廃墟の瓦礫だけではなかった。その中には、しばらく前に手に入れた汚泥をたっぷり入れた袋をいくつか仕込んでいた。
人間の私達でも近くで臭いを嗅げば、吐き気を催すような汚泥を、よりにもよってゾウと同格の嗅覚にぶちまけられたのだ。しかも、ここには川もない。洗い落とすことは不可能だ。
視覚は元々大して使えない。嗅覚は潰した。両腕の牙のうちの片方は、肩の傷のために十全に使えなくなっていることだろう。転んでいるなら、内臓は今この瞬間にも圧迫され続けているはずだ。
相手がゾウなら、こちらの勝利はゆるぎない。
けれど、『獣』はやはり『獣』であって、ゾウではなかった。
『獣』はこちらに向かって、ずるりと這いずりよってくる。
手負いの身体では大した速さで移動できるはずもないのに、どんどん距離が詰まっていく。おそらくは、実際にゾウが移動する速度に沿っているのだろう。
「……これだから嫌なんだ。『獣』ってやつは」
私は、入り口から離れて、階段へと走っていく。上の階へ来るには、少し時間があるはずだ。
「伶、『獣』は!」
偲が階段の上から顔を出す。
「転ばせたけど駄目だ!追ってきてやがる!」
「え、伶?口調?」
「……簡単な願掛けだよ。先生と同じ口調にしてるんだ」
「は、はあ」
「安心しろ、中身は一緒だ。強がりだよ、強がり。そんなことより、急いで離れるぞ」
「分かりました」
両腕を挙げた偲を担ぎ上げて走り出す。
「偲、ゾウが転んでから死ぬまで、どれだけかかる?」
「移動できてる時点で、かなり長く見積もった方がいいかと思います。立ち上がれた場合はもう諦めるべきですけれど……立ち上がれてはないですね」
『獣』が、這いずりながら三階に上がってくる。
「なんなんですか!あの気持ち悪いの!」
偲が、最初は嫌悪感を混ぜこんだような低い声で、後の方は好奇心が透けて見えるような早口で声を上げる。
「何って、『獣』だよ!」
返事をしながら後方に残りの汚泥入りの袋をなげつける。結果を確認している余裕はない。
「あれならひるんで……あっ、だめです!すぐに動き出します!」
さっきよりは小さいが、咆哮が聞こえたので、効果はないわけではないのだろう。だが、その咆哮は、悲鳴と言うよりも怒号に近いような印象を受けるものだった。
「あんな状態ですら人を殺そうとするなんて……」
「人間だって同じことをやるだろ、べつに『獣』が例外ってわけじゃない」
もっとも、四肢が壊れているのに、這って敵を追うことは、人間にはできないことだが。
『獣』に追われながら、来たのとは別の階段を下る。途中で麻酔銃を撃とうとしたが、さすがに偲を運びながらでは撃てない。
中央区画の入り口から外に走り出る。
空はもう、白んでいた。




