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第16話 発育、人でなし、盗み聞き

「やっと水が抜けてきました……」

「もう離れられそう?」

「あ、無理です」


 溺れかけた後、偲は私の身体の上から頑として下りようとしなかった。私の身体を椅子のように使いながら、湯につかっている。こうして肌と肌を密着させていると、偲の身体は想像以上に華奢で、軽いことを痛感する。ビルでの食事には、栄養面での問題はないはずだ。それに、偲はけっこうな量を、少なくとも私と同じくらいの量を食べている。


「どうしました?伶、そんなまじまじと私の身体を見つめて」

「いや、小さいなと」

「ファンブルの力を使うときに、発育の分が回されちゃってるのかもしれないですね」

「……あなたそんなこと一回も言ってなかったじゃない!」


 唐突にとんでもない報告をされたものだから、とんでもない大きさの声を上げてしまった。


「仮説ですし、聞かれませんでしたし、伶にこれ言ったら私に頼ってくれなくなるじゃないですか」

「よく分かってるじゃない……」


 偲の言ってることが本当ならば、動物園でことあるごとに偲に負担をかけていたことになる。


「別に大した負担じゃありませんよ。施設にいたときは、日がな一日、甘いものを食べながら知ってることを書き起こすのを繰り返してたんですから」

「そういう問題じゃないってば。……本当に、明日からは連れて行かないからね」

「伶、忘れてるみたいですけど、私この施設のつくりも知っていますからね?」


 脱走は余裕ということか。


「ちょっと頑張って頭を使う感じですよ。大昔の学生なんかの方がよっぽど頭を使ってたと思います」

「誤魔化されないわよ。普通はどんなに頭を使っても発育が悪くなるなんてことはないでしょう」

「じゃあ、緊張しっぱなしだと疲れるみたいな話?」


 疑問系じゃないか。


「本当に、心配無用ですって。はじめて逢った時に比べたら、ずっと見た目もマシになっているじゃないですか。ちょっとずつですけど、大きくなってるはずです」


 偲の身体は、たしかに初対面の時に比べれば、はるかにマシになっている。出逢ってすぐのときは、たしかあばら骨や鎖骨が浮き上がっていた。あれに比べれば、たしかに偲の身体は健康的になった。それでも偲の寸胴のような体形は、少女というには凹凸が少なすぎて、幼児のそれに近い。


「まあ行く先がないという可能性もあるけど」

「伶、自分の事例を一般化するのはよくないですよ?」

「いや、こっちの方が駆除屋の仕事をするには楽だろうし」


 私の身体は同世代の女性に比べれば、間違いなく貧相だ。少しずつとはいえ、確実に成長しているらしいことを考慮すれば、偲の方が、将来は私よりも女性らしい見目になることは容易に想像できる。


「健康的と言えば健康的ですし、伶の魅力はそこじゃないので別に気にする必要はないでしょうけど、座らせてもらう側としてはもう少し柔らかいと嬉しいといいますか」

「私が先に上がっちゃった場合って、偲はどうするのかしら」

「伶、お風呂はとてもいいものだということが分かりましたが、湯冷めするかもしれません。そろそろ出ませんか?」


 都合が悪くなると急に話題を変えるのは偲の常套手段だ。その気になれば、大抵のことについては語り続けられるだろうに、話題を変えることは上手くできていないあたり、年相応でかわいらしい。

 私が和んでいるのをよそに、偲はそろそろと立ち上がる。


「伶、失礼なことを考えていませんか……あっ」


 どうせ転ぶと思っていたので、構えていたのがよかった。危なげなく、転びかけた偲を受け止め、元通り膝の上に座らせてやる。


「失礼なことなんて考えてないわよ」

「……くぅ」


 勝った。いや、負けてないか?

 会話が途切れる。

 沈黙の中、遠くから、ぶううんという低い音と、がたごとという物音が聞こえてくる。前者は機械音だろうか。後者は入り口の方からだった。もしかしたら、誰かが来たのだろうか。


「ねえ、伶」

「ん?」

 

 私が浴場の入り口を確認しようとした際、唐突に偲が、偲は私の上で天井を見上げながらつぶやいた。


「……私が身体を動かすのが下手なのって、ファンブルだからなんですよ。そっちは成長の話と違って事実です」

「色々なことを知ってるってことが?」

「ええ。物心ついたときに、私は全てを知ってました。だから、それに頼りすぎた。人間にとって正しい動きを知っていたから、私にとって正しい動きを探すことをしなかった」


 偲は相変わらず、ずっと天井を、というか空を見ながら返事をした。そのまま、少し残念そうに話し続ける。


「歩くときに、右手と左足を動かさなくちゃいけないことって誰だって知ってるじゃないですか。でもそれを、誰もが最初から知ってるわけじゃない。立って転んでを繰り返して、歩いて転んでを繰り返して、ようやく知るべきことなんです。なのに私は、それを最初から知っていて、頼りきったん。気付いたときにはこの通り」


 要するに、この少女は正しすぎるのか。理想的で平均的な挙動を自分でそのまま再現しようとした。理想的でも平均的でもない身体で、理想的で平均的な動きをしようとした。

 小さい頃ならそれでも何とかなっただろう。周囲から見れば、単に鈍くさい子供にすぎなかったはずだ。だけれど今ではこの通り。

 言葉が出なかった。


「そんな憐れまないでください。1つ1つ確認すればいいだけです。どこをどう動かすのか、どこにどれだけ力を入れるのか、どこをどれだけ曲げるのか。1つ1つについてなら、私は最適な動きを知っています。いちいちやるべきことを確認しなおすのは少し面倒ですけど」

「待って。自分の動き方をいちいち考えて、考えた通りに動くなんて、人間にできるわけが――」

「できませんよ。人間には、ね」


 ファンブル――。

 人間に出来ないことを、出来てはいけないことを成し遂げる人でなし。


「そういうわけで私は誰かに助けてもらわないと生きるのが大変です。伶がよければなんですけれど、これからも助けてください。私も、伶を助けますから」

「……偲、最後の一言を通したかっただけよね?」


 沈黙が流れる。


「なんでわかったんですか!?ここは受け入れるところではありませんか!?」

「話が嘘だとは思わないんだけれど、今ここで私に話す理由がないじゃない。最近あなたがやりたがっていたことといえば、『獣』についてもっと知ることでしょう?私を助けるって理由があれば、次からも動物園についていけるものね」

「……名探偵みたいですね」

「まあ、着いてくるのはいいわよ」

「え?いいんですか?」

「ええ、誰かに盗み聞きされてたかもしれないから。偲が長話を始める前に、物音がしたのよ」

「覗きですか……?」

「さあね。けど、聞かれたかも」


 偲の話に聞き入って、物音の正体を確かめることを忘れてしまったとは口が裂けても言えない。


「どっちにしろ、今の話を盗み聞いたやつがいるかもしれないところに、あなたを残すわけにもいかないわ。どうせ何が起こるのか分からないなら、私の手の届くところにいてもらった方がまだ楽」

「ビルに帰るって手もありませんか?嫌ですけど」

「ちょっと、いろいろと引っ掛かるのよね。何が引っ掛かってるのかも分からないんだけれど、圭に急かされてるのとは関係なく、今回の仕事は急いで終わらせた方がいい気がする」

「伶がいいのならいいんですけど」


 とりあえず、倒してしまえば決着がつく以上、『獣』の問題を最初に片づけるべきだろう。


「そういえば、いつ出発するんですか?ゾウは夜目が利かないので、昼間よりは夜の方がいいような気もしますが」

「じゃあ今日の深夜くらいかしらね。風呂を出たら一度休んで、夕方くらいから準備をしましょう」


 まだ昼にもなっていないはずだから睡眠は充分にとれるだろう。偲の成長を気遣った後で、夜更かしをさせることを前提に動くのもあまり気が進まないが、現状これが最適なはずだ。

 さすがに長湯しすぎたのか、すこし偲がぐったりとしてきた。今度こそ、上がるとしよう。

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