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第12話 果実、森林、足跡

「偲、もうそろそろ動きましょうか」

「そうですねだいぶ休めました」


 私の膝から頭を上げてから、ありがとうございました、と偲はぺこりと頭を下げた。


「別にいいわよ、これくらい」


 実際たいした疲労はない。


「じゃあ、また順路通りに案内しますね」


 偲が再び私の手を引っ張り出す。

 それにしても。動物園だというのに動物の気配が全くない。ここにあるのは虫の気配だけだ。

 立ち並ぶ鉄牢、柵、ガラスは例外なく壊れている。屋外である分、中央区画よりも、さらに荒廃している印象を受ける。中には、複数の展示エリアの中から飛び出した植物が完全に檻と檻の間を越えて、絡み合ってしまって、ぱっと見ただけでは檻というより植物の塊に見えてしまうようなところすらある、


「自然の勢いみたいなものが、灯台ビルとかサギリの集落とかと、全然違いますね」

「あの辺りはもともと市街だったから、どうしてもね」


 元々が市街だった地域では、この動物園ほどに緑色が氾濫することはない。せいぜいが、固い道路のひび割れから花々が顔をのぞかせたり、そこそこの高さの樹が崩落したビルの陽だまりの中で生き残っていたりする光景だけ。

 時折、まるまる草木に覆われてしまっている建物も目にするが、それはかなり珍しい光景だ。その珍しい光景も、ここではありふれた光景になってしまっている。偲の言うとおり、自然の勢いがまるで違う。


「……荒地になるよりはマシか」


 よく見てみれば、果物らしきものをぶら下げた樹木もあるようだ。


「偲、アレ食べられるかしら」


 一番近くに有った赤い実を照らして私は偲に尋ねた。


「無理ですね。食べたら死にます」


 即答されてしまった。食べるのは無理らしい。

 ――ん?


「その毒、どれくらい強いの?」

「人は確実に殺せますね。『獣』ですか?」

「そう。使えるなら使いたい」

「……枝から樹液までぜんぶ有毒ですから、使うなら慎重にしてくださいね」


 偲が話し出すまで、すこしばかり間が空いた。生き物を殺すことに、あまり乗り気ではないのかもしれない。


「……ごめんなさいね。こんな仕事で」

「あ、いえ!伶に何かあったりするのは嫌だなって。でも、私が伶の役に立てるのは、そういう仕事をするときでしょうし、えっと、その」

「ありがと」


 割り込んで、礼を言う。


「もし、偲がもういやなら一度帰るわよ」

「それは嫌です、『獣』を見ておきたいですし、心配ですし」


 私への心配をしてくれるのはうれしい。嬉しいのだが。


「『獣』への好奇心と、私への心配が並列なのがちょっと残念ね」

「いえいえ、程度としては最大です」


 先ほどの淀みはどこへやら、少し意地悪で生意気な普段通りの偲に戻っていた。

 今日『獣』に仕掛ける気はないので、毒のある赤い実はいくつか採集するだけに留めておいた。

 結局、収穫はそれだけで、私と偲は西区画の北端に到着してしまった。


「ええと、この橋の上を歩いていけば東区画ですね」

「また橋の上?」

「ええ。ただ、最初、中央区画に行くときとか、その次に中央区画から西区画に来るときとかに使った橋とはつながってませんね」


 地形を確認しつつ、私と偲は西区画に踏み込んだ時とは逆に、坂を上っていく。そして、また壁の上まで出たあたりで上り坂は終わり、そこからは長い道が続いていた。

 不規則に生き残った橋灯が、最初の橋と同様、ぼんやりと行く先を照らしている。


「最初の橋とぜんぜん変わらないわね」

「意図的にそうしていたみたいですよ。それ以外のところは統一感をもたせておいてあげることで、動物の多様性みたいなのが際立つとかなんとか」


 何かを目立たせたいなら、それ以外から個性を奪い去ればいいといったとこだろうか。分かるような分からないような答えだ。

 言ってる偲本人が首をかしげているのだから、余計にそう感じる。ただ、偲の場合、分からなくても、知ってはいるのだろうが。

 相変わらず橋下では草木が生を謳歌しているようで、ときおり風が吹くと、茂みがざわつく音が聞こえてくる。橋灯に群がる虫が時折、ジリッと音を立てるのも最初の橋と変わらない。


「この下を歩き回るのは無理かしらね」

「え、歩き回るんですか」

「探索しておきたいのはしたいのだけど、あまりやりたくはないのよね」


 偲は、神妙な面持ちで、まあそうですよねえと合点している。

 もしかすると、先ほどのように毒性のある植物がみつかるともしれないが、さすがに冒さなくてもいい危険は冒せない。当然、縄なりなんなりを使って、戻る道を確保しながら探索をすることもできないことはない。だが、かなりの虫がうごめいている中に飛び込む危険に見合うものがあるとは思えない。

 虫除けがあればまた違うのだろうが、その手の衣服はあまり探索には向いていない。いずれにせよ、雑木林の中を歩き回らなくてすむにこしたことはないだろう。


 ――だけれど、ようやく辿りついた東区画は、一面の森だった。


「ついさっき草木の中に入りたくないって言ってたのに災難ですね」

「橋の下と比べれば、だいぶましでしょう。整備されてるってわけじゃないけど、下手な公園跡なんかよりは歩きやすそうよ」


 東区画も、西区画と同様、橋の下に広がっていた緑色の海とは壁によって区切られていた。ところどころ灯りはあるようだが、木々のせいで、決して歩きやすいとは言えなさそうな明るさだ。


「それにしても、自然に生えたにしてはずいぶんきれいに木が並んでるわね」

「あ、土壌自体に色々仕込まれてるみたいですよ。ナノマシンによる植生制御」

「……何それ?」

「土の中に目に見えないくらい小さな機械をばら撒いて、限られた範囲に生える植物を思い通りにしちゃうんです」

「なにそれ。まるで、神様じゃない」

「ただ、完全な制御はできなかったんです。うまく行っていたら、木以外は生えてなかったはずです」


 たしかに、偲の言うとおり、木だけではなく、小さな草花が地面から顔を出している。そうはいっても、草花はどれもこれも大した高さのないものばかりだ。それらは、この領域の主役である樹木をいかなる形においても妨げていない。


「食用のものにも使えるの?」

「できますよ。けど、ひどい味になっちゃいます」


 旧暦のころの技術もさすがにそこまで万能でもないか。大戦期を乗り越えて、この林を維持しているだけでも十分すぎるといえば十分だろうが。


「伶、川はそっちです」

「……近いわね」


 耳をすませば、川のせせらぎが聞こえてくる。サギリで聞いた話が正しければ、『獣』が川沿いのどこかにいるはずだ。


「伶、どうしますか」

「とりあえずは順路通り、ね。川沿いに近づきすぎないように案内をしてもらってもいい?」

「了解です」


 橋のすぐ前から森の奥に続いていく道には、園の他の場所にある道と同様の意匠が凝らされている。木々の中にあろうと、今までと変わらない素材や模様が私たちの足元を形作っていた。

 東区画の道を歩き出してから、しばらくたった。立ち並ぶ展示跡は、ここでも動物ではなく、植物を展示する空間に成り果てている。

 ――周囲の様子を確認するために、いつの間にかずいぶん長い時間黙り込んでいたことに気づいた。


「……ごめんね、なんか、話す余裕がなくて」

「仕方ないですよ、ここに『獣』さんがいるのはほぼ確実ですし」

「ふはっ……。さんって、そんな可愛らしいものじゃないと思うわよ」


 緊張していたところで、偲がおかしなことを言うものだから噴き出してしまった。


「そういうものですか」

「実際に見ればわかるわ」


 それでも偲なら、相対した後にだって、『獣』をさん付けで呼びか――


「偲、いきなり走り出すかもしれないから、抱き上げられる準備をしといて」

「え?」


 視界は暗く、葉擦れとせせらぎの音が聞こえ、わずかな土と草の香りがする。

 けれども、どこからも生き物の気配は感じられない。まったく、感じられない。これだけ注意を張り巡らしているにも関わらずだ。


「伶、近くにいるんですか……?」

「多分、ね」


 別に私の五感は普通の人間のものそのものだ。単に見逃して、聞き逃して、嗅ぎ逃しているだけなのかもしれないけれど、ここまで生き物の気配がしないのは『獣』が近くにいない証拠だ。


「分かるんですか?」

「変に静かでしょ。虫の声も聞こえない」

「――たしかにそうですね。声一つ聞こえないなんて」


 東区画は静かすぎる。『獣』の気配――『獣』が近くにいるとき特有の、ぴりぴりした空気――はここでは感じられない。けれども、あの気配と同じくらい付近の静かさは異常だった。


「偲、変なことがあったらいつでも言ってくれると助かる」

「ううんと……あれ?」

「何かあった?」

「そこ、変です。ほらそこ。獣道があります」


 偲が指さしたのは、ちょうど視点の高さの違いのせいで、私の死角になっている場所だった。木の枝がちょうど偲の背丈くらいのところについているせいで、私からは地面が隠れているのだが、偲からは地面が視えるようになっている。


「偲、何がここを使ってるか、判断できる?」


 偲は少し逡巡したのち、首を横に振った。偲が判断できないなら特定は無理だろう。


「伶、ちょっと気になるんですけど、これ、虫が残した跡とは思えないです。虫が混じった『獣』ってこんな足跡を残すんですか?」


 足跡には蹄らしき跡がついている。虫はこんな足跡を残さない。


「ないと思う。虫かどうか以前に、人型って話が本当なら、こんなしっかり踏み固められてるっていうのも変な話よ。少し、整理しましょう」


 まずは、虫が混じったものではない可能性。

 つぎに『獣』が人型ではないという可能性。

 あと、考えたくもないけど複数の個体がいる可能性。

 手持ちの情報は少なかったが、こうなってはどの可能性も否定することができない。


「ごめんなさい、私に何か分かれば……」

「偲は悪くないわよ。そもそも『獣』の知識は持ってないんでしょ」


 さて、状況は事実上白紙に戻っている。

 うん、手っ取り早い方法をとるか。


「偲、ここ、辿るわよ」

 私は、順路から外れることにした。

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