第20話 作戦、憶測、落下
「……というわけで、ゾウの視力はそこまで高くありません。目をつぶす効果がないとは言いませんが、知覚を奪うのであれば、嗅覚と聴覚の方でしょうね」
「弱い部位とかは?」
「腹と胸、肩とあとは、足の付け根とかの皮は薄いはずです」
「人型になっちゃってるせいで、そのあたりがどれくらい残ってるか、ね……。そもそも、接近してやりあうのはあまり得策じゃない気もする」
偲による授業を受けながら、もとい作戦を立てながら、私たちは動物園へと向かっていく。後ろの席に偲と私、運転席に圭と、サギリに来たときと同じ配置だ。
「昨日、鼻で果実を弾いた後だいぶ苦しんでたけれど、あれは使えないかしら」
「どうでしょう。鼻はたしかに敏感な器官ですけど、いろいろな用途に使われる器官なので、脆弱というわけではないんです。痛みよりも、驚きとか不快感とかの方が効いたのかもしれません」
あの果実、結構臭いがきついですからね、と偲が付け足す。となれば、
「転ばせるのが確実か」
「ですね。立ち上がれなくなれば、あとは自重で」
偲は、言葉を言いきらずにうち切ってしまう。
偲曰く、園内に残されていた足跡からみるに、あの『獣』の体重は、実際のゾウとそう変わらないそうだ。そして、実際のゾウ同様に、倒れ続けていれば、自重で内臓がつぶれる見込みが少なからずあるらしい。
「足場の悪いところに誘い込む……。落とし穴を用意する……。やりようはいくつかあるけれど、どうしたものかしらね」
「あと、昨日の偵察で臭いを覚えられてるかもしれません」
「臭い?」
「ゾウの鼻はかなりいいんです。風向きにもよるでしょうけれど、東区画に這入った段階で気づかれると思っていいかと」
「向こうからかかってくるかどうかはともかく、不意は打てないか」
昨日、鼻を傷つけたときにすぐ川の中に鼻を浸けようとしたあたり、あの『獣』の知能は低くないのだろう。瑛梨香には倒せるといってしまったが、火も使えないし、あまりいい状況ではない。
「偲ちゃん、ずいぶんと物知りなんですね」
私が考え込んでいたところで、圭が口を開いた。
「ええ、私は――」
「偲は動物が大好きなのよ。灯台ビルにある資料を全部読みつくして覚えちゃったくらい。ね、偲」
「ええ、知ってますか、圭さん。ゾウには自分たちを狩る民族と、そうでない民族を見分けられたりするって逸話もあるんです」
とっさに嘘をつく。
集落の民と軋轢を起こすという理由で、私がサギリの集落に迎え入れられることはない。だが、それさえなければ、集落に迎え入れて、ついでに灯台ビルも頂きたいと、圭自身が口にしたことがある。
「そうなんですか。優秀な方は集落の助けになります。もしその気になったらいつでも来てください」
偲の回答に、圭は振り向かずに応答する。
おそらく、偲に対する圭の認識は、頭のいい子供程度だろう。その印象が全知全能――実際のところは全知無能――の少女に変わってしまえば、私と決裂してでも偲を集落に取り込みかねない。
――けれども、私はそれをむしろ望むべきではないのか?
「……伶ったら、もう」
偲が妙に機嫌をよくしているので、とりあえず私のふるまいは間違っていなかったのだと思うことにしておいた。
「そういえば、圭。この四輪って駄目にしていい?」
「駄目です。いざというときには、これを使ってサギリから民を運び出しますので」
「これなら火元になるのに……」
「伶さん、火、大好きですよね。使えるときはいつも使うじゃないですか」
「そうなんですか?」
「ええ、その人、火を使う罠だけ、他の罠の数倍巧妙につくるんですよ」
「断じて違うわ。火なんて貴重だから確実に仕留められるようにしたいだけよ」
圭が珍しく冗談を言ってきたので、全力で否定する。
「火が貴重って、灯台ビルくらい設備が充実していたら火元にも困らないでしょうに」
「基本は電熱だから。圭、知ってていってるでしょ」
「おや、ばれてしまいましたか」
圭がくすりと笑う。もしかしたら、私たちが煮詰まっているのを見て、場をなごませてくれたのかもしれなかった。
「それにしても、伶さんが足を使わないで現地に向かうなんて珍しいですね」
「体力は残しておきたいのよ。私のも偲のも。あと、状況の確認はだいたい終わっているし」
「ああ昨日のうちに済ましてあるんですね。どうでした?」
「前に見回った時から崩れた建物はなし。崩落しそうな建物もないし、動物園から出てきたら逃げるしかないわね。相手ごと建物の下敷きになるって手はあるから、使いたければご自由に」
「普段ならともかく、今のサギリにいる人員では無理ですね」
考慮できる手段ではあると、言外に圭が言う。
前言撤回。こいつが私たちのことを気遣ってくれたとは思えない。
気遣うことで、私たちのやる気が引き出せると見越してやったという可能性はあるけれど、集落の民でもない私たちを思いやるとは思えない。
「車が使えないなら、やっぱり火は現地で考えるか」
「そこで火を使うのを諦めないから、火が大好きだと言っているんです」
「伶、一体、何をしたんですか」
「……本当に何も思いつかないんだけど」
「二輪」
圭が3つの音を発したところでようやく思い出す。そういえば、太陽の光だけで動く二輪を一台、思い切りよく『獣』にぶつけてやったことがあった。
「ああしないと廃墟に誘い込んでから、誘い込んだやつごとその建物の下敷きにして『獣』を倒すなんて計画が通るところだったのよ」
私は偲に弁解する。
「あの計画は最善でしたよ。少なくともあなたが犠牲にした二輪と病に伏せっていた彼とでは……」
「圭」
圭が最後まで言い終わる前に割り込む。
きっと彼が言おうとしていることは事実なのだろう。だけれど、言う必要はない。偲の方は、のっぺりとした顔で話を聞いている。
「伶は、昔から伶なのですね」
すこしだけ口角を上げながら偲がそう言ったところで、昔話は打ち切られた。
しばらくの沈黙の後、再び圭が口を開く。
「では、帰りは徒歩でいいのですね」
「ええ、『獣』さえどうにかしたあとなら、ゆっくり野宿してもいいし」
「では、お願いします」
簡単なやりとりを最後に再び沈黙が流れる。
結局、圭は私たちを動物園の入り口に置いてサギリに帰ってしまった。偲の知識を隠さなくてもいいので、ありがたいと言えばありがたかった。
「圭さんって、手伝ってくれないんですか」
「彼、かなり鈍くさいのよ。運転ができるのが不思議なくらい」
当然、単純にそこだけ比較すれば、圭より偲の方がよっぽど鈍くさいのだが、彼に偲のような特別な技能はない。偲と違って本当の意味で足手まといにしかならない以上、いてもらっても困るのだ。
「その、伶と圭さんは、そういうことを知っているくらい仲がいいというか、なんというか。……男女の関係なのですか?」
「まさか。圭は私のことを、便利だけれど使いにくい道具くらいにしか見てないわ。知り合ってから短くはないし、サギリでは話すことが多い方なのも事実だけれど、それだけ」
好意どころか、私は圭という男が嫌いだ。さっき偲のことを探っていたときに、改めて分かった。私も偲も道具ではない。
「そうですか。ええ、ですよね」
偲の方から手を握ってきた。
「そう。そんなことより、今は仕事が先決よ」
私たちは、また園の入り口から、東区画に向けて橋の上を歩いていく。
もう日は暮れてしまっている。ただ、橋灯が相変わらず点在しているのと、昨日一度歩き回っているために、移動に関してはもう大して困らない。
偲をおぶわなくていい分、昨日よりも楽なくらいだ。
「結局、どう相手するんですか?」
「ひとまずは転ばせる方向で。縄とかでいけるかしら?」
「難しいと思います。重心がどこにあるかも分からないですけれど、転ばずに引きちぎってしまうかと」
「足場が悪いところ、は自分から入ってこないっていうのは昨日確認済みか」
あのとき『獣』は破片だらけの坂を上り橋まで追ってこなかった。
「新しく足場の悪い場所を作るっていうのは手かもしれませんけれどね。ただ、臭いとかから悟られる可能性もあります」
「とりあえず、出来そうな仕掛けは全部仕掛けましょう。東区画に入る前に最低限を組み立てておいてもいいかもしれないわね。あとはおびき寄せたりするのに音を立てられ――」
自分で、音、と口にして気づく。
こんなにここは静かだっただろうか。
この生き物の気配のなさは、まるで『獣』のいた東区画ような――。
ところで、後から聞いた偲に聞いた話だが、ゾウは一度でも自分たちに害をなした人間の臭いを覚えてしまって、次からは積極的に攻撃してくるらしい。
要するに、私たちは、それほど熟考せずに東区画からゾウが出てこないなんて仮定をおいてしまっていたけれど、それは憶測にすぎなかったのだ。
――橋の向こう、東区画の側から『獣』が刻一刻と迫ってきていた。
流石に橋の上で全力疾走をする気はないらしく、『獣』の歩みは昨日よりもずっと遅い。かといって、このままやって来た道を戻っては追いつかれる。
昨日採集した果実を腰につけた袋から取り出して、投げつける。
赤色は『獣』の方へと走り、昨日と同じように弾けた。
――『獣』の手前、『獣』が鼻から噴き出した水流によって、弾けさせられた
弾を使わせられたのはいいが、ここまで頭が回るとは想定外にもほどがある。分は悪いが、こうなったら橋を全速力で駆け戻るしかないだろう。
それを見込んだように『獣』がちょうど橋の欄干が崩れた場所に鼻を突っ込む。その鼻の先には、私の頭くらいの大きさの瓦礫が握られていた。
「跳ぶわよ、偲っ!」
ロープを欄干に巻きつけるなんて余裕はなかった。
私が偲を抱き上げて、背中から落下していった直後、私たちがいた場所を瓦礫が打ち抜く。
――そういえば昨日、『獣』を橋から落とせないかどうか考えたっけ。
視界が草木に覆われる直前、私が考えたのはそんなことだった。




