シャッター通り・2
スピーカー越しの電子音に似た音声は、合成されたものだと言われれば信じてしまいそうなほど安っぽくかすれていた。機械的で感情を含んでいない……一昔前のしゃべる玩具を彷彿とさせる。
――はじめまして、私は、君たちが、いうところの封印対象、と呼ばれるもの、で、間違いない――
きらり、とまたガラスが光る。録音したものを再生しているわけではない。このぬいぐるみが声を出し、こちらと「対話」を試みているのだ。
「警告、ってさっき言ったな」
杖を強く握りしめ、警戒を緩めることなく少年は問う。先ほどのヴィオラスとの会話を聞いていたのだろうか、【それ】は自らを封印対象、つまりは敵であるとはっきりと示した。
――ああ、その通り、しかし、私は、『非敵対者』を攻撃する、ことができない。これは、狩場から離れろ、という、警告だ――
発せられる音声は不自然に途切れながらではあるが、しっかり言葉を紡いでいく。
「俺が……『非敵対者』? 俺はお前を封印しに来たんだ」
正確には【綻び】の修復のために障害になりそうなものを排除する、というのが正しいのだが、封印しなくてはならない相手であることに間違いない。そのためには戦闘も辞さないつもりでいるのだが、どうにもこの戦意は伝わっていないらしい。
「まさか無抵抗で封印されようなんてお前も思ってないだろ」
再び杖を構え直し、桜緒は慎重に相手との距離を測る。あれが放つナイフは文字通り「飛んでくる」。先ほど見た限りでは直線的な動きしかしていなかったが、この口ぶりからして本気ではない。予想以上の軌道で襲い掛かってくる可能性もある。
――本当に、君には、あるのか――
ぐちゃ、と生々しい音がぬいぐるみの足元から聞こえてきた。足に付着していた肉片が地面と擦れたのだろう、赤い筋ができている。
――私と、私たちと、戦う意思が、戦い続ける意志が――
凄惨な背景のなかで、こてん、とぬいぐるみの首が横に傾いた。まるで子どもが謎かけをするように。
「何、言ってんだ」
『……桜緒、あまり耳を貸さないほうがいい』
紫紺の狼はとっくに耳を伏せて低く唸っている。【羊飼い】の時のような異常な不快感はないが、その声が呪詛でないとも限らない。ヴィオラスの言う通り、耳をふさいだ方がいいかもしれないと少年が考えた時、ナイフが数本目の前の地面に突き刺さった。また、わざとはずしたようだった。
――ききたまえ、きき、たまえ、君は本当に、私と、私たちと、敵対するつもりでいるのか、答えてほしい――
「当たり前だ、じゃなきゃみんなが……」
――殺される、君の知るヒトも、知らぬヒトも、魔に狩られ、喰われ、弄ばれる、そういうことかい――
「そう……そうだ……けど……」
『聞くな、桜緒』
淡々と紡がれる電子音が少年の精神に反響する。始祖の魔女の後継者である自分が、魔に対抗できる力を持つ自分ができること、しなくてはいけないこと。つまりは使命に等しい行為を成している。それに誤りはない。ないはずだ。墓地で倒れた幼馴染を助けた時も、病院で小児病棟の子どもたちが操られた時も、助けられたから助けた。いや、助けなくてはならないと思った。
「それは……」
――本当に、君の、意思か? 君の貫くべき、意志か?――
「何が言いたいんだよ、混乱させるつもりか?」
――その、つもりはない、そうか、いいかたを変えよう――
こてん、とぬいぐるみの頭が逆方向に傾く。
――君は人助けのために戦って死ぬ覚悟があるのか?――
地面とシャッターに突き刺さっていたナイフが再び動き出す。切っ先はまっすぐ少年の体……胴に向けられた。ただ向けられただけで彼の心臓はぎゅっと縮こまったように脈打ち出した。
――少年よ、ああ、少年よ、君は幼い、あまりにも幼い、本来なら、自らの身を守るにも他者が必要なほど、であるのに、なぜ、君は、自らを守るのではなく、力、その力を他者のために使おうというのか、聖人のつもりか、ヒーローを気取るか、夢ではなく、自らの命をかけねばならぬ、この現実で、君は、自ら犠牲になるつもりか――
不規則な電子音が滝のように流れ続ける。最後に、ぬいぐるみは一言少年に問いかけた。
――答えてくれ――
ガラスの瞳とナイフの刃が鋭く光る。まるで見定めるかのような、試しているかのような輝きを放っている。
しばらく沈黙が続いた。ヴィオラスが見かねて口を出そうと桜緒の顔を伺う。
『桜緒……?』
少年の頬と額には大量の汗が噴き出している。しかし、杖を持つ手は緩んでおらず、眼差しは真っすぐぬいぐるみ……封印対象を見つめていた。そして次の瞬間、噛みしめられていた唇が解放されるや否や桜緒はこう発言した。
「俺は誰かのために犠牲になるつもりはないし、死ぬために戦っているつもりはない」
それを聞いたぬいぐるみのふわふわとした短い尾がぴんと跳ね、首がすっと縦に戻る。
――しかし、私たちは、敵対者を殺すつもりでいる、封印に抗い、狩りも続ける、君は、いつ犠牲になってもおかしくはない、今ならまだ、引き返せるだろう、その杖を捨てれば、少なくとも私は今、君を殺さない――
「だから!」
壊れた玩具のように垂れ流される音声をさえぎって、少年は声を荒げる。
「俺は助けたいから助ける! 封印したいから封印する! 誰かのためとかじゃなく、俺がしたいからする! そのために死ぬつもりもない! 全部勝って、全部封印する! それでいいだろ!」
怒っているかのような口調だが、単に自分の主張を口にする際に力が入ってしまっただけで、少年には憤りの感情は無かった。ただ、幼いのに、無理やり死と隣り合わせの境遇に放り込まれたことを憐れまれている、というのを感じ取ってしまったので、反論がしたかったのである。
何もかもを享受してされるがままになっているわけではない。自分には自分の考えがあるのだ、と。目の前の偉そうな玩具に言ってやりたかったのだった。
「確かに最初は強いられたんだ、綻びを修復できる後継者が、杖を使えるのが俺しかいないから、それなら俺がやらなきゃと思ってた。でも、違う、違ったんだ、選ぶ余地がないなんてことなかった、俺はこの役目から逃げることだってできた。でも自分で選んだんだ、こうなることを。その選択を憐れまれたり、情けをかけられたりするのはしん……しん……そう、心外だ」
――それが、その選択が、幼さ、いや、若さからくる過ち、勘違い、あるいは、誰かに良いように使われている、騙されている、とは、思わないのかい――
まだそんな問いかけをするのか、とうんざりしながら、桜緒は言い放った。
「そんなの小学生に自覚できるわけないじゃん」
短い静寂の後、古びたシャッター街に感情の無い、電子の笑い声が響き渡る。
――は、はは、はははは、ははそうか、よく、わかった君の、それは、意思でもなく、意志でもない、じつに子どもらしい――
展開されたナイフの波が蛇のようにうねった。
――意地、だ――
少年に向けられていた刃が一斉に降り注ぐ。地面に刺さったナイフが煉瓦を刻んで抉り、こまかな塵を巻き上げた。ぱす、と布か繊維質の何かが断たれる音、そして金属が何かに当たった時の高く鋭い音が空間を交差した。
――君の、名を聞いておこう――
刃が欠けたナイフを背の縫い目に収納しながら、ぬいぐるみは問いかける。
「亜和桜緒」
そう答えた少年は、ローブを傷だらけにしながらも体は無傷だった。とっさに杖から引き出した「防護術式」を展開していたのである。
魔力を障壁として利用し、自らに害なすものから守る魔法……だが、まともな詠唱をする間もなかったため自らの胴体と頭のみに術をかけた。先ほどまであのぬいぐるみがわざわざ攻撃の際に外していた箇所。散々警告した後ならばさっさと片をつけるために狙ってくるだろうと考えた。つまりは勘が当たったのだ。
「ヴィオラス、無事!?」
『ああ、だが、あまり無茶をするんじゃない!』
焦ったように身を震わすヴィオラスは少年をかばうように素早く前に乗り出していたが、ナイフは全て的確に少年の急所へと向かったため、体毛と脚の皮膚を多少切り裂かれただけで済んだようだ。
――アカズ、サクラオ、エネミー登録、完了、フィールドから排除します――
ぬいぐるみが発したその一言は、先ほどまでより高い女性の声に近い電子音だった。その後の言葉は再び無機質なものに戻る。
――私も、名乗っておこう、私はN1G1-13――
――魔界で生産された汎用型【合成兵器】だ――




