第11話 檻、自販機、膝枕
思わぬ拾い物をした私と偲は、這入ってきたとき同様、二階の扉を使って中央館の外に出た。外はすっかり夜で、空には月と星が瞬いている。
私が歩きそうとすると、偲が手を握ってきた。
「伶、月が綺麗ですね」
「そう?満月だし、綺麗といえば綺麗だけど」
偲が露骨に残念そうな顔をしているのは何故だろうか。
握られた手を引いて、橋を入り口の方へ向かって歩いていく。ほどなくして、今歩いている橋と、東西に伸びる橋が交差する地点に到着した。ここから西側へ行けば、次の目的地である西区画に、東側に行けば、その次の目的地である東区画に到着する。偲によればだが。
「ここから西側に行くんですよね」
「橋が崩れたりしてなければいいんだけど」
「そんな脆いつくりじゃないと思いますよ。中央の展示館が崩落していない以上、橋の方にも期待していいかと」
偲にそう言われてはじめて、少し前まで這入っていた建物と今いる橋の間にいくつも共通点がみつかることに気がついた。とくに細かい意匠には似通った部分が少なくない。
「言われてみると、ずいぶん統一感があるわね。気付かなかった」
「動物と関係ないところのモチーフは揃えてるみたいです。テーマパークというわけではないですけれど。伶は、ほら、その時その時、そこにあるものに集中しているので気づけなくても仕方ないですよ」
「そんなふうに言われてもなあ」
そもそも私と偲を比べてもしょうがない。
私と偲とでは、「気づくということ」の意味がおそらくは違う。旧暦のあらゆる知識を有しているのであれば、何かに気づけるかという問題は、知ってることを引き出せるかどうかという問題にすぎない。
「どうかしました?」
偲が心配そうにのぞきこんできて、我を取り戻す。
――もう、『獣』と相対でもしない限り、仕事中に考え込むのをやめようとしても無理かもしれない。そんなことを思いながら、私は偲の手を引いた。
「いいえ、何でもないわ。西には何がいたの?」
「西洋の動物……っていっても割と東洋にいるようなのもいますね。メジャーなところだと、ライオンとかサイとかとかゾウとかでしょうか。ちなみに東にも近縁種がいます」
「大雑把すぎない?私は、実物を見たことがないからかもだけど」
「それくらいの分類の粒度でまとめられていることの方が多いはずですよ。飼育の効率とかがありますし」
偲と分かるんだか分からないんだかが微妙な話をしつつも、周りを観察するように努める。
薄汚れた橋の赤茶色が不規則な感覚で並んだ橋灯に照らされて延々と続いている。灯りを包んでいるモヤは、羽虫だろうか。橋下から伸びてきている植物は何年かけて育ってきたのだろうか。
……数秒も持たずに気が逸れた。
偲の方を見やると、口角を上げてきょろきょろあたりを見回しては、時折目を細めて、思案顔をしている。
「何か、面白いものでもあった?」
「私の知識とはだいぶ違ってしまっているので、見ているだけでも楽しいんです」
偲はとても愛おしげにそんな答えを返してきた。
さらに歩いていくと、橋下に広がっていた緑色の深緑が侵略してくるのを遮るように、大きな壁がそびえたっていた。壁の高さは、橋よりは低いもののかなりのものだ。そして、少し離れたところから壁の向こう側へ続くように橋が傾斜していくのが目に入る。
「あちら側は、木々が茂っているというわけではなさそうですね」
「ええ、林の中を歩き回るのはさすがに疲れるだろうし、ありがたいわ」
そして、私たちは西区画に足を踏み入れた。ここでも、いくつかの電灯が生きている。偵察には十分すぎるくらいだ。
「拾い物はちょっと期待できそうにないですね」
「まあ、これ以上を期待するのもね」
背中の荷袋を揺らすと、そこには、銃の重みが感じられる。いや、実際のところ、軽い素材なので重みはまるで感じられないのだが。
「さってと……」
今いるのはちょうど西区画の南端なので、ここから北へ向かい、そこから東区画へ移動するというのがだいたいの予定だ。とはいえ、真っ直ぐ北を目指すのも探索としては不十分だろう。
「伶、どう回りますか?」
「思案中。効率がいいに越したことはないんだけれど、どうすればいいかしらね。順路とかは?」
「じゃあ、案内しますね」
今までとは打って変わって、偲が私の手を引いて歩き出す。
足元のところどころはひび割れ、そこからは緑色が這い出てきている。橋とは異なり、西区画の地面は園外の道路と大して変わらない素材で舗装されているようだ。
「偲、足元、気をつけなさいね」
「わかってぺっ!?」
言った側からから転びそうになった偲の手を引っ張って、転ぶのを防ぐ。
「ひひゃひょひゃひひゃひひゃ!」
「舌、噛んだ?」
「……ありがとうございます」
偲の動きの淀みっぷりは前々から酷いと思っていたが、本当に筋金入りだ。
「偲、運動できないわよね」
「仕方ないんですよ、ファンブルなんてだいたいこんなものです」
「私の知ってるファンブルにそんな代償を払ってるのなんていなかったわよ」
あの人間兵器たちにそんな欠陥があった覚えはない。少なくとも私が知っているファンブルたちは、自身の異能を十全に利用するため、軍人以上に身体を鍛えあげているようなやつらばかりだった。戦場で偲のように動きが淀んでいては、どのような異能であろうと宝の持ち腐れになる。
「ううん、か弱い女って魅力的だと思いませんか?」
「まだ子供じゃない」
「相手が反論できないことを材料に追い詰めるのは大人げないですよ」
「若々しいだなんてそんな」
「伶、話が逸れていく気がします。ほら、そこから展示跡ですよ」
諭された。見た目十歳かそこらの少女に諭されてしまった。
偲が指し示した方に目をやると、たしかに檻の跡が見つかる。中央区画と同じで、人間側と動物側の境界はすでになくなっており、動物側には緑色が氾濫している。
偲の案内にしたがって、いくつかの檻を通り過ぎたあたりで、明るく輝く直方体が目に入ってきた。
「あ、自販機ですね。まだ生きているなんてびっくりです」
「まあ、灯りが生きているなら、十分あり得るでしょう。ひと休みしていく?」
「ええ!さっき中央区画でコインを拾っておきました!伶からどうぞ!」
偲が急に生き生きとしだした。
「偲、あれを使うとどうなるか言って」
「……分からないです」
「偲、お先にどうぞ」
「電熱に群がっているだろう虫がワラワラと出てくると思うので嫌です。あとどうせ飲み物なんて全部腐ってます」
今さっき、運動能力について指摘したのがそんなに気に入らなかったのだろうか。
「仕返しにしては酷過ぎないかしら」
「伶ならきっと気付くと思っていたので」
……ぞっとしないな。
私に機械の中から虫が流れ出てくる様子を想像させた時点で少女の計画は達成されていたというわけか。悪趣味すぎる。
「さっきのは私も悪かったわ。許してちょうだい。で、ひと休みしてく?」
私は、いまだ形を残していたベンチを偲に示す。
「そうですね。ちょっと疲れました」
腰を下ろして間もなく、偲は私の太ももの上にしなだれかかってきた。
「いいですよね?」
「はいはい」
――偲の髪を撫ぜる。
地下街で一度だけシルクの生地に触ったことがあるが、偲の髪の艶やかさはちょうどその生地を連想させる。黒い糸の寄り集った布地の上には、月と星の光を反射した光沢が踊っていた。いや、周囲の灯りの方の光か?しかし、偲には月と星の光がふさわしいので、そういうことにしておこう。
わずかに湿っているのは汗だろうか。まだ暑いような季節ではないが、流石に歩き続けたりする中で、じんわりと湿っていたのかもしれない。汗は決して、不快なに臭いを発するようなことなく、毛の一本一本に適度な湿度を与えることで、黒い布地の肌触りをより心地よいものにしている。
それなりに長いのにもかかわらず、髪は一本として絡まることなく、しなやかに少女の肌に沿って黒弦のように流れていく。その様子は真逆の色とはいえ、夜空を流れる星々の大河を連想させた。白い肌と黒い髪が織りなす対比は、夜空を彩る銀色の島々と漆黒の海のそれのようだ。いわば、1つの宇宙、完成された世界がいま、私の指先に触れているのだ。
「偲、ひどい語りをはじめないで」
髪をなでると同時にはじまった偲の語りを打ち切る。
理解できない比喩がところどころ含まれていたので助かったが、語り方自体がこちらを変な気分にさせかねないようなものだった。あのまま偲が語り続けるのを止めなかったら、どうなっていたことか。
「駄目ですか?」
「いや、駄目でしょう」
「表現の自由を尊ぶ精神は伶にはないんですね……」
「いや、私の何かが侵されているいるから」
偲の方から話題をすり替えてくれたのでありがたい。さっさと髪の話題から離れよう。
――まあ、事実として、偲の髪を撫でるのが心地いいのは間違いないのだけれど。
「れーいー。かたいですー」
偲が膝に文句をつけてくる。
「文句言うなら貸さないわよ」
固いのはプロテクターをつけているせいだろう。元々は緩衝用のものだが、それほど動きを制約しないので仕事の時は着けるようにしている。
偲は少しでも具合のいい場所を探そうとしているのか、もぞもぞと私の腿の上で頭を動かしている。犬だったか猫だったかが、飼い主に頭を擦り付けているのを思い出した。あれを見たのは、偲くらいか、それよりも小さい時だったか。そして、子供時代の記憶なんてもうすっかり擦り減っていたことに気づく。
忘れているわけではないけれど、記憶はまるで、誰か別人の伝記というか、単なる知識のように感じられた。
――情報の羅列、ああ、偲ももしかして、こんなことをあらゆるものに対して感じているのだろうか。世界の全てがそんな風に感じられてしまうというのは、きっと――
最後の思考を私は無理やり打ち切った。




